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正絹。赤地に、手毬や鼓、桜や橘の吉祥文様の振り袖。さらには、明らかに値の張るものとわかる帯に、帯留め、帯揚げといった小物も一通り。どれも贅沢なもので、趣味も良い。
(完ッ璧に祝い事仕様の晴れ着……。何が悲しくて「自分の外堀を埋める作戦」に兄のふりをして加担することに)
星周の涼やかな美貌を思い浮かべて、頭の中で文句を並べ立てつつも、胡桃は部屋に帰ってから男物の着物を脱いで普段着用の自分の着物を身に着け、ひとを呼ぶ。「お嬢様、帰ってらしたんですか」「どうなさったんですか、この素晴らしいお着物は」との追求に、気の利いた言い訳も思い浮かばず「柿原様の晩餐会に招かれたの。かなり格式高いお席みたいで、新しく用立てたものよ」と言って押し通し、身支度をした。
複雑に編み込んだ髪には何が似合うかと考えていたところで、「渡し忘れていました」と星周から簪が届けられる。真珠と宝石がふんだんに使われた華やかなそれは髪型にもよく映えた。
「これはこれは……、柿原様とお嬢様はそういう……、旦那様と奥様はもちろんご存知ですよね?」
「柿原様といえば、兄様の大親友ですもの。兄様は大賛成よ」
(嘘を言わずに、この場を切り抜けるにはこれしかない、とは言っても……。兄様から話はよく聞いていたので、お会いしてみたいとは思っていましたが)
時間をかけて着付けを確認して、星周が風にあたっているという縁側に向かった。
声をかけると、板敷きにあぐらをかいていた星周が振り返る。胡桃の姿を目にしてハッと息を呑み、動きを止めた。
ひとを払って二人きりになってから、胡桃は星周のそばに膝をついて囁く。
「小物のひとつに至るまで、申し分ないものばかりで。君の本気が伝わってきて、頭が痛いよ、星周。僕はこの件をどう胡桃に伝えれば良いのだろう」
あくまで兄の敦として振る舞い、苦言を呈する。星周は、そこでようやく瞬きをして胡桃の顔をのぞきこみ、ふっとやわらかな笑みを形の良い唇に浮かべた。
「そうしていると、きちんと女装をした男性に見えるぞ、敦。男だとわかっていても、あまりの美しさに息が止まった」
(んん~~? 女装した男性? 男装していた女性が女装しただけなので女装した女性なんですが。星周さん、意外と鈍いかも。兄妹の入れ替わり、気づいてない?)
がくっと肩の力が抜けた。
星周は音もなく立ち上がると、手を差し伸べてくる。
「慣れない着物で、動きにくいだろう。手をとって。転ばないように支えてやる」
「はいはい、優しいね、星周。だけどそこまでしてもらわなくても」
(女装は普段からしているので、べつに)
そう思っていたのに、立ち上がるときに変なところを踏んでしまい、体が傾ぐ。予期していたかのように、星周に抱きとめられた。
星周の衣服に焚き染められた仄かな香が、上品に香る。
「……華奢だな。もう少し体を鍛えた方が良い。鍛錬には付き合うぞ」
「ありがとう」
(兄にその通りに伝えておきますので、どうぞ鍛えてあげてください)
言い返せない内容を胸に秘め、胡桃は星周の腕から逃れた。
そそくさと離れた胡桃の様子を気にした様子もなく、星周は「車で来ている。行こう」と先に立って歩き出した。
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