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星周の運転で向かった柿原の屋敷は、異国風の見事な門構えで、鬱蒼と茂った木立の中に佇む重厚な赤煉瓦作りの建物。庭のどこもかしこも物語の中のように整えられ、花が咲き乱れていた。
(富豪で名家とは知っていたけど、これは聞きしに勝る……)
車の中で、胡桃は怪しまれない程度に星周から柿原家の現状を聞き出していた。胡桃を敦と信じているらしい星周は、不審がることもなく「これは敦にも話したことがなかったかな」と言いながらするすると話してくれた。もともとの知識と、星周の話を総合して胡桃が把握できた事情は次の通り。
柿原家は異能に長けた血筋で、軍人を輩出してきた家柄。しかし星周自身は政府の役人になってしまった。これは一族への裏切りであると、特に後妻である義母が息巻いているのだとか。かくなる上は早急に妻を娶り異能を持つ子を成し柿原家のならわしに従わせろ、と言われている。その相手として選ばれたのが義母の姪。
――義母の家はどうにか柿原本家へ食い込もうとしている分家筋なんだが、父と義母の間には子どもができなかった。そのことに焦った義母やその後ろにいる連中が、さらに自分の家の人間を柿原家に入れようとしているんだ。
――それの何が問題なんだ?
聞き返した胡桃に対し、星周は運転したまま考えこむことしばし。やがて、車を停めて、後ろに座った胡桃を振り返り、重い口調で告げた。
――俺が義母を嫌っている。理由は……、父との間に子が出来なかった義母は諦めきれず、相手を替えて試そうとした。つまり、問題は父にあるのではないかと……。子供心にずいぶん慣れなれしい女だとは思っていたが、仮にも義母だと、俺はずっと気にしないようにしてきた。しかし数年前、あのひとの狙いが俺自身だとはっきりわかってからは、どうしても許せなくなった。子どもが出来なかったことで、追い詰められたのかもしれないが……。父も俺もそんなことで義母を責めたことはない。責めているとすれば家族以外の誰かで、義母はその相手の言うことを聞いてしまう。そして柿原家を自分の手にしなければという野心に染まってしまっている。
――つまり、お前の義母がすすめる相手と結婚するということは、そういう「なりふり構わない人間」たちに柿原の家が今より侵食されるということか。
(どろどろとした思惑と争い。星周さんの決めた生き方すら許さず、まだ生まれてもいない子どもまで家の思惑で縛ろうとする……。きっと婚約者候補の女性もまるで「道具」で)
胡桃が敦の口調で言い返すと、星周は瞳に一瞬躊躇いを浮かべてから、じっと胡桃の目を見つめた。その瞳に真摯な光を宿し、熱を帯びた口調で言った。
――胡桃さんを巻き込んでいる俺が偉そうなことは言えないが、敦から聞く胡桃さんは本当に魅力的な女性で、ずっと直に話してみたいと思っていた。実は何度か、遠目に見かけている。あのひとが俺の妻になってくれたらと願い続けていた。この一件が済んだら、正式に求婚する。
(星周さん、胡桃です。本人が目の前にいるんですけど……っ。そんなに思ってくださっていたとは知りませんでしたが、これはいよいよバレるわけにはいかないのでは。少しも兄であると疑っていないみたいですし、絶対バレないように高槻敦で通さなくては)
思いがけない熱烈な告白と、抱えてしまった秘密に心を乱されつつ、「胡桃のふりをした敦のふりをしている」胡桃はひとまず星周に微笑みかけた。
――星周の気持ちはよくわかった。胡桃も事情を知れば頭ごなしに拒否することもないだろう。ひとまず今日を乗り切ろう。僕は高槻胡桃で、星周と恋仲で、ゆくゆくは結婚をするつもりでお付き合いをしている。そういう相手がいる以上、星周は義母のすすめる縁談は受けられない。それで良いね?
――できればもう一声。今日その場で胡桃さんとの婚約を発表してしまいたいところだけど、それはさすがに本物の胡桃さん抜きには進められないか。
――と、当然だろう!!
――うん、わかった。ありがとう、敦。
そこで話は終わりとなり、柿原の屋敷に到着するまではいくつかの雑談をした。星周の打てば響く受け答えからうかがえる聡明さ、鋭くはあるが毒のない物言い、少しだけとぼけたところは好ましく、瞬く間に時間が過ぎた。
(星周さんは私を兄の敦と思って話している……。胡桃として、話してみたい。女性が相手だからといって、極端に態度が変わるひとには思えないけれど。話してみて、それから……)
星周の手を借り、車を下りる。敦だと思っている星周が、しれっと落ち着いた表情をしているのがどことなくうらめしい。星周の大きな手に手を掴まれるたびに、胡桃はもう目も合わせられないほどに心臓を高鳴らせてしまっている。
「晩餐会までは、屋敷の中で過ごしましょう。正直、まだ話したりない。あなたといると時間の流れが早すぎる」
出迎えに来た家の者の前であることを意識しているのか、同行者を「胡桃」として扱っている星周の囁きはどこまでも甘い。俯いたまま、胡桃は「はい」と返事をした。
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