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「初めまして。私は、橋本悟と申します。片山史郎さん……で、宜しかったですね? あなたのことは、こちらにいる山下カオリさんから聞いています」
一見やり手の営業マンに見えるような、きっちりとした背広を着た橋本というその男は、背広に相応しいきっちりとしたお辞儀で俺に挨拶をした。ほぼ寝起きの恰好に近いままで、軽く羽織っただけの薄汚れたジャンバーに、シミの付いたチノパンといういで立ちの俺は、「ども」と軽く頭を下げるに留めておいた。
「早速ですが、何分内密の話になりますので。部屋の中に、お邪魔しても宜しいでしょうか?」
まあ、扉の前に立たせたままにしておくわけにもいかないだろうから、仕方あるまい。俺は「どうぞ」と感情のこもらぬ声で、橋本を部屋の中に招き入れた。
俺の住まいは、雑居ビルの屋上にある物置を改造した、通称「ペントハウス」と呼んでいる部屋だ。昔配信で見た『傷だらけの天使』という昭和の古いドラマが俺は大好きで、ドラマの主人公が住んでいたのが、ビルの屋上にある「ペントハウス」と呼ばれる住居だった。いつかあんな場所に住んでみたいと思っていたので、俺にしてみれば「長年の夢が叶った住居」ということでもあった。
ビルのエレベーターは最上階、つまり「屋上の下の階」までしか通じておらず、そこから屋上までは階段を登って来ることになる。俺にとっての夢の住まいも、カオリにしてみれば「ダルい、めんどくさ」とブツクサ文句を言う対象に過ぎなかったのだが。
それでも俺は、晴れた日に屋上から見下ろす、薄汚い都会の光景が大好きだった。地上のゴミゴミした雑踏とも、腐臭を放つゴミの山とも切り離されたところに、俺が暮らしている場所がある。例えそれが錯覚や思い込みに過ぎないとしても、そんな感覚を味わえるだけでも、この場所は俺の「理想の地」だと言えた。
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