犬飼夏月

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「……着きました」 誰も口を開くことはなく、運転手の男性の気まずそうな声だけが、私たちがその場から立ち去る合図になった。さっきの春樹という人とは別の人。どれだけの人が沙羅を探す為に協力してくれていたのだろう。 「あ……あのお借りしたスーツとジャージ……あ、サンダルも……あと……その……改めてちゃんとお礼を致しますので、連絡先をお伺いしてもよろしいでしょうか? 」 「全て安物なんで結構です。お礼も。僕は宅配便の人間なのでね」 突き放すような言葉は、一方的な言葉を投げかけ続けてきた自分に舞い戻る。 「す……すみません。本当に……この間は失礼な事を言ったのに……あなたに頼ってしまい……みなさんのお陰で……沙羅を助けることが出来ました。本当に何と言ったらいいか……」 自分勝手。暴力団だからと言って距離を置いて、必要だからと言ってまた近付く。恥ずかしいほど自分勝手だ。 「……そうしましたら、今度こそカウンセリングでもお願いしましょうかね。これは俺の表向きの名刺です。社長業もなかなか大変でしてね、部下の管理やら経営やらで」 「……必ず……連絡致します。今日はその本当にありがとうございました。その……部下の皆さんにもよろしくお伝え下さい」 内ポケットから出された名刺入れ。選ぶように抜き取られた名刺は、少しざらつきのある白い素材だった。私の名刺よりずっと高そうな素材で、筆文字で、会社名と「代表 九条蓮」と書かれていた。 「ははっ。部下ね。分かりました。ああ、そうだ。沙羅のことは一方的に叱らないようにしてあげて下さいね。子供は叱られると本当の事は言わなくなりますからね」 「……はい。気を付けます。本当に……その何から何まで……申し訳ありませんでした」 謝罪をすることさえ、気を遣われて、罪悪感が積み重なっていく。嫌な顔一つせず、笑って手を振った九条さんは、車に乗り込んだ。もうこちらに目は向けない。 首筋に風が抜ける。急に体が肌寒さを感じて、右手に抱えたジャケットを持つ腕だけが温かさを持っていた。 彼らは何も悪くない。一度しか会ったことのない沙羅の為に、車を手配し、暗闇のなか沙羅を探し、服まで貸してくれて、文句一つ言わずにここまで送ってくれた。私は彼らを偏見の目で見て、突き放し、最後は頼った。愚かさと浅はかさ。拭えない自分の未熟さに溜息も出ない。車のテールランプが見えなくなるまで目で追いかけた。引き返せないほど、後悔がここにあった。
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