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出発
コルタスは階段を下り、地下道を進んだ。
作りは坑道と同じで頑丈だが、じっとりとした湿気がランプの光を鈍らせる。
好きにはなれない暗い道だ。
どうもここには不穏な何かがある気がする。
これはシーフの勘なのか、それとも……?
得体の知れない違和感を探りながら歩く。
曲がり角を過ぎたあたりで、妙な気配を感じた。
このあたりの魔物の気配ではない。
コルタスは、ランプを床に置いて短剣を抜いた。
マインゴーシュの刀身がランプの光を反射させて天井に白い軌跡を作った。
「敵ではないわ、コルタス」
女性、声の感じからしてヒューマン族かエルフ族か!?
しかも自分の名前を知っている?
明かりの届くか届かないかの距離の先にボンヤリと人のシルエットが現れた。
声色からも確かに敵意を感じなかったため、コルタスはマインゴーシュを鞘に収めた。
「知り合いかい?」
「あなたは私を知らないでしょうね。
私はウォルペの北の山に住んでいるアーシェス。
うわさを聞いたことはあるんじゃないかしら?」
「そういえば、聞いたことがあるなぁ。
北にひとりで隠居生活を送っているヒューマンの女性がいるって。
隠居っていうから、お婆さんかと思ってましたよ」
なるべく親しみを込めて答えたコルタスだったが、アーシェスと名乗る女性の反応はなく、近づこうともしてこない。
何か顔を見られたくないか、距離をおきたい意図があるようだった。
「それで、そのアーシェスさんがなぜこんな所に?」
「あなたに警告があって」
「俺に?」
「端的に伝えるわ。
レナンが保護しているアノルをオーゴスに戻させなさい。
オーゴスには孤児院があるから、そこに預けなさい。
それと、あなたはウォルペを離れない方がいい。
ましてや、管理機構を探ったり関わったりしないことをお勧めするわ」
さまざまな疑念が渦巻いたが、コルタスは身動きしなかった。
まるで罠を見極めんとするシーフの目で、その女性のシルエットを凝視する。
「さすが、中立であるにも関わらず、14にして最もニンジャに近いとうわさされるシーフね。
慎重な上に、察しがいい」
いいながら、女性はランプの光の圏内に踏み出し、おぼろげながら顔を見せた。
どうやらそれが、彼女なりの最低限の誠意のようだ。
目鼻立ちの整った、20歳より少し上のヒューマンの女性だが、冷たく無表情で親愛さは感じられない。
「察しの通り、詳しくは話せない。
でも、忘れないで、私はあなたの敵ではないことを」
そして、女性は再び闇の中へと後退した。
「俺は、ニンジャなんちゅう殺戮マシーンなんかにゃ、興味ない」
人としては有り得ないような気配の消し方をする人物だ。
彼女こそ、ニンジャ……?
いや、不死の魔物のような……。
また女性が現れるのを期待するかのように、コルタスはしばらく闇を見つめ続けた。
*
「レナンには気づかれていないな?」
月明かりの中、ダンの問いに対してコルタスはうなずいた。
「ダン、レナンには会ったのかい?」
「いや……。
それより、作戦だ」
ダンは、それ以上のレナンの話題を避けるように、今回の探索方針について語り出した。
このパーティの中においては力の弱いダンではあるが、ファイターのフィーリにも劣らず堂々と頼りがいのある姿だ。
それは人並外れた経験値の多さ、レベルの高さから滲み出るものなのかもしれない。
実際、麻痺などで行動不能になったメンバーを担ぎ運べるほど、一般人とは比べものにならない腕力の持ち主ではあるのだが。
「当然だが、今回は登録所にもアリオにも探索の手続きをしていない。
そのため、手持ちの中でやりくりする必要がある。
聖水は前回の残りが少ししかない」
聖水は、“キャンプ”と呼んでいる休憩の際に、魔物から気配を消すために使われる。
強力な結果が張れるわけではないが、正しく使えば魔物の襲撃を避けられる。
また、聖水は死亡者に対しての防憑処理に使われる。
防憑処理によって、腐敗とゾンビ化を防ぎ、蘇生呪文の成功率を上げることができる。
聖水やランプの燃料などの基本的な探索道具は、登録された魔物狩り冒険者に対してアリオ寺院や酒場で無償提供される。
登録者はその対価として、ときおり公的な魔物退治や要人護衛に駆り出されるが、そういう公的指令はあまりなかったし、報酬ももらえるため、報酬目当てで冒険者になる者もいるほどだ。
「わかっていると思うが、俺はまだ治癒までしか使えない。
今回もレナンはいない。
そのため、死んだらアウトだ。
この量の聖水では、ひとり分の防憑処理さえままならないだろう」
ダンが聖水の瓶を取り出してそれを振る。
チャプチャプと瓶底を打つ小さな音がいかにも心もとない。
間違いなく、第6位までの僧侶呪文が使えるレナンがいないのは正直痛い。
第6位までの僧侶呪文には、傷を完全に癒す快癒や、条件さえ整えば死者を蘇らせうる復活を含んでいるからだ。
しかし、今回はレナンを救うための作戦である。致し方ない。
「従って、魔物は雑魚だろうが可能な限り逃げる。
戦利品も手を出すなよ、コルタス。
おまえは索敵と逃走経路確保に注力してくれ」
「あいよ」
「幸い、青銅の盾はあるし、毒と麻痺対策はできている。
キブマまでの魔物は危険ではないだろう。
とはいえ、夜の探索は未経験だ。
夜間特有の見知らぬ敵に出くわす可能性があるかもしれない。
気を抜くなよ」
コルタスとフィーリが無言でうなずく。
フィーリのプレートメールの擦れる音が、まだ冷える夜の空に響いた。
「よし、行こう」
中天の月が、ウォルぺから隠れるように発つ3人を見つめていた。
*
「もうすぐホヤだ」
珍しくフィーリがつぶやく。
この辺りの敵は強くはないが、しっかり倒しきらないと延々と発生する防衛ポイントがいくつかあり、そこでは戦闘をせざるを得ない。
3人の周囲には黄色いゴーストの群れがずらりと発生していた。
夜だからだろうか、やたらと数が多い。
「面倒だ、呪文でなぎはらう」
「え。
大丈夫かい?
こんなところで呪文を消費して」
「ホヤで休めば翌朝には回復している。
時間稼ぎを頼む」
「あいよ!」
ダンの顔に焦りが見える。
それだけレナンの病状が秒読み段階に入っていると考えているのかもしれない。
コルタスとフィーリでダンを守るように前に出る。
ゴーストらのややひょうきんともいえる顔が月明かりにむしろ不気味に映える。
こいつらの暗霧の呪文は厄介だ。
コルタスとフィーリなら防御力が多少落ちるだけだが、術にかかってしまうとダンは呪文を一時的に封じられてしまう。
だが、それは杞憂だった。
コルタスがゴーストの1体を両断したところで、背後から魔法風が起こった。
ダンの呪文が発動寸前なのだ。
それを合図に、コルタスとフィーリが両脇に退ける。
と、同時にダンの手に複雑な印が結ばた。
「大雷!」
呪文は神聖幾何学と 真言の組み合わせで構成されている。
最後の真言でそのエネルギーが現象化される。
バリバリバリという空気を裂くような音が広がった。
そこかしこに「ヒー」というゴーストらの悲鳴が響く。
反呪文による相殺で守られているものの、コルタスは思わず身体を膠着させてしまった。
毎度のことではあるが、呪文の効果とは凄まじい。
そもそもこの反呪文の結界も万能といえるのだろうか。
うわさによると、悪魔などの高等な魔物はこの反呪文結界を騙して自分への呪文効果を無効化してしまうというではないか。
「大雷でこの威力……。
うわさに聞く最強呪文の爆炎なんか、想像するのも恐ろしいね!」
辺りからはゴーストの影も形も消えていた。
わずかに残る人工的な魔法熱も既に消えており、地面の雑草の焦げが呪文が幻ではなかったことを証している。
「でも、せっかくなら爆炎まで覚えてからビショップになればよかったのに」
「第7位の呪文は確かに強力だが、登録所への届出が面倒だ。
それに、要人の馬車替りをさせられるのはごめんだ」
「あぁ、転移ね……」
「とはいえ、コルタスのいう通り、転移があればホヤまで一瞬で行けたんだがな」
そういいながら、ダンは足早にホヤへと歩き出した。
「石弓の矢!」
コルタスは魔物たちが通行人から奪った盗品入れの罠を見破るだけ見破って、恨めしそうにその場を立ち去った。
そのあとを落ち着いた足取りでフィーリが続く。
丘を越えた先に、月明かりに浮き上がったホヤの門が見えていた。
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