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今のままであなたはお父さんになるのよ、と言葉にしかけて、出来ない自分がいた。あまりにも「お父さん」というものと彼がかけ離れているような気がして。
「……きっと、産まれたらすごく幸せな家庭が出来るよ」
頑張ってそれだけ言葉にした。
……彼はとても謎が多いけど。あなたにはキラキラした舞台がお似合いだけれど。
「そうかな? そうだよな。だって、智沙子はしっかり者だしな」
「うーん、私も頑張るつもりだけど……でも、やっぱり初めての出産だし不安だよね……」
「不安なのか?」
「うん。でもこの子と一緒に乗り越えられるって思ってる。それに、あなたもいてくれるから」
「……そうだね」
それからなんとなく寄り添い、彼の手が智沙子の頭を包み込むように撫でる。こういうふうにされると安心感が心に湧いてきて、何もかも上手くいくという気持ちになる。まるで安定剤みたいに身体の隅々まで染み渡るのだ。
「私、頭撫でられるの好きかも」
笑いながら言うと、リィはそっと智沙子を抱きしめた。
リビングの大きな窓からは晴れ渡った青空が広がっている。晴天で霧のような薄い雲が浮かんでいた。座ったままそれを眺めると視界では地上がカットされる形になるので、まるで二人だけで宙に浮いているような感覚になる。
「なあ、智沙子。俺は昔にとても憧れた家族があるんだ」
「ん? そうなの?」
智沙子は身を預けたまま、返事をする。
「ああ。大きな洋館で、優しそうなお母さんとお父さん……、それから小さな女の子がいた」
リィは平坦な口調で喋る。
「初めて玄関を開けてもらった時には、中から焼きたてのお菓子の匂いがしてさ……、童話に出てくる家族みたいだったんだ」
「そうなんだ? それは小さい時に見たの?」
「ああ。それは君の家だよ」
智沙子は驚いて頭をあげる。
「君の家はとても理想の塊だった」
彼の瞳の奥には少しばかりの哀しみが混じっているのが分かった。それは複雑な幼少期を嘆く気持ちからなのか、それとも……?
「……君が羨ましかった」
リィはそっと智沙子の離れた頬を手の甲で撫でる。「あなたは私の父親の事を……、」と言いかけた時、リィはそれを遮るように口を開く。
「君の父親は幼児虐待の犯罪者だった。確かにこれは事実だよ。けれども、それよりももっと酷い人間なんてこの世にごまんといる」
それは父への許しの気持ちの言葉? 真実はまだ分からないけれど。智沙子はリィの顔をじっと見つめた。
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