犬飼夏月

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ジャージは洗濯したての優しい香りがして、サンダルは沙羅の足にはとても大きかった。足元のふらつく沙羅を支えながら車の外に出る。 沙羅を襲った人間が居るんじゃないかと不安になったけど、車の前で待つ九条さんの姿が不安を一掃させた。 後部座席に私と沙羅を乗せ、扉を閉めると九条さんは助手席に乗り込んだ。静かに運転席の男の人が「出ます」と声をかけ、九条さんは少し窓を開け煙草に火を付けた。 「沙羅……言える範囲で良いから……何があったの? 」 俯いた沙羅は口を閉ざし、私は無音を避けるように質問をした。 「……どうしてこんな場所に連れて来られたの? どこかで車に急に乗せられたの? もしかして相手は複数いるの? 」 声が夜の町に嫌われるように1人逃げていく。自問自答をしているようで、誰にも触れられずに言葉が落ちていった。 「……ごめん。そうよね。こんな怖い事があって急には話せないよね。ごめん。沙羅が生きていて本当に良かった」 抱きしめた沙羅の体は体温を取り戻していた。一言も発さない沙羅の顔はまた泣き出しそうになっていた。 「……良かったじゃないね。服を脱がされたんだものね。可哀想に……どれだけ怖かったか。でもちゃんも警察に言わないと。沙羅が泣き寝入りすることなんてない。ちゃんと罪を犯した人には……」 「……ちがうの」 「……ごめん。良いの。無理して話さないで、ごめん。私、沙羅の気持ちも考えないで一気にたくさんのこと聞いたりして……」 「違うの……連れ込まれたんじゃない」 「……えっ? え……じゃあ、え? もしかして……あ、あのマナトって男の人……? 怖くなって……」 それでも沙羅は何も答えなかった。これ以上、今は詮索すべきではない。生きていたんだからそれで良い。沙羅の背中を抱き寄せて頬を寄せると、髪の毛から外の匂いがした。怖い思いをした沙羅が可哀想で、思わず涙がこぼれた。 「……わんちゃん。余計なお世話だけど……沙羅が言い出せないみたいだから、ひとつだけ……」 「あ……はい」 沙羅の体が少し震えた。私は涙を指先で拭って、九条さんの方に目を向ける。 「あのホテルは……デリヘル、売春ご用達のホテルだよ」 道筋をいくら立てても、手ごたえは無くて、空回りしていた私に明確な答えがあっさりと下された。 「……え……デ……デリヘル……? ばいしゅ……? ど、どういうこと? 沙羅が? まさか自分の意思で? そ……んな訳ない。そんな訳ないよね。そんな訳ないです。沙羅は……違う……よね? 沙羅? ねえ。沙羅……何か言ってよ」 沙羅は下を向いたまま、何も言わなかった。さっきよりずっと項垂れているように見える沙羅は、それが答えのように思えた。違う。そうに見えるだけだ。沙羅は被害者。心無い変質者にラブホテルに連れ込まれただけ……ラブホテルに? 車じゃなくて? 人気のない場所じゃなくて? ラブホテルに連れ込まれるのはおかしくないだろうか。バイト中だった沙羅を? どうやって? 自分の中で疑問が明確になって、声が乱暴に出てくる。 「沙羅……沙羅……沙羅! ねえ! どう言うこと? 沙羅っ……」 「わんちゃん……ちょっと落ち着いて。怖くて逃げ出したって事は、客なんて取れなかったんだよ。今日の所は叱らないで……ゆっくり休ませてやって明日にでも沙羅の話ちゃんと聞いてやんなよ」 冬生まれの沙羅はまだ17歳。恋人は過去に2人くらいいたはず。環境に恵まれなくても、親と一緒に暮らせなくても、沙羅はちゃんと大人や義理だけど家族に囲まれて生きていた。 なのにどうして……沙羅はここで裸でいるのだろう。
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