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第1章 月舎利の祭り(1)
「さぁさ、お立ち会いお立ち会い!」
人々が行き交う雑踏、祭りの日特有の熱気と賑わいが辺りの空気を圧する。そんな中、様々な大道芸人や辻占の者達が連なる道の端に一人の僧侶が立ち、朗々と声を張り上げていた。
「お急ぎでないお客さんはどうぞじっくり見ていっておくれ! 星舎利は観竜宮の双子の妙なる不思議の技、いにしえより伝わる伝説の客神と竜神の争いの一場を再現してみせましょうぞ。さぁさお立ち会い!」
何人かが早速足を止め、僧侶を見た。頭を剃り上げた麗々しい顔立ちの若い僧は、袖口に五芒星の印が縫い込まれた墨染めの衣を身にまとっている。星舎利の観竜宮の者であることの証だ。そのせいか、ここに集う月舎利の人々の視線の好奇心の中には、微かな嘲りの色が混じっている。
僧は慈鳥だった。そして、慈鳥の後ろには、五歳くらいの年頃の双子の子供がすっと姿勢良く背を伸ばして佇んでいる。炎鼓と雷鼓だ。二人とも肩まで掛かるくらいの長さの黒髪を頭の後ろできりりと結い上げ、童とは思えぬ程の堂々とした貫禄で真っ直ぐに前を向いている。双子だけあって、その相貌は瓜二つ。しかし、観客から向かって左側に立つ炎鼓の瞳は燃えるような朱色、一方、右側の雷鼓の瞳はひんやりと澄んだ翡翠色であった。炎鼓は蘇芳色、雷鼓は藤色の鮮やかな衣をそれぞれまとっている。
野次馬達が徐々に周りに集まり出す。人だかりがまた人を呼び、やがて一番後ろの見物客が爪先立ちにならなければならない程の人数になったあたりで、慈鳥は手に持った扇太鼓をド、ド、ド、ド、と鳴らした。
それを合図に、まずは雷鼓がくるりと軽やかに宙返りをする。手足に括り付けた鈴がシャン、と鳴った。逆立ちになる。すかさず雷鼓のその足の裏に炎鼓が跳び乗った。そのまま二人で車輪のようにくるくると回転する。
シャン、シャン、シャン、シャン、シャン……
二人の鈴の音が重なり合い、響き渡る。目にも止まらぬ速さで回転する蘇芳色の車輪と藤色の車輪はいつの間にか上下が入れ替わっている。わっと拍手が沸き起こった。
「さて、ご覧のように、蘇芳の色、藤色が混ざり合っております。このように、いにしえの時代は、あなた方のような月舎利の者も、我ら星舎利の者も、互いの区別なく混ざり合って平穏に暮らしておったそうです」
慈鳥が低い声で説法のようなことを言う。しかし、観客のほとんどは慈鳥の話は耳を通り抜けているようで、もっぱら皆、炎鼓と雷鼓の人間離れした技に夢中な様子だ。
「しかし……!」
そこで、慈鳥が再び声を張り上げ、ドン、と太鼓を鳴らす。
炎鼓と雷鼓の体がぱっと跳び離れた。いつの間にか雷鼓の手には、自分の背丈よりも長い一本の木の棒が握られている。
炎鼓は懐から五つのお手玉を取り出し、雷鼓に向かってポォンと無造作に投げ上げる。
雷鼓は棒を上手く操り、五つのお手玉を次々に頭上には弾いた。そして、落下してくる球を再び棒の先で跳ね飛ばす。それを幾度も繰り返し、赤色、青色、橙色、山吹色、桜色……五色の球は、雷鼓の頭の上を縦横無尽に跳び続けた。
「荒ぶる竜神が厄災とともに現れて世界を混沌に陥れたのです」
どうやら藤色の衣を翻す雷鼓は竜神、五色のお手玉は世界を構成するもの……火、水、木、金、土を表現しているらしい。
「そこへ、常世の世界から客神がやって参ります」
慈鳥の言葉に合わせて炎鼓が蘇芳色の袖を靡かせてその場で一回転する。その顔にはいつの間にか木彫りの仮面が被さっている。黄色の肌に赤い隈取りが描かれた客神の面だ。突き出した口吻がどこか鳥類を連想させる。
炎鼓はぱっと跳び上がり、雷鼓の持つ棒の上に片足で立つ。そして、宙に舞っていたお手玉を炎鼓の手と片足が奪うように弾く。それと同時に、雷鼓は棒から手を離し、勢いよくばったりと地面に仰向けに倒れた。棒は地の上に真っ直ぐに屹立し、その上端に片足立ちで立つ炎鼓が、両手ともう片方の足を使い、目まぐるしくお手玉を操り続けている。
「客神は竜神を斃し、この世の平穏を取り戻します」
すると、地に伏していた竜神……雷鼓がぴょこんと起き上がる。再び、その場に逆立ちになった。その足の裏に炎鼓がひらりと飛び移る。乗せる者がいなくなった棒はゆっくりと倒れ、それを慈鳥が片手で素早く受け止めた。
五色の球は、炎鼓と雷鼓、二人の手に難なく弾かれ、二人の間でまた同じようにくるくると跳び回る。それをしばらく続けた後、お手玉の動きも勢いも止めないまま、二人はその場でひらりと再び宙返った。頭のあったところに足が、足があった位置に頭が……かと思うと、すぐにまたその頭と足が入れ替わった。この演技の始めに披露した「二つ車輪」の技だ。それを二人は五つの球を高速で投げ交わしながらやっている。その結果、藤色、蘇芳色、赤色、青色、橙色、桜色、山吹色の七色が入り乱れ、交わり、分裂し、融け合い、まるでひとつの生き物のように脈動するような、摩訶不思議で幽玄な光景が見物客達の前に繰り広げられた。皆、もはや手拍子を打つことも声を上げることも忘れ、固唾を飲んで見守っている。
シャン……!
最後にもう一度、二人の両手両足の鈴が呼吸を合わせて鳴り響く。
その共鳴の余韻が終わるか終わるぬかのうち、既に炎鼓と雷鼓は何事もなかったかのように、並んですっと背筋を伸ばし、観衆の前に佇んでいた。お手玉は炎鼓の懐に元通り仕舞い込まれて、炎鼓の顔を覆っていた仮面も、観客の誰にも気がつかれないままに既に取り外されている。
「……さて、いかがでしたでしょうか? 客神の訪れにより平穏を取り戻し、一つになる世界……そこでは、今は二つに分かれている星舎利も月舎利も関係ありません。いにしえの伝説の先に、我らがいつか一つになれる世を願い、本日の祭りにこの芸を奉納させていただきます」
慈鳥の締めの言葉も終わらぬうちに、見物客の間からは拍手の嵐が沸き起こっていた。人々は慈鳥の言葉というよりも、ただ純粋に双子の妙なる技に対して興奮と賞賛を示していた。
炎鼓も雷鼓も、額に汗を滲ませ、肩で息をしながらも、互いに顔を見合わせてニヤリと笑う。
慈鳥の目の間に置かれた金物製の箱には、次々に硬貨と紙幣が投げ入れられていく。カシャン、カシャン、カシャン、と小気味の良い音が途切れる事無く響いた。
「炎鼓。雷鼓。私は少し用がある。ここで待っていておくれ」
慈鳥は、集めた金の入った袋を雷鼓に持たせ、雷鼓と炎鼓の頭を交互に撫でた。
「分かった!」
「待ってるね、慈鳥!」
雷鼓と炎鼓は元気よく頷く。
慈鳥は微笑み返すと、二人に背を向け、人の群れの向こうに歩み去っていった。
ここ月舎利第七区は今日は伝説の客神を祀る祝祭のため、賑やかな楽の音が溢れ、多くの人が行き交い、地区をすっぽり覆う円筒形の壁には煌めく銀色の光が反射している。複数の地区に分けられた月舎利の中でも、第七区は唯一、他地区の者達や星舎利の住人が足を踏み入れることができる、公共性の高い地域だった。だからその祝祭はいつも一際華やかに盛り上がり、大道芸を披露して生業を立てる炎鼓や雷鼓にとっても絶好の稼ぎ時となっている。
「あっ! 雷鼓! 礼拝堂の扉が開いているよ」
手持ち無沙汰でしばらく慈鳥を待っていると、炎鼓が不意に声を上げ、目を輝かせながら雷鼓の袖を引いた。
「見に行こう!」
「でも……慈鳥がここで待っていろって」
「少しくらいなら平気だよ。慈鳥もまだ戻ってこないって」
積極的で怖い物しらずの炎鼓は譲らない。炎鼓よりも大人しく気弱な雷鼓はしばらく渋っていたが、結局折れて炎鼓とともに礼拝堂に向かうことにした。
礼拝堂は伝説の客神を祀る宗教施設である。炎鼓や雷鼓が暮らす星舎利の観竜宮は古い木造の寺院だが、月舎利の礼拝堂は趣がだいぶ異なり、白い漆喰造りに三角屋根、その上に深緑色の瓦を載せている。この礼拝堂は普段は堅く扉が閉ざされ、一部の宗教関係者しか入ることはできないが、祝祭の日に限り一般にも開放されるらしい。
普段は見られない礼拝堂の内部だけあって、沢山の人々が押し合いへし合い出入りしている。炎鼓と雷鼓の背丈では正面から入っても、中に何があるか、なかなか見られそうにもない。そこで、二人は開け放たれた高い窓に向かい、壁の凹凸を利用してするするとよじ登った。二人にとっては訳もないことだ。
炎鼓と雷鼓が中を覗き込むと、人々の頭の向こうに大きな壁画が見えた。ここにいる人たちの目的はこの古い壁画らしい。
それは炎鼓も雷鼓も過去に書物で何度か見たことがある、お馴染みの神話の一場面を描いた図案だった。
枝葉を伸ばした神木とそれを取り囲む人々。
木も人も呑み込もうとして大きな口を開ける竜。
その上空から今まさに舞い降りようとする、大きな翼を生やした鳥のような生物……。
――この世界を己の腹に呑み込まんとする悪しき竜に抗うべく、いつか翼を持つ客神がこの世に舞い降り、人々に福音をもたらす。
伝説はそう語っている。
「なぁんだ、あれだけか。つまんないの!」
炎鼓はそう言ってすぐに窓から地面に飛び降りた。
一方の雷鼓は壁画にどこか惹かれるものを感じ、正直もう少し見ていたかったのだが、炎鼓に釣られて自分も窓からすとんと降りる。
「屋台でお菓子でも買って、元の場所戻ろう」
「そうだねぇ……うわっ」
二人が歩きだそうとしていたちょうどその時、不意に雷鼓が背後から何者かにドン、と強い力で押された。倒れそうになったところを炎鼓が支える。雷鼓が顔を上げると走り去っていく人影が見えた。
「あ……! 袋が……!」
雷鼓は大声を上げた。
大道芸で稼いだ金を詰めた袋が掏られていたのだ。
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