Episode 8

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見つめ続ける目をそらすことなく、リィは抑揚のない声を出した。 「君はなにもかも幸せだっただろう?」 「小さい時のこと?」 「……ああ。それを奪うような事を言ってしまって申し訳ないと思ってる」 あの時の言葉を後悔しているのか。それなら謝らなくてもいいよ、と首を振った。だって、今も自分は父を信じているし、きちんと調べるつもりだから。あの母からの便箋が心強い。あれで必ず真実まで辿り着けるはず。 「逆にあなたが辛かったんじゃないの?」 「俺が?」 「うん。だって施設で育ってるって……みんな色々あったんだろうなって」 その言葉に小さく微笑んで、リィは智沙子をまた抱き寄せた。今度は彼の鼓動が聞こえる。早くなくてしっかりとした心音。彼は何を思ってるんだろう? 何か他に言いたい事があるんだろうか? でもそんな事よりも、いまとても幸せかもしれない。私はこんな素敵な人とこんな場所で、こんな恋をしている。少なからずそれは彼女を酔わせた。芽生え始めた恋心に、智沙子はそっと目を瞑ったのだった。 夕飯を食べてから、リィは自主トレの為に部屋へと戻って行った。この時間でセリフを読み込んだり、身体を動かしたりする事が多いらしい、というのは同居してからすぐに分かっていた。 隙を見て、智沙子は自室に戻り、そっとあの母の走り書きを出す。【小谷 徹夜――】 少し揺れる指先でスマホにその人の番号をタップする。出てくれたらなんて言おうか。なんて言ったら自分の事を分かってくれる? ハラハラしながら何度かコールを聞く。 『はい。もしもし』 少し掠れた男性の声だった。 「あ、あのっ、わたし、中嶋と申します。父が昔にお世話になりまして、その娘なんですけど、中嶋智沙子と申しますっ」 声にチカラが入ってしまった。 「……なかしま? なかしまさん……、あ、あの中嶋さん? お嬢さんですか?」 相手の声は一瞬で跳ね上がった。おそらく思い出してくれたのだろう。父を。 「はい。警察のお仕事で父が大変お世話になりましてありがとうございます。急にご連絡をしてしまい、申し訳ありません。少しお聞きしたい事がありまして」 相手は一瞬黙った。 この間、智沙子は気を揉んだ。 『……いやあ、お父さんはとても残念でしたなあ。逆にこちらがたくさんお世話になったんですよ。あのとき……お嬢さんは……あなたは学生さんでしたよね?』 昔の記憶を呼び起こしているのか、小谷はゆっくりと話し出した。 「はい。もう何年も前の事になると思うんですが、その、当時の事を教えてもらいたくて……」 瞬間、小谷がハッと息を飲んだのが分かった。
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