西国観音巡礼 後段   写真;美濃谷汲第三十三番札所華厳寺

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おわりに  私にとって四国遍路は、三回に分けた区切り打ちであったが、期間は二年の間に終えており、その意気込みの持続に衰えは感じなかった。そして、西国観音巡礼についても、当初の自転車で巡った熊野那智の青岸渡寺から京都の上醍醐寺までは、観音悔過という減罪信仰による抖擻行の思いを持っていた。しかし、その後は十年という歳月が過ぎ、尚且つ車を使うようになり、何故か巡礼の行という感覚が希薄になっていたのは否定出来ない。そのような時、図書館で借りた白洲正子著の西国観音巡礼に書かれていた、次の言葉が救いになっていた。 ・西国巡礼というのは、観音信仰にはじまるが、観音がさまざまな形に変身し   て、人間を救うという考えのもとに、かりに三十三の霊場が定められた。   が、あくまでもそれはかりのことであって、実際には「無限」を示す数であ  る。別の言葉でいえば、観音の慈悲に甲乙はなく、へだてもないという意味  で、このことを追求して行くと、しまいには人それぞれによって、どう解釈  しても構わない、信仰の有無すら問わない、ただ「巡礼すればいい」そういう  極限まで行ってしまう。実に広大無辺な思想なのであった。 ・巡礼の意味は、旅するところにあり、一つの札所から次の札所への道中にあ  る。    要は、人それぞれに巡礼の意図があり、それがどのようなものであっても構わず、巡礼の基となる観音信仰に窮屈な縛りをかけるものでは無いということである。然れど、日頃は信仰など考えることも無い暮らしをしており、車での巡礼で自らを追い込むことが無かったことに、物足りなさを感じるのは致し方が無い。このように考えてしまえば、当初祈願としていた観音悔過の効用も減じることになろうが、これも一つの解釈とすれば納得出来るのかも知れない。
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