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長いコール音が途切れて、沙羅の泣き声が聞こえた。生きている。
「沙羅? 沙羅……聞こえる? 今、九条さんに案内してもらってる。周りに何か見えない? しっかりして。相手の人は近くに居ないの? 電話繋いだままにして。お願い電話……切らないで」
「わんちゃん……多分この辺。そこがホテルだから」
車の窓を開けて辺りを見回す。冷めた空気がすっと喉を通り抜けると、息がしやすく感じた。
沙羅の言葉通り、黒いホテルをイルミネーションが派手に飾っていて、入るには躊躇してしまいそうな程、明るいラブホテルだった。
ラブホテルから連想されるものがぼやっと溢れて、胃の中が気持ち悪くなる。
「沙羅? 車のライト見える? 黒い大きな車よ。今降りるから」
「あっ、わんちゃん。服これしか無いけど、上着きせてやって。俺たちはちょっと相手探してみるよ。男の声怖いだろうから、俺たちは声出さないから沙羅見つけて車に乗せてやって。もし相手見つけたら大声出せる? すぐ駆け付ける」
九条さんは落ち着いた声で、スーツのジャケットを脱いで手渡してくれた。夜の町にロンT一枚で出てきた私は、裸だと言う沙羅を保護した所でどうやって帰ろうとしていたのだろうか。
「……ありがとうございます」
深い居た堪れなさと、優しさに胸が痛い。声が震える。早く沙羅を探してあげなきゃいけないのに、泣きそうになりながら車から離れた。
「沙羅ー沙羅ー返事して! 沙羅ー沙羅。見える? 私しか居ないから……出てきて」
夜の町に声が響く。ホテルに入る人達がこちらを怪訝そうな顔で見ていく。沙羅がどんな傷を負い、どんな姿でいるのか、想像するだけで足が震えていた。もしも相手の男が飛び出して来たらどうしようと不安になる。
「……なっちゃ……」
「沙羅? 見える? もう大丈夫だから。出てきて」
聞き慣れた声がする。子猫のような小さく弱った声だった。
「なっちゃん! なっちゃん……なっちゃん」
「沙羅っ。沙羅。体は? 怪我は? 」
沙羅の顔がはっきりと見えて、木の影で疼くまる沙羅の所まで走った。沙羅は私の胸に飛び込んできた。冷えた体からまだ体温が感じられて、九条さんに借りたジャケットを着せた。沙羅は何度も首を横に振って、子供のように私の体に強くしがみ付く。
「良かった。良かった。無事で……」
沙羅の背中を何度も何度も撫でた。九条さんのジャケットが擦れて、手のひらに熱がこもる。体が温まるように。傷が癒えるように。何を願っているか分からないまま、背中を撫で続けた。
「とにかく車に行きましょう。すぐに、警察に電話するから。もう……もう大丈夫だから。私がそばにいるから。沙羅、沙羅。怖かったよね。沙羅……無事で良かった」
車の扉を開けるとパッと電気が付いて、ジャケットの隙間から土まみれになった沙羅の体が見えた。血は出ていない。だけど靴も履いていない汚れた足が見えて、喉の奥から怒りと悲しみが込み上げて来る。震える沙羅を強く抱きしめた。
「良かった生きてて。病院も行かなきゃ。あとは警察にまかせ……」
「……まって……ダメ」
「なに? 何が……」
「違うの……ダメ。警察はだめ……違うの……」
「駄目よ。ちゃんと警察に言わなきゃ。こんな危険な目にあったのよ。今日じゃなくても良い。こんな……こんな酷いこと……」
「ごめん、話してる最中に。とりあえずここから去ろう。着替え持って来させたから、これに着替えてあっちの車に乗って。普通のミニバンに迎え来させたから、このまま送っていけるよ」
窓が開いたままになっていて、紺色のジャージとサンダルが車内に放り込まれた。窓を見ると九条さんが沙羅の体を見ないように、背を向けたまま話していた。
「そっそうね、沙羅。確かにここは危ない。車で話しましょう。すみません九条さん。何から何まで……」
体の砂をはらって、ジャージを沙羅に着せた。露出した体が隠せただけで、沙羅を守れた気がした。
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