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越境
ギャアァァという声が響いて、2体の赤い翼竜が降下してきた。
ダンとレナンは即座に呪文の詠唱を始める。
理解不能な言葉に包まれながらコルタスは短剣を構えた。
こんなことなら、後衛用の弓も用意しておけばよかったと少し後悔したが、今考えても詮無いことである。
木や崖を利用して跳躍し、なんとか空中の敵に攻撃を浴びせるか……。
いや、せめてレナンが呪文に集中している間だけでも、背中でアノルを守ろう。
翼竜の着地と同時に目まぐるしい戦闘が始まった。
まず、レナンが空壁を放ち、4人の身体の周囲に薄い空気の防護膜が張られた。
僧侶の支援呪文だが、防御力向上効果に対して消費する呪文力が少ない。
アノルを守る意味でも、最良の選択であると考えたのだろう。
次に、ダンが猛凍を放った。
ダンが今使える、最強呪文である。
連鎖する結氷が一瞬のうちに巨大な塊を作り、それが崩れながら猛烈な氷の嵐となって翼竜を包む。
反呪文結界越しであっても、冷気の嵐が頬や腕に突き刺さり痛い。
ギィィという断末魔とともに、2体の翼竜が崩れる。
一瞬の勝負であった。
しかし、コルタスは戦闘体勢を崩さなかった。
見えている敵は全て倒したはずなのに、巨大な気配は消えていなかったからである。
ズン……。
* 挿絵:咲遥(https://twitter.com/suck_hal)
地響きがし、ようやく消えつつある氷の霧の向こう側に大きな赤い影が現れた。
先の翼竜らよりも2倍はありそうな巨体である。
「反呪文擬態か!」
ダンの言葉を合図に3人は行動を開始した。
ダンとレナンは再び呪文の詠唱を開始し、コルタスは彼らに先んじて攻撃するために腰を落とす。
霧が晴れ、獰猛な爬虫類の頭と、その口から漏れる炎が見えた。
コルタスの足が地面をつかみ、短剣が爬虫類の喉を的に定め、今まさに跳躍するその瞬間ーー。
「!!」
突然、混沌の波に飲み込まれた。
ゴォォという轟音と赤黒い光と影に覆われる。
遅れて、猛烈な痛みが全身を襲う。
全滅は一瞬である。
訓練場での教官の言葉を思い出す。
同時に肩に鈍い衝撃が伝わり、自分がその場に崩れたことを知る。
激しい痛みの中、ようやく周辺への知覚が戻ったとき、辺りは焦土と化していた。
巨大なファイヤードラゴンのブレスが辺りを焼き払っていた。
ここは赤竜の巣だったのだ。
しかも、反呪文擬態まで繰り出す親竜の。
あの管理者は、自らへの干渉を避けるためここを住居にしているのだ。
そう直感するものの、もはや意味はなかった。
やっと目がダンをとらえたものの、それは地面に丸まった法衣にしか見えなかった。
「アノルは……!?」
しかし、痛みで体勢さえ変えられぬコルタスの視野に彼はいなかった。
「レナン……、
レナン……!」
頭の中で呼んだのか、口に出せたのかはわからない。
だが、その叫びに呼応するようにレナンのひどくかすれた声が妙に鮮明に響いた。
「管理者様……!
どうか……!
この子だけは!」
コルタスは全身の力を振り絞ってその声の方向に身体を向けた。
見ると、そこには震える足で立つ、白髪のホルビトがいた。
肌も瞳も白い。
しかし、それは確かにレナンであった。
例の男の声は返ってこない。
親ファイヤードラゴンが息を吸う音が聞こえる。
愚かな侵入者を確実に死に至らせる2度目のブレスを繰り出そうとしているのだ。
「アノルだけは……!」
レナンの祈りにも似た願いが再び響く。
しかし、その願いは虚しく空間に消えていった。
そう感じられた。
しかし……。
「その護符は……」
別の女性の声が響いた。
声に聞き覚えがある。
あの、ウォルぺ=ホヤ地下道で聞いた声だ。
確か、アーシェスという名だったか……。
見ると、崖の上にスラリとしたヒューマンの女性が立っていた。
確かに、あの地下道で見た人物だ。
女性が下方に手を伸ばしている。
その先に、目の前の親ファイヤードラゴンがいる。
そして、ファイヤードラゴンは、時間が止まったように静止していた。
「あなたも人なら、……なら……!
わかるはず。
私の願い……が!」
途切れ途切れのレナンの声に、アーシェスは答えなかった。
が、替わりに呪文にも似た複雑な印を組んだ。
彼女の手の軌跡が光の幾何学模様になり、そして発散した。
それに呼応するように、ファイヤードラゴンはため息のような呼気を漏らした。
吐きかけた大量な炎が鼻から逃れ、辺りの空気を焦がす。
さらに、死んだと思われていた2体の若い翼竜が重々しく身体を起こした。
3体のファイヤードラゴンは、ずるずると重い足を引きずるように右手の茂みの奥へと去っていった。
「アーシェス!
君は!」
崖上に先の男が現れた。
ひどく慌てた様子だ。
アーシェスは彼を無視するかのように再び、手で光の幾何学模様を描いた。
「そんなことをしたら、機構側に……!
君自身も無事では済まないぞ!」
コルタスはようやく上体を起こし、アノルを探した。
アノルはレナンの少し先で倒れていた。
しかし、不思議なことに彼はブレスの熱に焼かれたように見えなかった。
気絶はしているが、火傷ひとつない白い顔をしている。
「レナン、その護符をもらえるかしら」
「こんなもので良ければ……」
レナンはアノルの首から、先端に四角い札の付いたネックレスを取り出し、差し出すように道に置いた。
「これはお礼よ」
アーシェスがまた手を動かすと、レナンの身体がわずかに光った。
「あなたの呪文力を少し回復した。
帰還の呪文は使えるわね?」
「はい……」
直後、道に置かれた護符がフワリを浮かび、崖の上へと飛んだ。
アーシェスはそれをつかむと、そっと両手でそれを覆った。
「ノルテ。
この力を、機構は無視できないはず」
「……」
アーシェスの言葉に男は同意しかねるようであった。
眉間にシワを寄せて中空を睨んでいる。
「あの、ダンを……」
アーシェスがゆっくりと首を横に振る。
「ごめんなさい、ここまでよ」
そういって、アーシェスは崖後ろの茂みへと去り、その後男も去っていった。
*
「ダン……!」
大治で復活したコルタスがダンに駆け寄る。
虫の息だが、まだ息絶えてはいなかった。
「レナン、俺に呪文を使うな。
ここで呪文力が尽きれば、アノルを救えないぞ。
それより、コルタスと話させてくれ」
レナンの顔に悲しみがあふれた。
だが、残りの呪文力を一番知っているのは本人なのだろう。
唇をグッと噛み、振り切るようにアノルを連れて道の端へと歩いていった。
コルタスはかがみ、ダンに耳を寄せた。
「……コルタス、ひとつだけ答えてくれ。
あの子は……。
アノルは、お前の子なんだろう……?」
「ダン……」
意外な問いだった。
しかし、ダンの目は穏やかだった。
「そうだよ」
コルタスがうなずくと、ダンは目を閉じた。
「それでいい……。
さぁ、いってくれ。
俺はフィーリのもとにいく」
そういって、ダンはフッと息を吐き、眠るように動かなくなった。
*
コルタス、レナン、そしてアノルはウォルぺに戻った。
レナンは目の光を失い、黒かった髪はすっかり白くなってしまった。
その後は寝込みがちになり、食事もままならなかったため、コルタスはつきっきりで介護した。
あれ以来、アノルはますます塞ぎ込み、笑顔を見せることもなくなっていた。
コルタスの言うことは聞くものの、目を合わせようとはしなかった。
記憶の混乱があるようで、ときどきコルタスにもわからないような言葉をつぶやいた。
そんな日々が1ヶ月ほど続き、コルタスの疲労も限界になってきたとき、突然その日は訪れた。
朝、コルタスが食事の用意をしていると、フワッとスイセンの香りがした気がした。
それをレナンに伝えたくなったコルタスが、火を止め、彼女の部屋に入った。
窓から柔らかい陽光がさし、キラキラと部屋の空気を揺らしている。
またスイセンの香りがして、それがレナンからのもののように感じられた。
コルタスが近づくと、レナンは子供のように布団からのぞかせている手をフリフリと動かした。
手はすっかり白くなっており、むしろ爪は透明に戻っているように見える。
口がわずかに動くのを見て、コルタスはレナンの手をとり、顔を近づけた。
「アノルを、導いてあげて……」
そういって、レナンは息をひきとった。
強い風が吹いて窓枠がガタガタと震えた。
歪んだ窓から外を見ると、名前の知らない鳥が数羽、木から木へと飛び移っていた。
レナンが旅立った日、コルタスは夢を見た。
黒い石碑が並ぶ丘、妙に小ぶりな桜の木から落ちる同じように小さく白い花びら。
そこに、体型はヒューマン族に近いが、確かにレナンとわかる人物が、膝を折ってかがんでいる。
黒髪に黒い服、手には数珠のようなものがある。
石碑に対して手を合わせ、儀式めいた礼法で黙祷をしている。
これは巨人のビジョンなのだろう。
それの証に、やはり周囲に見える草木が妙に小さい。
「あぁ、あの石碑は墓だったんだ」
目を覚ましたコルタスは、そうつぶやいた。
横には、レナン宅から移ってきたアノルが小さな寝息を立てていた。
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