旅立ち

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 コルタスはアノルの手を引いて、すっかり荒れ果てたきつい傾斜の獣道を進んだ。  ウォルぺの北門は朽ちかけていたが、隙間をくぐり抜けた。  傾いた門は、からまったアケビの(つる)によって支えられていたものの、じきに草木に飲み込まれることだろう。  この道には、恐ろしい魔物が出るとの(うわさ)があったが、今のところその気配はない。  新緑の下に残る去年の枯れ草をふたりが踏みしだく乾いた音が周囲に響く。  新米のウグイスが求愛歌の練習をしているが、コルタスの心情を反映するかのように物()げだ。  巨人たちであれば難なく踏み進むことができるだろう(とが)った枝葉を、アノルが傷つかないように避けながら進んだ。  握るアノルの手が暖かい。  アノルの目は相変わらず宙を浮いていたが、足どりはしっかりとコルタスの後をついてきている。  その目に見えぬ信頼が、コルタスの胸には痛かった。 「この道でいいんだろうか……。 悪いなアノル、そんなに遠くないはずだから頑張ってくれ」  コルタスの言葉に、アノルは「うん」とだけ短く答えるのみであった。  レナンの葬儀(そうぎ)後からアノルは起きているのか寝ているのかわからないような状態であった。  かと思えば、長時間家の周りをうろうろすることもあったが、決まって言葉はなかった。  今もまた、どこに連れて行かれているかもわからないはずなのに、何の疑問も投げかけない彼に、コルタスは底知れぬ悲しみを見た気がした。  もう2時間近く歩いただろうか。  グネグネと蛇行していた道が直線になり、しばらくすると平らになった。  その道の様子は、あのノルテと呼ばれていた男の家の近くに似ており、整備され歩きやすい。  好ましいことに、やはり魔物の気配はない。  大きな建物があった。  明らかに巨人たちが利用していたものだ。  壁面も屋根も波打つ金属でできており、あまり手がかかっていない印象だ。  何かの倉庫のようだが、すっかり白く濁った窓からは中をうかがうことはできない。  大きな倉庫の横に、小人サイズの質素な小屋が寄りかかるように建っていた。  こちらの窓は曇っておらず、人が住んでいる生活感が伝わってくる。 「コルタスね」  その小屋の出入り口が開き、中からアーシェスが出てきた。 「それと、その子は確か……」 「アノルです」 「何しに来たの? 管理者に関わる危険性は十分に理解しているものと思っていたけど」  腕を組むアーシェスの態度が暗に帰れといっている。  だが、コルタスは(ひる)まなかった。  そして、頭を下げた。 「どうか、アノルをよろしくお願いします」  ざわざわと湿った空気が流れた。  山の天気は変化しやすいものだが、それ以上に何かがざわめいているような気がした。 「私はあなたたちに干渉(かんしょう)できない」 「……」 「3年前、私は巨人たちが使う自動車と呼ばれるものの下敷きになって死んだ。 そして、管理機構の消滅(ロスト)を回避する蘇生術の代償として、私はこの地域の管理者になった。 管理者としての(おきて)に反することは、契約違反によって命を取り上げられることを意味している。 つまり、あなたたちへの干渉は私の命に関わる。 私も、死にたくはないの」 「でも、あなたはあのとき、掟とやらに反した。 そして、まだ生きている」  アーシェスが、腕を解き、ため息をつきながらそろえていた足を崩した。 「それにもうひとつ。 あなたは今も、俺を無視することができたはずでしょう。 俺の予想だけど、他の人だったらそうやって出てこないんじゃ? なぜ、俺と話すんです?」  アーシェスが再びため息をついた。 「賢いホルビトさん。 あなたは特に管理者である私が守べき存在なの。 あなたは、この地域に降り立った空隙(くうげき)移民と呼ばれる巨人の魂を受け継ぐものだから」 「え?」 「魂という概念は、記憶の器としてモデル化できる。 その器は決まった形や大きさをもつわけではなく、他の魂とくっついたり離れたりする。 あなたは、ウォルぺに生まれたコルタスであると同時に、巨人の世に残ることを拒否した人間でもある。 今、この世界は幽界が消えたことによって、あまりに過密になってしまった。 そして、さまざまな信念波動に分裂することを人間の集合意識は選んだ。 似たような信念波動の者同士が、分裂したそれぞれの世界で生きることになったの」 「???」 「まぁ、そのうち理解できるようになるわ。 とにかく、あなたはいわゆる白爪病と同じ病で世を去ったかつての巨人でもあるのよ。 世界が分裂するときに起こるギャップ現象が空隙。 あなたがた空隙移民はよりその影響を受けやすいの」  それが、巨人の記憶がある理由のようだった。  ということは、アノルもまた……。 「そんな希少な移民は管理者が特に注意深く見守ることになっている。 また、そんな移民の自由意志には特に干渉すべきではない、とされているわ。 ウェルぺに生まれ落ちたあなたは、ウォルぺを管理している私の管轄(かんかつ)よ。 だから、あなたの求めに対しても“干渉”できない」 「じゃあ!」 「でも、その子を預かることはまた別の話よ。 なぜなら、アノルもまた空隙移民ではあるけど、オーゴス生まれだから私の管轄ではないの。 管轄外の移民には干渉どころか関係することも禁じられているわ」 「そんな……! じゃぁ、アノルは誰の管轄なんです?」 「モロドと呼ばれるヒューマン。 彼の管轄はオーゴス。 しかし、巨人嫌いな彼は移民に対しても懐疑(かいぎ)的……。 憎んでさえいると聞くわ」 「それじゃ、オーゴスの孤児院にアノルを預けたって安心できない!」 「それでも、掟ではモロドに委ねるべきだわ。 私が守れるのはコルタス、あなただけ。 あなたはなぜ、アノルを私に預けたいの? あなたの望みは何?」  湿った風が再び吹き抜ける。  まもなく雨が降るだろう。  コルタスはアノルの手を握ったまま沈黙した。  そして、意を決したように手を強く握り、口を開いた。 「アノルが大きくなって自分で人生を選べるようになったら、アノルを導きたい。 それがレナンとの約束だから。 そして、レナンに会いたい。 分裂した世界を渡ることができるなら、死んだ人の世界にも行けるはずだ。 その(すべ)を探し出したい」 「そう……」  コルタスがしゃがみ、アノルの両手をとって顔をのぞきこむ。  アノルも何かを(さっ)したのか、コルタスの目をじっと見つめた。 「アノル、君はどうしたい? 君の願いなら、管理者は“干渉”できない。 君の意志は尊重されるはずだよ」  アノルは少しうつむいた。  それから、そっとコルタスの手を離した。 「お姉ちゃんのところに行く……」  コルタスが聞く、「うん」以外の初めての意志あるアノルの言葉だった。  アノルはアーシェスのもとに歩き、そして彼女の手を握った。  水滴がポツポツと落ち、地面に丸い染みが増えていった。  *  朝の光が窓からさしこみ、少年から青年になろうとしているアノルの顔を照らす。  初春には珍しい少しだけ降ってすぐ止んだ雨が、土の匂いを運んでくる。  窓から外を見ると、谷間を挟んだ山々に雲が漂っている。  その山の中腹に、銀色の木があった。  アノルはこの木を眺めていることが多かった。  一見枯れているようにも見えるが、この世界にしっかり根付き、その存在を誇示しているように見える。 「お客さんが来たからここで待っててね」  アーシェスはそういって、小屋から出ていった。  台所と寝床兼居間だけの簡素な小屋に残されたアノルだったが、来客という珍事に胸騒ぎを覚えた。  窓の外を見ると、黒い装束(しょうぞく)を被って顔が見えないヒューマンの男らしき人物がアーシェスとともに倉庫の中に入っていくのが見えた。  見慣れぬ他人だからなのか、アノルの背筋に悪寒が走った。  倉庫の中は巨人たちが残した四角い大きな“シャリョウ”が並んでいる。  アノルにとっては遊び場ではあるが、外の人がそこに何の用事があるのだろうか。  しばらくすると、バンッという大きな音が聞こえた。  急いで小屋を飛び出し、倉庫へと走るアノル。  近頃シーフとしての訓練をアーシェスから受けているアノルの手や耳に、違和感が走る。  アーシェスの気配が小さくなっているような気がしたのだ。  普段は閉じている倉庫の入り口が少しあいていた。  すっかり晴れ上がった太陽の光が、曇った窓から倉庫の中へと射し込まれている。  光の筋が、先ほどまで倉庫内で砂埃(すなぼこり)が巻き上げられていたことを示していた。  おそるおそる入る。  外と隔絶されたひときわ澄んだ静寂が耳鳴りのように感じられる。  いいしれぬ緊張感が、アノルの神経を研ぎ澄ます。  奥に進み、青い大きな箱、通称“シャリョウ”の間に少し広い空間があった。  その砂場に、アーシェスが横たわっていた。 「お姉ちゃん!」  駆け寄るアノル。 「モロドは死んだわ……。 あなたはノルテの管轄に移ることでしょう。 そして、モロドのマシーンもまたノルテに引き継がれるわ。 ノルテは厳格な人だけど、きっと非情にはなりきれない……」  状況を飲み込めず、立ち尽くすアノル。 「行きなさい、アノル。 そして、あなたの本当の望みを(かな)えなさい。 あなたの生のために懸命に生きた人々の祈りは、あなたの表層にある消滅(ロスト)願望とは別の運命を結実させていくわ。 それは、この世界の運命をも変えていく。 それが、人と世界と時代の狭間に生まれたあなたの使命」  それだけいうとアーシェスは目をつぶった。 「お姉ちゃん!」  直後、驚くことが起きた。  アーシェスの身体がみるみる灰になっていく。 「!!」  そして、その灰は風に吹かれたかのように流れるように消えてしまった。  アノルはただただ立ち尽くすことしかできなかった。  *  風が春の淡い雲を流し、空が少しだけ明るくなった。  谷向こうの山が白く霞んでいる。  モズの鳴き声が風に紛れ、芽吹きつつある枝のざわめきに彩りを与えている。  アノルは、倉庫の横の切り落としたように垂直な崖の上に立っていた。  いつからここにあるのだろう。  足もとにある丸い石に花を添えた。  ここのところ、寝込むことも多く記憶の混乱も自覚している。  だが、いつまでもここにいるわけにもいかない。  お姉ちゃんを探さなくては。  人が突然灰になったりはしないし、あれはきっと転移(テレポーテーション)か何かなんだろう。  きっとどこかにいるはずだ。  木々や地面にポツポツと新緑が芽吹いている。  この季節にこの辺りではない山道を歩いた、という幼い頃の記憶がある。  春特有の強い風には気をつけなくてはならない。  枯れ葉を踏みしだく乾いた音が騒がしい。  着慣れぬ革鎧が重い。  アノルは、この時期にまれに現れるという魔物の気配を探りながら、山を降りていった。  了  * あとがき *  流行りもトレンドも無視した拙い文章を読んでくれてありがとうございました。  もし、NIZ、MIZ、この小話というフルコースでここまで至ったのであれば、足にスリスリしてヘソ天してありがとうと言いたいです。  本作は、埼玉のとある人口減少中の田舎における作者的な詩的事実……というとなんかカッコイイですが、ファンタジーなドラマ仕立てによる比喩をつらつらと書いたものです。  またどこかで作品を通してお会いできれば幸いに思います!  改めて、ここまで読んでくれてありがとうございました。
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