【もや恋5】美人の先輩がバツイチになって地元に帰ってきた

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【もや恋5】美人の先輩がバツイチになって地元に帰ってきた

 彼氏の亮太郎は、駅前の不動産屋に勤めている。彼の叔父さんが社長で、社員は経理のパートさんを入れて5人。亮太郎は高校を卒業して就職し、今年で営業マン6年目である。明るく人懐こい彼の性格は、客商売に向いていると思う。業績もけっこういいようで、先日はボーナスでサンダルを買ってくれた。  私は彼の勤める不動産屋から歩いて7分、商店街の米屋の娘である。短大を出て幼児教育の資格は取ったものの、育休代替スタッフとして2年ほど勤めた保育園を退職してからは、実家の事務の手伝いをしている。兄が一人いるが会社員なので、両親は私の結婚相手に店を継いでもらいたいと思っているようだが、さてそんなにうまくいくかな。      亮太郎と私が出会ったのは、地元の友人グループの飲み会である。彼の生まれ育ちは隣の市なので、中学も高校も一緒になったことはないが、距離にすれば電車で10分足らず。成長して行動範囲が広くなるにつれ、次第に交友関係が入り混じり、同じ地域コミュニティーの仲間となった。     「奇遇ですね、俺もチーズ揚げが大好きなんですよ」      それが彼の私に対する第一声だった。後から聞いた話では、勇気を出して距離を縮めようとしたらしいが、私が「そうなんですね」とあっさり躱してしまったため、盛り上がらず会話は終了。しばらくして共通の友人から「あんたの連絡先を知りたがってる男がいるんだが」と言われ、ようやくぼんやりと顔を思い出した。     「ああ、チーズ揚げの人か」      それくらい彼は女性に対して要領が悪かったし、何度かのデートの後に付き合い始めてからも、ロマンチックや洒落た演出には程遠い人だった。しかし逆に言えば、それが私にとっては誠実な印象だったし安心感があった。    だからそんな亮太郎の変化に、私はどうしていいかわからなかった。それは3カ月ほど前、彼の高校の先輩が東京から戻ってきたことに端を発する。       「へえ、世の中狭いねぇ」   「まさか我が校のアイドルが来店するとは思わなかったよ。接客したのが俺でラッキーだった!」      マリ先輩こと立花麻里さんは、亮太郎の高校の一年先輩。在学中はタレント事務所からスカウトが来るほどの美人で、地元タウン誌の読者モデルなどで活躍していた。亮太郎たち男子学生にとってはアイドル的な存在だったみたいで、卒業後は東京の会社に就職したそうだが、退職して地元に戻ってくることになったらしい。     「同じ会社の人と結婚したけど、相手が浮気して離婚したんだって。それで地元に帰ってくることになったらしい。信じらんないよな、あんな美人の嫁さんがいるのに、なんで浮気なんかするんだろうな」      そう言いつつ亮太郎が鼻の穴を膨らませる。浮気する男は奥さんが美人だろうがそうでなかろうが、チャンスがあればするんだよ。そう言いたかったが、純情な彼に敢えて世の闇を教える必要もないので、黙っておいた。     「それで、いい部屋は見つかったの?」   「もちろんだよ、俺の総力を結集して探したからね。駅から徒歩5分、南向きオートロック。ちょっと予算オーバーだったから、大家さんに交渉して共益費の分はまけてもらった。しかもフリーレント2カ月。どう、かなりいい条件じゃない?」      亮太郎が自慢気に言うのを聞いて、ちょっとムカついた。私の従妹の部屋探しのときは、そこまで頑張ってくれなかったよね。美人だから張り切ったのかと思うと、なんだか釈然としない。でも一応は仕事だし、お客さまにサービスするのは悪いことじゃない。そう思って言葉を飲み込んだ次の瞬間、亮太郎から発せられた言葉に耳を疑った。     「来週、引越しなんだよ。俺、ちょっと手伝いに行ってくるから」   「はあぁ?」      なんであんたが手伝いに行くのよ。先輩って言ったって、どうにか名前を憶えてもらっていた程度で、しかも卒業して数年ぶりに、たまたま飛び込んだ不動産屋で働いていただけじゃないか。なんかそれ、親切の度が過ぎてない?     「あんたはお客さんの引っ越しには、もれなく手伝いに行くわけ? それともお宅の不動産屋は、営業マンのお手伝いキャンペーンでもやってるの?」      ムカついたので言ってやった。だって変でしょ。うちの従妹の時とサービスに差があり過ぎる。青春時代のアイドルに再会して鼻の下を伸ばしているんだろうが、いくら物件を案内したからって、一人暮らしの女性の家にあがり込むなんて非常識だろ。しかも私という彼女がありながら。     「いや、人手が足りなさそうだったからさ。親御さんもいい年だし、妹は隣県にいるらしいし、気の毒じゃないか」   「家具は引越し屋さんが運ぶんだから、ダンボールの荷解きだけでしょ。そんなの自分でやればいいじゃない。どうしても一人じゃ無理って言うなら、女性スタッフが手伝ってくれるオプションもあるんだし」      しかし亮太郎はもじもじしている。すでに安請け合いしてきたようだ。いったい何なのよ、私には連絡先さえ聞けなかったチキンのくせに。美人が相手だとずいぶん積極的なんだね。私がなおも睨みつけていると、亮太郎はしょんぼりとした顔で妥協案を提示してきた。     「じゃあさ、谷口にも一緒に行ってもらうよ。それならいいだろ? 先輩は悪いからいいよって遠慮してたんだけど、俺が調子に乗って任せとけって言っちゃったんだよ」      谷口君は亮太郎の幼なじみで、私もよく一緒に遊ぶ仲だ。彼もとんだとばっちりで迷惑だろうが、彼氏が女性と二人で密室なんて許せないので、ぜひご協力をお願いしたい。まあ、今回は亮太郎が勝手にはっちゃけただけだし、見逃してやることにする。もしもマリ先輩が自分から手伝いを頼んで来たのなら「絶対に断れ」と言っただろうけどね。  その谷口君が、うちの店にふらりとやってきた。珍しい、うちは米屋だから若者男子は滅多に来店しないのだ。営業回りの途中らしいが、話があるというので早めの休憩をもらって近所の公園へ向かった。なんだろう、悪い予感しかしない。     「この間はごめんね、亮太郎が迷惑かけちゃって」   「あー、その事なんだけどさ」      努めて明るくふるまった私に、谷口君は重たい口調で切り出した。やはり、聞きたくなかった部類の話のようである。 「マリ先輩って人の事、どこまで知ってる?」 「高校の先輩って事くらいかな。すっごい美人なのに、旦那さんが浮気したから離婚して地元に帰って来た、って事は聞いてるけど」 「実は亮太郎、高校のときにマリ先輩に告白して振られてるんだ」  嫌な感じがじわっと皮膚から染み込んでくる。私は手に持ったペットボトルを開けて、ひと口飲んだ。落ち着かないといけない。別に告白くらい誰でもするさ、学生時代の話じゃないか。「へえ、そうなんだ」で終わる話のはずなのに、なんだろうこの不穏なムードは。 「振られて終わってれば笑い話だったんだけど、あいつ諦めが悪かったみたいでさ。東京で就職しようとしてたんだ。採用されずに結局は叔父さんの会社に勤めることになったけど、しばらくは引きずってた」  しかし、そのうちマリ先輩に彼氏ができて、諦めざるを得なくなった。その時の彼氏が浮気して別れた元夫だったのだと、谷口君はため息をついた。 「今度こそ自分の方を向いてくれる、なんて所までは考えてないとは思う。彼女を裏切るような奴じゃないから。でも、ちょっと入れ込み過ぎなんじゃないかな。余計なお世話かもしれないけど、一応伝えといたほうがいいかなと思って」 「うん、ありがとう。私も気になってたんだ。まあ、引っ越しも終わったし、もう会う機会もないと思うけどね。この間、ガツンと釘を刺しといたし」 「そうだね、憧れの人と再会してのぼせ上ってるのかもね。傷ついたお姫様を救う、赤レンジャーの気分になっているんだよ、きっと」  いや、お姫様だったら王子様とか騎士だから。赤レンジャーは悪者と闘う人だから。まあ、それはいいとして。困ったものだ、我が彼氏にも。まさかあのオクテが美人に弱いとは思わなかった。不動産屋の職権を濫用して、デレデレしてる顔を想像するとムカついて仕方ない。  でもきっと、はしかみたいなものだよね。推し活の一種みたいなもんでしょ? そう、こういう時はドンと構えてたらいいんだよ、私は彼女なんだから。  そうやって無理やり流そうとしたものの、私の心の中では違和感が成長しつつあった。普段は何でも正直すぎるくらい打ち明けてくれる亮太郎が、なぜマリ先輩に告白した事を私に言わなかったのだろう。離婚の経緯や部屋の間取りまでぶっちゃけておきながら、それだけ伏せているのが不自然に思えた。「実は俺、告白して玉砕したんだよ~」と、笑いのネタにするのが普段の亮太郎だ。  誤解を招きたくないという気遣いだろうか。それとも、まだ先輩の事を諦めきれていないのだろうか。もしそうなら、私に知られたくないのも納得できる。でも、あの亮太郎に限ってそれは考えにくい。だったら、どうして。  モヤモヤと考えているうちに、意外なところから情報が飛び込んで来た。商店街の会合(と言いつつ実際は飲み会である)に出席したところ、女性向け雑貨を扱う店の奥さんからおかしな事を聞かれたのだ。 「ねえねえ、この間の香り、気に入った?」 「え、香り?」  ここしばらくその店では買い物をしていないので、何の事かと聞いてみれば、亮太郎が安眠効果のあるアロマディフューザーを買って行ったと言う。プレゼント用にラッピングを頼まれたので、てっきり私に贈るのだと勘違いしたようだ。いや、私もらってないですよ。てか、布団に入って2秒で眠れる体質だし。 「知人が引越したって言ってたから、お祝いじゃないですかね」  顔が引きつりそうになりながら適当に話を終わらせようとしたが、それを聞いていた寝具店のおじさんが、ダメージのでかい追い打ちをかけてきた。 「あー、それでかぁ。女性用のスリッパやタオルが入ったギフトボックス買って行ったから、てっきり浮気でもしてんのかと思って、嬢ちゃんには黙っといた方がいいだろうと思ってたんだよ」  どっとあがる笑い声に合わせて必死に愛想笑いをしたが、その日の宴会は食べ物の味がしなかった。せっかく私の大好きなお好み焼きを目当てに参加したのに。  それらの品物を、誰に贈ったかなんて聞かなくてもわかる。黙っていれば私に気づかれないと思っていたのだろう。甘いな、亮太郎。商店街のネットワークなめんなよ。個人情報保護法やコンプライアンスなんて通用しない、スケスケの情報網が張り巡らされているんだ。不動産屋の兄ちゃんが米屋の娘の彼氏だという事を、知らない店主はいない。  しかし決定的な証拠があるかと言えばそうでもなく、限りなく黒に近いグレーのまま、私と亮太郎の付き合いはその後も淡々と続いた。彼の態度は全く以前と変わらない。そのため、次第に私の勘違いだったんじゃないかという気がしてきた。  お母さんや親戚にプレゼントしたのかもしれないし、マリ先輩に告白した事も彼の中では些末な記憶になっていたから、私に言う必要がなかったのではないか……などなど。まだ彼の事が好きだったので、自分に都合のいいシナリオを描いては、きっとそうだと思い込もうとした。  しかし私はある日、はっきりと残酷な真実を知ることになった。店が終わってお風呂に入り、さて大好きな韓国ドラマの続きでも見ようかと思ってリモコンを探していたら、亮太郎から電話が入った。 「ちょっと下りて来れる? いま家の前にいるんだけど」  二階にある自室の窓から下を見下ろすと、亮太郎が営業車の前に立って手を振っている。何だろう、風呂上がりですっぴんなのに。取りあえずパジャマだけ着替えて、私は表に出て行った。 「どしたの?」 「これ、あげようと思って」  そう言って亮太郎は花束を車の後部座席から取りだした。真っ赤なバラにベビーピンクのリボン。彼から花なんてもらうのは初めてだったので、ちょっと戸惑ってしまう。今日は誕生日でも記念日でもないのに、いったいどういう風の吹き回しだろう。 「どうしたの、これ」 「いいじゃん、たまには。花、好きでしょ」 「うん、好きだけど……」  その時、私はあることに気がついてしまった。そしてグレーの中にあった現実を、瞬時に理解してしまったのだ。女は気持ちの切り替えが早いというが、この時の私がまさにそうだった。「溜め」が長かったせいもあるだろうが、私は10秒もかからず決断を下した。 「花には罪はないから、ありがたくもらっとく」 「うん」  喜んで受け取ったと思ったのか、亮太郎は満足そうだ。しかし次の瞬間、私は彼に引導を渡した。 「私たち、別れよう」 「へっ?」 「マリ先輩に告白して、振られたんでしょ」  ビンゴだ、それまでヘラヘラしていた亮太郎の目が驚きでまん丸くなっている。別に私は超能力者じゃないよ。あんたが間抜けにも、証拠物件を私に差し出しただけだ。 「この花束、12本あるでしょ。1ダースのバラはダーズンローズって言って、永遠の愛を誓う意味があるの。プロポーズとか告白とか、勝負かける時の花束だよ」  亮太郎はいよいよ表情を固くした。どう言い訳しようかと考えているんだろうが、私は一気にまくしたてた。 「このラッピング、商店街のフラワーショップ江藤のだよね。誰にどんな目的で贈るのか、詳しく聞かれたでしょ。あそこの店長、自分もダーズンローズで奥さんを射止めたから、告白用には気合入れて作るんだよね」 「いや、たまたま店に残ってたのがその本数で」 「こんなに大きさも開き具合も揃った見事なバラ、予約注文じゃないと無理だよ。あの店、店頭置きの仕入れは最低限だもん」  とうとう亮太郎は黙ってしまった。沈黙は肯定なり。やっぱりそうなんだね。ちょっと泣きそうになったけど、ぐっと堪えて私はとどめを刺した。 「ちなみに、ピンクのリボンは勝負のかかった告白用。白いリボンは奥さんとか彼女に贈る用。私、学生の時あの花屋でバイトしてたんだ」  亮太郎の眉毛が八の字に下がる。なんと雄弁な眉毛か。それが二度目の告白だったという事も、商店街でプレゼントを買っていたのも、全部知っているよと言うと「ごめん」と小さな声が聞こえた。謝られるのがいちばん辛い。 「好きな人ができるのは仕方ない。でも、それなら私と終わらせなきゃ。誰かのおさがりの花をもらった私の気持ち、わかる?」  私と別れなかったのは、先輩に断られたときの保険だろう。いくら彼の事が好きでも、そんな惨めな役回りはごめんである。誠実な男だと信じていたけど、小狡いところがあったんだね。もし商店街チームの情報がなければ、知らずに付き合い続けていたかもしれない。 「じゃあ、そういう事なんで。さよなら」  そう言って私は回れ右し、家のドアを開いた。もう涙が限界だった。弁解するようなら一発お見舞いしてやろうかと思ったが、亮太郎は引き止めなかった。こうして私たちの恋は終わり、私はむせ返るような香りのバラに顔を押し付けてわんわんと泣いた。  これまでにいくつか恋はしたけど、今回はとても後味が悪い。恋を失った悲しみよりも、信じていた人間に裏切られたショックが大きいんだと思う。  私は泣きながら、バラを花瓶に生けた。どんな事情があろうとも、やはりバラは美しい。この花が枯れるまでは、思い切り泣いていいことにしよう。商店街のカラオケスナックで、おっさん連中と演歌を熱唱するのもよさそうだ。そして涙も花も枯れたら、この思いと一緒に昔の恋は捨ててしまおう。  そう決心して私は12本目のバラを花瓶に差し込んだ。フラワーショップ江藤が取りそこなった小さなトゲが指に刺さり、私は痛みのせいにしてもう一回泣いた。
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