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第2章 青い髪の子(3)
「君、名前は?」
「どこから来たの?」
「月舎利の人?」
「もしかして逃げ出してきた?」
「飛べるって本当か?」
「大丈夫? 怪我とかしてない?」
時告、夕虹、真金が口々に質問を浴びせかけるのを、青い髪の子供は困ったような顔で首を傾げて聞いていた。年齢は八歳程だろうか。真っ裸だった子供は、今は炎鼓の作務衣を着ている。実は炎鼓と雷鼓は、時告、夕虹、真金が今質問しているような事は既に子供に訊いていた。しかし、子供はウンともスンとも言わず、素性は何も分からなかった。それで二人はひとまず子供を観竜宮の本堂まで連れてきたのだ。観竜宮の住職である天蔵と五人の弟子達は木造のこの小さな堂宇で寝食を共にしている。
「おい、やめろよ、アニキ達も真金も。怖がってるじゃねーか」
炎鼓が不機嫌そうな顔になり、子供を背にして庇うように割って入った。
「……その子供、もしや口がきけないんじゃないのか?」
不思議な子供と弟子達の様子を後ろからずっと黙って見ていた天蔵が、ふと口を挟んだ。
時告、夕虹、真金、炎鼓、そして雷鼓は、互いに顔を見合わせ、次に、子供の方を見た。
子供は、はにかんだように顔を伏せ、そして、小さくこくりと頷いた。
「もしかして、月舎利の施設で何かひどい目に合わされたんじゃ……」
時告が哀れむように子供を見る。
しかし、子供はやはり何も答えない。否、答えられないのだ。痩せた膝を抱えて座り、ただ困ったように眉尻を下げて俯くだけだ。
「帰る場所は?」
夕虹が優しく尋ねた。子供は首を横に振った。
「家族はいるの?」
子供はもう一度、首を横に振る。
五人の弟子は再び互いに顔を見合わせた。どうにも要領を得ない。
そうしているうちに表がにわかに騒がしくなってきた。ばたばたと入り乱れる複数人の足音が聞こえる。
子供の目に突然、恐怖の色が浮かんだ。必死な様子で首を横に振る。これはただ事ではない、と六人は瞬時に悟った。
「警邏隊が来ているよ」
真金が障子戸の隙間からそろりと外を覗き見て告げる。
「俺が相手をしてこよう」
天蔵が言った。
「お前達、奴等に見つからないようにその子を龍神像の裏に隠せ。それから……そうだな……炎鼓。雷鼓。お前達も隠れた方が良い。警邏隊は影虫の大群のことをもう把握しているのかもしれん。或いは、空木の糸吐き病の事か……。とにかく、今でも月舎利へ行き来していることを根掘り葉掘り訊かれても困るからな」
炎鼓と雷鼓は、天蔵の指示に従い、子供を連れて、龍神像の裏手に設えられた隠し納戸に素早く隠れた。
その間に、天蔵は墨染めの衣の袖をばさりとさばいて、落ち着いた足取りで堂宇を出て行く。
境内に並んでいたのは、月舎利の警邏隊の兵士七人だった。
「おやおや……皆様お揃いで、これは珍しい……何かありましたかな?」
天蔵はのんびりとした調子で兵士達の顔を見回す。兵士達は堅い表情で天蔵を睨み付けている。辺りは、夜闇の気配を宿すかのように琥珀色の空気が仄暗さを増してきた。その中で、兵士達の制服の胸元に染め抜かれた三日月の文様がやけに鮮やかに浮かび上がって見える。右端の兵士だけが踵に届く程に丈の長い外套を羽織っていた。おそらく、身分の高い指揮官級の者であろうと思われた。だが、奇妙なのは、その指揮官が、目の部分に穴だけを開けた真っ白な仮面を被っていたことだった。
「青い髪、青い瞳の子供がここに来なかったか?」
仮面の指揮官の隣に立つ太った兵士が訊いた。指揮官は黙ったまま、真っ直ぐに天蔵を見つめている。
「青い髪? 青い瞳? はて……ご存じのように、私はこの観竜宮で幾人もの子供の面倒をみておりますが、青い髪、青い瞳の子供は一人もおりませんぞ。何かのお間違いでは?」
天蔵はのらりくらりと躱す。
「中を改めさせてもらうぞ」
「どうぞご随意に」
天蔵は慇懃に頭を下げた。
指揮官一人を外に残して、六人の兵士達が堂宇の中に靴も脱がずにわらわらと上がり込む。
そこには、時告、夕虹、真金の三人の弟子しかいない。
「ふぅむ……おらんのか」
太った兵士……この舞台の隊長らしき人物は三人をじろじろ眺めながら、あからさまに舌打ちをした。
感情の起伏が激しい時告は、警邏隊の無礼さに唇をわななかせながら、怒りの籠もった鳶色の目で彼らを睨み付けている。
「まぁ良い……ところで、先程、月舎利警邏隊の監視網が星舎利の近くで影虫の大群の出現を観測した。襲われた海月亀が渡悲海に落下したという情報も掴んでいる。月舎利星舎利間の交通は原則的に禁止されているはずだが、なぜ星舎利の上空で、引退したはずの海月亀が襲撃されたか……住職よ。何か知っているのではないか?」
兵士は意地の悪そうな笑みを浮かべて天蔵を見る。
「さぁ、私どもにはどうにもさっぱり……生憎、お答えできるようなことは何もございませんな」
天蔵は表情一つ変えずに淡々と答える。天蔵はがっしりとした長身で頭を剃り上げた大入道姿だ。何か喋るだけでも威圧感がある。兵士は少し怯んだ気配を見せた。
「ふ、ふん……とぼけていられるのも今のうちだ。月舎利第七区の監視装置は、今日、二人の侵入者の姿を記録している。その二人はこの観竜宮に住まう双子ではないかと思うのだが……」
「それは何かの見間違いでございましょう。双子なら今は野暮用で出かけております。もちろん星舎利の……港の向こう側にある農地へでございますが」
「誤魔化すのが上手いな。だが、今日は月舎利への行き来を責めに来たわけじゃあない。その双子のきょうだいが、我らが探す青い髪、青い瞳の子供を目撃した可能性が高いのだよ。とにかく話を聞きたい。どうだ? 双子に会わせてくれれば、貴様らの月舎利への違法渡航は不問としよう。これまで、そして、これからも……な」
「存じ上げぬ事は存じません。それは観竜宮の双子も同じことでございます」
天蔵は頑としてはね除ける。兵士の頬が引きつった。
その時だった。
「隊長! ここが怪しいです! 壁に隙間ができています!」
堂宇を見回っていた他の兵士の一人が突然声を上げた。
子供を間に挟んで炎鼓と三人、暗闇で身を寄せ合い、息を潜めていた雷鼓は心臓がどきりと跳ね上がる心地がした。
炎鼓も同時にヒュッ、と微かに息を呑んだような気配がする。
確かに、よく見れば隠し戸と壁との間に薄らと隙間ができ、光が僅かに差し込んできている。建て付けが悪いのと、隠れる時に焦っていたのとで、ちゃんと戸を閉め切れていなかったのだ。
雷鼓は己の不注意を激しく後悔した。だが、今となってはもう遅い。少しでも物音を立てればすぐさま見つかってしまうだろう。今はただじっと動かずに、時が過ぎるのを待つことしかできない。
「そうか、よし……念のためにこじ開けられないか試してみろ!」
隊長と呼ばれた太った兵士が命じる。
壁と戸の隙間に警邏隊兵士のごつごつとした指の先がかかるのが、雷鼓の鼻のすぐ先に見えた。雷鼓は息を止める。
「待たれよ!」
その次の瞬間、天蔵の大音声が一喝した。驚いたためか、兵士の指がパッと戸から離れた。
「このように粗末な場所でも、ここは寺院で御座います。見ての通り竜神像を祀っております。竜神様の身の周りは聖域……聖域を暴く事、如何なる理由といえども許されませぬ」
丁寧ではあるが有無を言わさぬ強い口調だった。
「貴様、そのような事を……! 我々から何事かを隠し立てするつもりなら、然るべき所へ引っ立てていくのみだぞ!」
隊長が吠えた。
「できるものならばやってみなされ」
天蔵が挑発するように鼻で笑って言ってのける。
「何ィ?!」
「勘違いしておられるようだが、ここは星舎利……月舎利の警邏隊の支配管轄外でございましょう。ご協力こそすれ我ら星舎利の者が貴方方の命令に従ういわれはござらぬ……」
飄々とした天蔵の言葉が終わるか終わらぬうちに、ガタンッと派手な音が鳴った。怒り狂った警邏隊の隊長が天蔵の着物の襟を掴み、力任せに壁に向かって投げ飛ばしたのだ。
「畜生ッ、貴様……! 警邏隊を愚弄するとは……! 殺してやる!」
隊長が顔を赤くして喚き散らす。
「おいっ! 何をするんだ……!」
一方では、もはや堪忍袋の尾が切れたらしい時告が怒鳴って、掴みかかろうとする。
と、その時。
「待て」
一言、がらがらに嗄れて掠れた声が響いた。途端に水を打ったような静寂が堂宇を満たす。
外で待っていたはずの指揮官だった。
「住職の言うことももっともだ……。私達は私達のみの判断で星舎利の宗教施設を調査することはできない。この寺の住職が拒むのならそれに従わなければなるまい」
「しかし……!」
「我々の探す子供はおそらく渡悲海に落ちたのであろう。もう探す必要はない。帰るぞ」
そう言って、指揮官は外套を翻し、天蔵達に背を向けた。振り返りもせず本堂をさっさと出て行く。六人の兵士達も慌ててそれに続く。
雷鼓はその瞬間、頭を僅かに傾けて戸の隙間から外を見た。漆黒の外套を身に纏った、長身の指揮官……。どこかで見た覚えがあるような気がする。
天蔵はわざとらしい程丁寧に頭を下げて見送り、時告は彼らの背に向かって「もう二度と来るな」と苦々しげに呟いた。
そうして、まるで嵐が過ぎ去るように、七人の兵士達は玉虫色の鱗の飛行蛇に跨がり、遙か上空の月舎利へを帰って行った。
「雷鼓! 炎鼓! 大丈夫?」
警邏隊が遠く離れてしまった事を確認してから、夕虹が隠し納戸を開いた。
隠れていた三人は互いに縺れながら転がるように外に飛び出す。
「あー怖かったぁー!」
「息が止まっちゃうかと思ったぁー!」
炎鼓と雷鼓は叫びながらその場にぐったりと仰向けに横になった。
しかし、渦中の子供はというと、大した疲れも見せずにただ涼しげな顔でその場にぺたりと座り込んでいる。
「……どうもいろいろ事情がありそうだなぁ……」
天蔵は子供を見下ろしながら頭を掻いた。
「なぁ……帰るところがないんならここで俺たちと一緒に暮らさないか?」
ふと、真金が子供の隣に腰を下ろし、そう言ってにっこりと笑いかけた。
子供は真金を見た。
人の好さそうな真金の笑顔につられたのか、子供も笑いこそはしないものの少し緩んだ表情になる。微かに頷いたようだった。
「なぁ、いいだろう、お師匠様? 行くところが無いというのなら、この子も家族にしよう!」
真金は目を輝かせて天蔵を振り返った。
「ああ、それは構わない。事情はありそうだがな……ここに留まりたいやつを追い出したりはしねぇさ」
天蔵は頷く。口調はあっさりしているが、表情には嬉しさが滲んでいる。久しぶりに家族が増えるのが喜ばしいのだろう。
時告も、夕虹も、真金も、皆、嬉しそうな顔をした。
炎鼓に至っては、子供の手を取って「良かったな! ここにいるのは皆良い人だから、お前、ずっとここにいろよ!」と、まるで自分の事のように興奮して語りかけている。子供は炎鼓を真っ直ぐに見返し、その真っ青な瞳に初めて笑みを浮かべた。
その中にあって、ただ一人、雷鼓だけが、胸の奥に得体の知れないざわめきを感じている。
この子は、炎鼓の命の恩人だ。しかも、どういう事情かは知らないが、帰る場所が無い上に警邏隊に追われているらしい。それならば、この観竜宮の一員として受け入れ、匿ってやるべきだろう。
頭ではそう理解していた。しかし、一方で、この子をここに招き入れてはならないのではないか、という漠然とした不安が心を靄のように覆っている。だが、そんな事を、今ここで口に出して言うこともできないし、言うべきでないということも分かっている。雷鼓は、皆の明るい表情を見渡しながら、自分も頬に作り笑いを浮かべた。
「ここに来たからにはお前はもうこの観竜宮の家族だ。月舎利の奴等からは俺が責任を持って守ってやる。安心しろ」
天蔵がはっきりと言う。
子供は真っ直ぐに天蔵を見上げた。そして、徐に立ち上がると、ゆっくりと体を折り曲げ、お辞儀をする。
天蔵はその様子を見て微笑んだ。
「さぁ、そうと決まればまずは名前か……。お前の本当の名前は俺たちに教えられるか?」
子供は眉尻を下げ、首を横に振った。
「であれば、ここでの名前を決めなくてはいかんな。何年か前であれば、良い名付けをしてくれそうな奴がいたんだがな……さてどうするか」
天蔵は顎をさすりながら、しばし思案するように目を閉じた。
「うぅむ……そうだな」
五人の弟子達は、天蔵の顔をじっと見つめている。
新しい家族。新しい名前……。
静かな緊張と期待が辺りに張り詰める。
そんな中で、天蔵はゆっくりと口を開いた。
「決めたぞ。空から舞い降り、やがてこの星舎利の大地を潤すように……お前の名は白雨としよう」
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