第6章 卵(1)

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第6章 卵(1)

 雷鼓が次に目を覚ました時には、体は柔らかな布団に包まれていた。  天蔵、時告、夕虹、真金が心配そうな顔で覗き込んでいる。見慣れた天井も視界に映った。ここは観竜宮の本堂だ。 「大丈夫か、雷鼓」  天蔵が低い声で訊く。雷鼓はこくりと頷いた。 「ごめんなさい……お師匠様……私……」 「謝るな……今は気にせずに体を休めろ」 「炎鼓は……?」 「炎鼓はなぁ……」  天蔵は苦しげな表情になって眉根をひそめた。 「糸吐き病になっちまって警邏隊に連れて行かれたらしい……常磐がそう言っていた。お前もずっと常磐のところにいたんだろう?」 「……」 「今朝方、常磐が、体調を崩したお前を家で預かっていると知らせてくれた。だから迎えに行ったのだ。炎鼓も来たらしいが、急に糸を吐いて苦しみだしたから、港まで走って備え付けの無線で月舎利の警邏隊に連絡を取って保護してもらったと言っていた……」  常磐は雷鼓と炎鼓が月舎利に行ったことも、野晒の事も、きっと全てを知った上で天蔵には告げていない。常磐と野晒は通じている……雷鼓は未だぼんやりとする頭の中で確信した。 「炎鼓のことが気になるが、月舎利の施設で治療を受けるという話だからな……警邏隊を信じるより外はない。お前も熱があるようだから今はあまり思い詰めずにゆっくりと休むといい」  そう言って天蔵は腰を上げた。障子戸を開けて、外へ出て行く。その後を、時告、夕虹、真金が付いていった。  布団の中で耳を澄ませていると、本堂の外で四人が話す声が聞こえてくる。 「お師匠様! 警邏隊の奴らを信用しても本当によろしいのでしょうか!?」  気を昂ぶらせた時告の声が聞こえる。 「……私もおかしいと思う。だって炎鼓は月舎利の住人じゃないのに糸吐き病だなんて……。門前市の時に病を移されたにしても、炎鼓だけが……なんておかしいよ。常盤さんの話、信じていいのかな……」  夕虹の声には戸惑いが滲んでいた。 「なぁ……助けに行こうよ、炎鼓を! 一人で知らないところに連れて行かれてかわいそうじゃないか!」  真金も涙声で鼻をすすりながらもはっきりと主張する。 ――本当のことを皆に言った方がいいのかな……でも……。  雷鼓は布団の中で考える。  野晒は本当に自分を騙していたのか……。野晒の言葉に真実は無いのか。やはり八年前の事故で慈鳥はとっくに死んでしまったのだろうか。  雷鼓は未だに、そうだ、とは思い切れずにいる。  慈鳥は生きているかもしれない。その行方を知っているとすればやはりそれは野晒以外にいないだろう。その可能性が少しでもあるのなら、はっきりした事が分かるまではやはり野晒の事、月舎利での事は観竜宮の者達には打ち明けない方が良いのではないか……。  それに、野晒に口止めをされている以上は、下手にここで本当の事を話せば、炎鼓までが帰ってこなくなってしまう可能性もある。  だが、その一方でこれ以上皆に心配をかけるわけにもいかない……。  思考はいつまでも堂々巡りをする。  あまりにも考え込み過ぎて、雷鼓は自分の枕元に人影があることにしばらくは気がつかなかった。  しかし、ふと寝返りを打った瞬間、青い瞳とパチリと目があった。 「わ……!」  雷鼓は驚いて声を上げた。礼拝堂の隠し戸の向こうに突き落とされた時に自分を見つめていた青い視線を、瞬時に思い出す。しかし、そこにいたのは野晒ではなく白雨であった。 「なんだ、白雨……脅かさないでよ」  雷鼓はほっと胸を撫で下ろした。白雨は、そんな雷鼓の様子を不思議そうな顔で眺めている。 「…………ごめん、白雨。私、あんたがここにいるって事、警邏隊の司令官に教えちゃった……」  雷鼓は少し躊躇ってから、自分を覗き込んでいる白雨の青い瞳を見つめ返しながら言った。半分は罪悪感からの告白だったが、もう半分は、白雨が観竜宮から自ら出て行ってくれることを望む気持ち故だった。  しかし、白雨はそれを聞いても眉ひとつ動かさず、やはりいつものように無表情のままである。  しばらくお互いの間に気まずい無言の時間が流れた。雷鼓はとうとうその空気に耐えられなくなって布団の上に起き上がる。 「ねぇ、白雨……何を考えているの? あんたの目的は何? なんで警邏隊に探されているの? あんたは一体……何者なの?」  雷鼓は苛立ち混じりに白雨に質問を浴びせかける。  しゃべれないのは分かっているのに……。自分でもそう思うが口から溢れ出る言葉を止めることはできなかった。  しかし、相変わらず白雨は表情も変えずに、やはり雷鼓の顔をじっと見返しているのみである。 ――反応無し、か……。  雷鼓はため息を吐く。  初めから気まずかった空気がより重苦しく感じられてくる。雷鼓は白雨に背を向けて再び横になろうとした。  その時、おもむろに白雨の唇が開いた。ぱくぱくと開閉を繰り返す。しかし、声は出ない。 「え……何?」  雷鼓は白雨の口元を凝視する。  白雨はもう一度、同じように唇を動かした。 ――エンコヲタスケタイカ?  白雨の声無き声は確かにそう語っていた。 「……! 白雨、炎鼓がいる場所を知っているの!?」  白雨はこくりと頷く。 ――タスケタイカ?  白雨は再度問うた。 「助けたい……どうすればいい?」 ――ツレテイク。 「え?」 ――ツイテコイ。  白雨は声なき声でそう告げると、すっと立ち上がった。  本堂の床を足音も立てずにするすると歩いて行く。その先には本堂の裏口がある。  雷鼓は慌てて起き上がった。  天蔵達がいる障子戸の方を振り返る。四人はまだ議論の真っ最中だ。今ならば雷鼓が裏口から出て行っても誰も気付きそうにない。雷鼓は白雨を追って自分もそっと裏口に向かった。  白雨は、青々と葉を茂らせた巨大な神木の下で雷鼓を待っていた。 「白雨……付いてこいって、一体どういう……」  雷鼓の問いかけが終わる前に、白雨は雷鼓の腕を突然がっしりと掴んだ。 「……!?」  雷鼓は驚いて腕を引こうとするが、白雨の力は予想以上に強く、振りほどけない。  そして、気がつくと、雷鼓と白雨の体はふんわりとした青い燐光に覆われていた。白雨は、雷鼓の腕を掴んでいる方とは反対側の手で頭上を真っ直ぐ指さした。その指の先には、神木の枝葉の間から月舎利がはっきりと見える。 「ねぇ、白雨……炎鼓が月舎利にいることは私も知っているよ。問題はどうやって炎鼓を……て、うわ!」  雷鼓の言葉は再び中断させられた。雷鼓の体が白雨とともにふわりと浮き上がったからだ。……と思う間もなく猛烈な速度で、幾層にも重なって生い茂る神木の枝葉を突き抜ける勢いで上昇し始める。  おそらく飛行蛇よりも速い。足の下では、神木が、観竜宮が、星舎利の地が、柱が、渡悲海が見る見るうちに遠ざかっていく。耳元で風を切る音が轟々と響いた。 「びゃ、びゃ、白雨……!」  雷鼓は裏返った声を出して思わず白雨の腕に縋り付いた。 「白雨……! あんたは本当に何者なの!?」  雷鼓は白雨の横顔に向かって叫ぶように問う。  白雨は雷鼓の方を振り向く。珍しく、その頬にはニヤリとした笑みが浮かんでいる。白雨は唇を動かした。 ――ワタシハキャクシンダ。  雷鼓が呆然と目を見開く。その様子を見て、白雨はくつくつと喉元で笑った。
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