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電話の主と明らかに違う声に女性は思考が停止し、数分考えて落ち着いたのか次は神妙な声で話しかけてきた。
「まさか、東藤くんじゃない。」
「はいそうです、チリと言います。東藤さんは運転中で電話にでられない状況でしたので代わりに」
「あら、あははは……大声で叫んでごめんなさい。」
「いいですよ、当たり前ですし」
電話の向こうから再び枯れた笑いが飛ぶ。
「申し遅れましたマネージャーの 美佐川 と言います。あのチリさんすみませんが東藤に戻ってくるよう伝えてもらえませんか。」
「はい、勿論伝えます。あの」
「はい?」
「東藤さんが抜けたのは私のせいです。店で体調が悪くなりまして、東藤さんに無理言って送ってもらってるんです」
「えっ!?そんな事が。体は大丈夫ですか」
「おかげさまで今は大分落ち着きました。こんなこと言うのは何ですか東藤さんを責めないでくださると嬉しいです。」
「そうですか、それは……」
心配した声。声で分かるほど気のしっかりとした女性、美佐川は興味津々でチリの話を丁寧に聴く。一部嘘ではないが嘘の話を続けるチリ、東藤があの店に戻っても少しの救済にはなるだろうと思っての事だ。
話はとりあえず自宅にチリを送り届けてから東藤が店に戻るという話にまとまり、それではとチリは電話を切った。
「ということなのでここで降ろしてもらえますか。」
「いやだ。というか話が違うだろ、チリを送り届けてから俺は行くんだろ。」
「今すぐの方がいいのでは」
「あと、千紗から弟をよろしくって言われてるから安全に家まで送らないとな」
「そうですか、兄さんが」
自分のためだと少し期待していたが、千紗の名前が出たと途端に崖から突き放された。
わかっていたけど、結局は兄のためであって決して自分ではないと現実を突きつけられて胸が染みるように痛み、予期していても呼吸が浅くなる。
もし千紗が世話をよろしく頼んでいなかったとして俺はあのままだったのだろうか、想像するだけでゾッと背筋が凍った。
「兄さんにありがとうと伝えといてください」
「うん?わかった」
そして自宅のアパート前まで車は到着し、チリは東藤にてきぱきと礼を告げて車から流れるように降りる。
「今日はありがとうございました」
「今日はツンツンだな。そんなに俺のこと嫌いか?」
「なっ!そんなことない」
「ふはっ」
焦って訂正する姿に東藤に吹き出し、チリは青くなって赤くなってそして眉をキュッとひそめて不満オーラを醸し出す。
「いい加減にしてください」
「ごめん悪かった、つい出来心でな。嫌いじゃなくて俺の事大好きだよな」
「うっ」
「でチリは俺に言うことないのか。ずっと不満そうな顔してるけど」
「ないです。」
「チリ?」
「なっないです!いいから早く行ってください。あとから文句言われても知りませんから」
「つれないな。今日は悪かった無理やり連れだしてごめんな。」
言葉を失った。
許してほしいと手を合わせて慈悲をこう悲しい表情はチリの胸に深く突き刺さる。謝られているというのにまるで自分が悪いかのように錯覚するほどに心を揺さぶる。
これには弱いと自覚しつつチリはそっぽを向きながら。
「謝らないでください、助けてもらったのは自分ですし東藤さんはなにも悪くないですよ」
「そうか……よかった。」
思案した様に目を細める東藤、見透かしたような眼は彼は奥が深くて掴みきれない底なしの沼のような恐い人だとチリは思う。
「じゃまたな」
「はい、また」
次なんて会いたくないはずなのに口から出るのは『次の言葉』で自分に飽き飽きする。
隣に座れることだけが満足なんて嘘で、隠し事がいつかあばかれるように嘘もいつかはばれる。
時間がないと分かりつつも東藤の車が遠ざかるのを見ながら、明日なんてなければいいと思うのは勝手なのであろうか。
「そうかって」
あの一言は、お前は本当にそれでいいのかと問われたような気がした。
それでいいなんてよく言うよと、一つだって俺のこと愛してくれないくせにと、けれど、でも、それでもいいと精一杯今は言える気がした。
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