征也の最期

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「……違うなら違うって言え」 「……蓮く……」 掴んだ肩から安物の生地が手に触れて、俺が初めて買ってやったスーツだと気が付いた。征也は体を縮こませて、顔を深く埋める。肩は息が上がっていて、こんな時の為に買ってやった訳じゃないと怒りが込み上げてきた。 「こっち向け! 違うなら違うって言えよ! 俺がちゃんと言ってやるから! 」 「……れが……ゃりました」 目だけは俺をしっかりと捉えて、逃げられないと悟った征也は、山に捨てられた日のように顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。 「……お前には似合わない。薬ばら撒くんも、人殺しも」 「ははっ。逆に似合う人いるんかよ……って居るか……この世界には」 征也は泣きながら笑って、また下を見た。歯をぎりぎりと食いしばって、何を思っている? 自分の落ち度? 安藤たちへの怒り? クラの行く末? 征也のことなんて、手に取るように全て分かっていたはずなのに今はもう読み取れない。子分の事も分からないなんて、とんだアニキだ。 「……なに染まってんだよ。こんなクソみたいな世界に」 「……人って……すごいっすよね。ちゃんとその世界の色に染まれる。赤でも青でも……黒でも。2度と……白には戻れないけど」 力無く笑う征也の目からは涙が何度も何度も溢れてきて、海の中へ突き落とされていくような絶望がここにある。虚ろな征也の目はとても穏やかだった。 「俺は……俺は蓮くんの為になりたかった。あんな叔父貴にいいようにされてんのが許せなかった。だから……もっと金稼いで上納金入れて、叔父貴に蓮くんのこと認めさせたくて……」 「……言っただろ? そんなもんはくだらねぇんだって」 「安藤たちが……安藤たちの代わりに金稼いでやったのに、自分たちはもう組を追い出されるからって俺を強請ってきやがって……」 「そんなんは……想像つくだろうが! 汚ねぇことすれば、後のない奴らの方が強えんだよ。金渡したって、欲なんて収まらない。骨までしゃぶり尽くす。それがこの世界だろ? そんなもん身に染みて分かってたはずだろうが! 」 声を張り上げながら、どうにかならないかと脳内を巡らせた。証拠隠滅する為に今から全員皆殺しにする? 征也を海外に逃す? そうなれば残った俺もタダでは済まない。2人で海外? 今から行くのは流石に無理だ。何でだよ。何で征也は死ななきゃならない。 「俺のそばに居て……何で……何……やってんだよ! 征也! お前は馬鹿だ。なんっ……で……お前が人生棒に振ってんだよ」 「た……楽しかったよ。毎日蓮くんといて、大人になっても蓮くんと一緒にいれて……俺は、俺の人生に蓮くんが居てくれて……最高だった……」 「馬鹿だ。お前は大馬鹿やろうだ」 何でだ。何でだよ。何で別れの言葉みたいに語ってんだ。否定しろ。死にたくないって命乞いしろよ。征也は振られた男みたいに女々しく笑って、俺を見る。 「蓮くんはやっぱり……俺のヒーローだよ」 「ヒーローな訳ねぇだろ。どうやったってお前にとっては……魂取りにきた死神だ」 「山に捨てられたこと覚えてますか? 蓮くん……あの時も俺のこと庇ってくれて、めっちゃ殴られて……」 「お前、死ぬほど泣いてたもんな」 嫌な記憶がこんな時に頬を緩ませて、征也の胸ぐらから手を離す。吸い忘れていた煙草に火を付けて、大きく吸い込んだ煙が気持ちを落ち着かせる。窓を開けると冷たい空気が入り込んで、慣れ親しんだ煙草の煙が車内に広がる。時が止まればいいと本気で願った。 「だって蓮くんが死んじゃうと思ってさ……」 「俺も死ぬと思った。だけどお前が居て……お前が泣きながら俺のこと呼んで……お前も体ボコボコなのに俺のことおぶってよ……あー2回くらい俺のこと落っことしたよな」 「いやだって、俺もぼろぼろで、蓮くん力入んないから、背中からずり落ちてくるんだもん……」 「あーあ。痛かったなぁ。でもあの後食ったラーメンうまかったなぁ。口んなか切れてんのに、体がすげぇ温まって生きてるって思ったよ」 分かりきった昔話なのに煙草を吸うことも忘れて、灰だけが指先からこぼれ落ちていく。窓から外を見ても、山に近い廃工場からは、息苦しくなるほどの闇しか見えない。こんなにも世界は広いのに、俺たちは逃げる場所もない。 「ぐっ……うっうぅ……俺は……あんたに……うぅ。俺はあんたに……何度も命を救ってもらいました……だから……うっ。うぅ」 「言ってなかったけど……あの時お前が名前呼んでくれなかったら俺は……死んでた。お前が名前を呼んでくれたから……俺は生きる気力が持てた」 最後の本音なんて、最後に感謝の気持ちなんて伝えて何になるんだ。湿っぽさが増すだけで、死ねば何も無い。残るのは無だ。だけど、せめて俺が言ってやらなきゃ、コイツが報われないと思った。 「……ありがとな」 「うっ……うぅ。れんく……ずりぃよ……今そんなごど……」 征也はガキみたいに身体を丸めて、声を押し殺し泣いていた。息を吸うことが苦しそうに見えて、手を伸ばして撫でてやりたかった。 「お……俺が自分でし……死にますから。蓮くんは……見ないでくれ。あ……あんたは優しいから」 征也は胸ポケットから銃を取り出す。震えた手を必死に持ち上げて、こめかみに当てた。 「お前は馬鹿だ。馬鹿野郎だ。でも……お前をこんな世界に引き入れた俺が悪い。俺がお前と居たかったから。あの時の俺が1番馬鹿野郎だ。気付いてやれなくて……悪かった。俺と出会わなければお前は……」 征也の手を掴んで引き金から指を外す。征也の手は汗と涙で濡れていて、手の震えはおさまらない。征也を胸に抱き寄せると、征也は悲鳴のような声を上げて泣いた。 「……出会って良かったって言ってくれよ。そうじゃなきゃ……俺は……」 こんなにも過去に戻りたいと願ったのは初めてだった。いつに戻る? 征也がヤクに手を出す前? ヤクザになった時? 違う。叶うのならば……出会った時に戻りたい。 「蓮く……俺は……あんたのことが……」 「出会えて良かった。征也……お前がいてくれて俺は……幸せだった」 慟哭が胸を抉る。踏み外した道は元には戻れない。落ちた煙草の灰はもう掴むことは出来ない。征也の身体を、体温を確かめるように強く抱き寄せた。 「征也……征也……俺が……一生背負っていくから」 征也は「良かった」と小さく笑って、俺の手からすり抜けて車から降りた。コンクリートに仰向けで寝転がって、それからもう征也は目を開けることは無かった。 いつの間にこんなに寒くなっていたんだろうか。激しく吸い込んだ空気が、腹の奥を冷やしていく。空はムカつくくらいに星が綺麗で、物音ひとつしない。車のエンジン音と、自分の荒い呼吸が耳に届いて、目を袖で擦ってからまた空を見上げた。 「征也……先に地獄で待ってて。俺も……俺もすぐ行くから」 征也はもう何も言わなかった。だけど息を吸う胸の膨らみは、まだ大きく動いていた。征也の閉じた瞼から涙がこぼれる。頬を伝って、コンクリートに小さく染みを作った。立ったまま征也の体に跨ると、靴が征也の体に触れて、征也が少し震えた。俺の心臓は徐々に落ち着きを取り戻して、その頃には征也が人形のようにも思えた。よく知っている、とても愛しい俺の分身。 「征也……」 引き金を引く時にもう戸惑いはなくなっていて、銃声は大きく鳴り響き、鼓膜が振れる。征也の体は大きく揺れて、でもそれは人形が床に落ちたみたいな動きだった。そのまま、自分のこめかめに銃を当てた。熱を持つ銃口が、皮膚を痛めつける。征也の体温を奪っていく熱だ。 声を上げた。吠えた。こんなにも声を出したのはいつ以来だろう。手の震えが止まらない。 無理をして買ってやったスーツは血に染まり、征也の血で濡れた指先を舌で舐めて飲み込んだ。ネクタイピンは血に染まり、望んだ形ではなく手元に舞い戻った。 「これで……永遠に一緒だ」
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