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4話
今日は疲れた。
チリは二階に続く階段を見て、ほんの少し絶望する。この歩き疲れた足をあげてまた階段を上らなくてはいけないのかと。
ここを突破しなくては寝床には行けず、休める体も安心して休めないのだった。
体力の限界は底が見えていた、体が勝手にフラフラと軸を揺らし、下を向いて歩いていたチリは、自分の部屋まであと数歩のところでトンっと何かにぶつかる。
衝撃というほどぶつかっていないが軽く視界が揺れ。柔らかくて暖かい感触、何にぶつかったのだろか。
上を向くとそこには兄と同じ制服を着た男が立っていた。真っ黒な髪、顎がシャープな整った顔、笑らうと無邪気そうな爽やかな青年。
兄の友達だとは分かるがこの目立つ容姿は誰だったか、思い出すことも考えることも思考が停止するチリには回答が見つからない。
しっかりとした肩に埋もれたまま呆然と見つめるチリ、そんな中で切り出したのは男のほうだった。
「なに、もしかして体調悪い感じ?」
「え……あっすいません」
「別にいいけど。顔色悪いしフラフラだな」
自分が男にもたれ掛かっていたことに気が付き、頭を押さえながら肩に手をついて体を起こす。
離れた瞬間、支えがなくなったチリはフラッと後退し、大丈夫かよと苦笑いをすると男はチリの腕を掴んで体を支えた。
「東藤どうした?」
東藤と呼ばれた男の背中側の扉が開くと、千紗が少しだけ顔を見せてこちらを伺った。その扉の向こうから陽気な音楽に楽しそうな数人の声がする。
「ゲームそろそろ始まるけど……」
「なんか、お前の弟倒れそうだけど」
「チリがっ!?」
千紗は慌てて扉から出ると、心配そうに駆け寄る。
「だっ大丈夫。熱とか出てない?やっぱり今日は休むべきだったんだよ」
「大声出すほどじゃないから、別に大丈夫。こんなの部屋で休めば、治るから」
「でも」
「いいから、そこどいて。友達来てるんだから戻ったら」
別になにも心配することはないというように平然と答えるチリ。一番近くで見ている東藤にはそれが虚勢だと手に取るように分かり頑固だねと呟いた。
聞いていたチリはギリギリと歯を軋ませては、東藤を鋭く睨む。
チリの体調は今朝から良くなく。
千紗からは学校を休むことを勧められたが、これぐらい平気だと言って無理やり家を出たきり、休まず動いていたこともあり更に悪化させたのだ。
忠告されたにも関わらず悪化させたなんて言いたくはないチリ、悪寒でゾクゾクと体震えようと強気な発言を飛ばしては千紗を避けようとした。
けれど千紗は引き下がらなかった。
「明らかに体調悪そうなのにほっておくなんて出来ない。ムキになるのもいいけど、自分のことを考えてよね」
「うるさいな。自分のこと自分でやるから、ほっといてよ。」
「だから!なんでそういつもムキになるかな。ちょっとは素直になったら。」
「ムキになってないてばっ、お前が世話焼きたいだけだろ!」
友達が来ていること、東藤を間に挟んでいることを忘れて二人は言い合う。
いつもならこんなこと張り合う様な争いはしない筈だが、心身共に疲れていたチリ、それを見て動揺をしてしまった千紗、チグハグとお互いに噛み合わない状況。
冷静にはなれなかった。
これを皮切りにどんどんと話は逸れていく二人、前の些細ないざこざも掘り返されて拗れた口喧嘩と代わっていく。
流石に二人の問答は部屋の友達にも伝わり、どうしたのかという心配と疑問の声が飛び始め。
「お前なんか……!」
「はいはい、分かったから落ち着け」
東藤が、チリの腕を引く。
「なにっして」
「もう休もうな」
そしてチリを腕の中に閉じ込め、東藤は辛かったなと慰める様に頭を撫でる。
自分の身に起きたこと、チリは目を何度も瞬きをして状況が理解が出来ず呆然と立ち尽くす。
棘のように神経を尖らしていた千紗も、突如として抱き合う二人と唖然とし目を見張る。緊迫した空気を一瞬にして止めたのだ。
「よし、落ち着いただろ。」
東藤は嬉しそうに千紗の方を振り向いた。
アクシデントのお陰でやっと自分が焦っていたことに気が付いた千紗は落ち着き払い、ため息を漏れ出す。
「東藤、お前な」
「なんだ、せっかく兄弟喧嘩止めやったのに」
「……それに関してはありがとう。
でもやり方をもっと上手く出来なかったの?チリが驚きすぎて固まってるし」
「咄嗟だったから仕方ないだろ。弟君も落ち着いたみたいだし」
確かに落ち着いたけれど、体力を使い切ったチリは全てが停止した。拒絶するにも声がでない、反抗するにも腕は上がらなかった。
ただ静かに腕の中で小さく収まる。
「おーい、寝るなよ。弟君の部屋どこ」
「えっあ、すぐ隣の部屋。肩貸そうか。」
「いい。
俺がどうにかするから千紗はとりあえず皆に所に行って事情を話しにいけ」
「うん、分かった。」
「あと弟君寝かしたら、薬を買いに行く」
頷いた千紗は部屋に戻り、役割が決まった東藤は抱えズルズルと引きずりながら、チリを部屋に運ぶ。
ベッドに降ろされたチリはやっと落ち着ける場所に付き、安堵の息を吐く。
元気とは言えないが硬くなっていた口が少しだけ開く。
「大丈夫か?吐き気はないか」
「ないです。色々迷惑かけてすいません。」
「病人がそんなこと言うなよ悲しくなるだろ。喧嘩するほどなんとやらだな」
「仲良くなんて」
覗き込む東藤はチリのあからさまの素っ気ない態度に口端を上げる。
「まぁいいけど。
心配してくれる家族は大切にしろよ。ましてや、ひと時の感情で嫌いなんて言うのはやめとけ」
「なんで」
なんで分かったのか、思わず口から出掛かった。
確かに勢いに任せて言ってはいけない言葉を吐こうとしたが東藤に抱えられたお陰で遮られた。
誰もが思わない行動に戸惑い呆然と黙ったが、そうか東藤は喧嘩を止めるための咄嗟の判断ではなく千紗を傷つける自分を黙らせるためにやったのかと気が付いた。
「兄さんのこと大事なんですね。」
「そうだ、だから優しいお兄ちゃんは大事にな。ここで話は終わりにして病人はゆっくり寝ろ」
歯を見せてニッコリ笑うと東藤は部屋から足取り軽く出て行く。
なんだか掴めない人。
チリはゆっくりと瞼が落ちていく中、東藤が誰であったか思い出す。
『へぇ、千紗の弟なんだ。全然似てないのな』
始めて会ったときそう言われた。千紗の他の友達は似ていると指摘していたが東藤一人だけが似てないと一点張りだったこともあり、一番印象に残っている。
そのあとに二人のどこが違うかの話題になるが、東藤は似てないものを比べたところで意味がないと話しそこで話題を終わらした。みんなの話をぶった切るのではなく自然に話題が流れるように変えた。
いっけん何にも興味はなく、干渉したくなさそうなのに、そのくせ状況が鋭く把握できている上に、自分のペースに乗せるのが上手い人。
隙を見せているようで見せない。この掴めない男が苦手だったことを思い出し、瞼を閉じた。
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