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第4章 第七区礼拝堂の夜(3)
「はぁ……どこに行っちまったんだよ、雷鼓のやつ……」
炎鼓は大きくため息を吐いてその場に座り込んだ。もう辺りは物の形もはっきりと見分けられない程に暗くなっている。
夕食時になっても雷鼓が観竜宮に戻ってこないため、炎鼓は食事も摂らずにさっきからあちらこちらを雷鼓を探して走り回っているのであった。天蔵や時告達も勿論心配している。だが、炎鼓が雷鼓と軽い言い争いをした末に雷鼓が観竜宮を飛び出してしまったということを告げると、ここは炎鼓に任せた方が良いという事になり、炎鼓一人が雷鼓を探しに出たのだ。探し回ると言っても、星舎利は細長く真っ直ぐに続く土地であり、周りは渡悲海に囲まれている。道も一本だ。すぐに見つかるだろうと炎鼓を含め皆が思っていた。それに最近の雷鼓の様子がおかしい事には観竜宮の全員が気がついていたし、全員総出で探して雷鼓の弱った心をいたずらに刺激するよりも、雷鼓に一番近い炎鼓に任せた方が良いと判断したのだ。
しかし、炎鼓がいくら探しても雷鼓は見つからなかった。炎鼓は港を越え、荒野を走り、星舎利の土地の端にまでも行ってみた。土砂が蓄積して形作られた土地は星舎利の三十本の柱全てに沿ってずっと続いている訳では無い。長い道は途中でぷつりと海に沈み込むように消え、そこからは、ただ赤黒い海と、海面からにょきりと突き出して並ぶ柱だけが見渡せる。そこまで行っても雷鼓はついに見つからなかったのだ。
今、炎鼓は途方に暮れてとぼとぼと観竜宮への道を帰るところだった。もしかしたら雷鼓はとっくに観竜宮に戻っているかもしれない。だが、星舎利の道は一本なのにすれ違うなどという事があり得るだろうか。もし戻っても雷鼓がいなかったとしたら……。そう思うと不安でたまらなくなり、思わずその場に座り込んでしまったのだった。
そもそも雷鼓の練習の失敗を自分が責めなければ良かったのだ、と炎鼓は思う。先日の門前市から雷鼓の様子がおかしいことには炎鼓も気がついていた。けれども、雷鼓は自分に何も打ち明けてはくれない。雷鼓はきっと炎鼓には言えない秘密を抱えている……。それが炎鼓を悲しませ、苛立たせていた。
炎鼓は雷鼓の唇の柔らかくて温かな感触を思い出す。
いつからだろう、雷鼓の全てを自分のものにしたいと思うようになったのは……。二人が別々の人間で有ることに違和感ともどかしさを感じるようになったのは……。雷鼓とひとつになりたいと願うようになったのは……。
そんな願いが正しいものでは無いことは炎鼓にも分かる。自分の中にある得体の知れない、熱い感情を持て余している。だから最近はわざと雷鼓から距離を取るようにしていた。新しい家族として白雨が加わったこともあり、炎鼓は意識的に雷鼓よりも白雨と過ごす時間を増やすようにしていたのだった。
けれど、そんな態度がかえって雷鼓を傷つけていることにも薄々は炎鼓も気がついていた。
「あー……なんでこんなに何もかも上手くいかねーんだよぉ!」
炎鼓は頭をがしがし掻き毟りながら、その場に仰向けに横になった。
上空には夜空を背負って白く光る月舎利が見える。
「まさか月舎利に行ったなんて……ありえねーよな」
炎鼓は呟いた。海月亀五十六号が死んで星舎利の人間が月舎利に渡る手段は今はもう実質的に皆無に等しい。雷鼓が月舎利に行ったとはどうしても考えられなかった。
炎鼓はその場に横たわったまま、なんとはなしに懐に手を入れる。丸くて冷たい感触があった。赤い小石を摘まみ出す。夜でも微かに発光しているのか、透き通った赤い色がよく分かった。中でもぞもぞと何かが動いているような気もする。
「あらあら、炎鼓ちゃん! 何しているんだい?」
炎鼓がぼんやりと石を眺めていたちょうどその時、頭上から突然声が降ってきた。
「常盤さん!」
炎鼓はがばりと起き上がった。
「雷鼓が夕方からずっと見つからないんだ! 常盤さん、雷鼓を見なかった?」
炎鼓は、明るく点る角灯を手に提げた常磐に詰め寄る。
「……見たよぉ」
「どこで!?」
「ここにいたよ。ちょうど、炎鼓ちゃんがいるあたりね」
常磐は相変わらずにこにこと穏やかに笑っている。
「雷鼓ちゃんは、今、月舎利にいるよ」
「え!? でも、どうやって……!? 行けるはずないだろ、月舎利に!」
思いもかけない言葉に、炎鼓は目を丸くした。
「雷鼓ちゃんにはね、お迎えが来たんだよ。だから月舎利に行けた」
常磐は静かな口調で答えた。
「炎鼓ちゃんも行けるよ。その赤いのを持っていたらね。お迎えが来るから」
炎鼓はぎょっとして自分の手に握られた赤い小石を改めて眺めた。ただの綺麗な石ころだと思っていたが、そうでは無いのだろうか? そして、そもそもなぜ常磐が雷鼓の行方を知っているのか? お迎えとは何なのか?
常磐はおもむろに手に持っていた角灯を頭上に高く持ち上げて大きく左右に振った。ただ黙って何度も同じ動作を繰り返す。
「と……常盤さん?」
炎鼓は常磐の奇妙な行動に気圧されて、ただ呆然とその様子を眺めていた。
「ほうら、来るよ……もうすぐ来るよ」
常磐は歌うような調子で言い、空を眺める。
炎鼓もその視線の先を追う。
細長く光るものがくねくねとうねっているのが視界に入った。影虫の襲来かと一瞬、体を硬くしたがそうでは無いようだ。だんだんと近づいてくる。それが巨大な蛇だと分かるまでに然程の時間はかからなかった。玉虫色の鱗を輝かせた飛行蛇である。
「炎鼓ちゃん、あの蛇が雷鼓ちゃんのいるところに連れて行ってくれるよ。着いたら第七区の礼拝堂に行くんだよ」
「常盤さん……どうしてそんな事を知ってるの……?」
炎鼓は戸惑いながら常磐に尋ねる。
しかし、常磐はその問いには黙ったままで答えなかった。
風が吹く。冷たい夜風は炎鼓の黒髪をぶわりと巻き上げた。飛行蛇が地に降り立った風圧によるものだった。
「……」
言葉が聞こえた。常磐の言葉だ。しかし、風が強すぎて何を言っているのか判然としない。
「え? 常盤さん……何か言った?」
炎鼓が振り返ると常磐はゆるゆると首を振った。顔からはいつもの笑みは消えている。
「……何でも無いの。さぁ早く飛行蛇に乗って。雷鼓ちゃんに会いたいんでしょう?」
「う……うん」
炎鼓は釈然としないまま、炎鼓を促すように舌をちろちろと出し入れする飛行蛇に跨がった。
飛行蛇はたちまち空に向かって上昇を開始する。炎鼓は慌てて飛行蛇の背びれに捕まった。
その様子を常磐は目を細めて眺める。
「ごめんね、炎鼓ちゃん……」
常磐は先ほど風に紛れて呟いた言葉をもう一度繰り返した。
しかし、その声はやはり炎鼓には届かない。炎鼓を乗せた飛行蛇は早くももう常磐の遙か頭上を高速で飛び去っていくところだった。
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