1話

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「隣と同じのをくれ」 俺が押し黙ってしまったことで会話が続かずぎこちない空気の中、そこを割りは入るかのように丁度千紗の隣に誰かが座る。 もうしゃべらなくていい、心の中でチリは安堵しつつ淡々と頼まれた注文をこなす。 「はい、かしこまりました……」 随分とタイミングの良い客の顔をのぞけば、口角を上げてニヤリと笑う東藤が座っていた。 仕事の帰りなのか、少しだけ覇気がない。 そして、いつもは流している後ろ髪が一つに纏められ、服は鎖骨が見えるVネックのシャツにチノパンでいつもより崩れた格好は、畏まった雰囲気が解け、色が増しているような気がした。 ……東藤に当てられている場合ではない。 「東藤さん、なんでいるですか。」 「なんでって、バーに飲みに来ただけど。もう俺は客としてここに来たらダメだったか?」 「そうじゃないですけど……」 俺は千紗と同じ青い色のお酒を差し出した。 気分を損ねたチリの眉が八の字に曲がると、またその顔をすると東藤はくっくっと息を殺して笑う。 そして東藤は気分が良さそうにグラスに口をつけた。 ぎこちない笑顔を向け、チリは心の中はざわざわと落ち着かなかった。 たまにしか来ないくせに、こんな平然と振る舞えない日に限ってなんで来るんだよ。 いや違うか、千紗がいるから来てくれる訳であって、興味のない俺には用がない。 だって東藤の真っ黒な目にはもう千紗しか映ってない。 「千紗、久しぶり。」 「東藤じゃん、仕事帰り?」 「うん?そうだが。千紗は弟いびりか」 「可愛い弟にそんな事するを訳ないし、冗談でも怒るよ。」 ごめんごめんと手で平謝りする東藤に、もう許さないとそっぽを向く千紗。 「機嫌なおせよ、一杯奢るからさ」 「うーん、それなら仕方ないな。  チリ、ここで一番高いやつお願い」 「おまえな」 得意げな顔でオーダーを頼む千紗、呆れた東藤は苦渋に顔を顰めるがどこか楽しそうでもあった。 仲が良いなとチリは黙々とお酒をグラスに注ぐ。 東藤が誰かと仲良くしているそれだけでもやもやと怒りで膨れるが、2人の間を静かに達観してしまうほど、チリは嫉妬心も忘れて大人しく耳を垂らして伏せてしまっていた。 なんか、嫉妬するには遠すぎて、憧れるには現実味がなくて夢のようで、もう諦めろって突きつけられているようで、逆に冷静になれる。 「そういえば、田中が来月の同窓会少しでもいいから顔見せろって言ってたよ。」 「えーめんどくさいから、却下。どうせ、俺に会いたいじゃなくて、アイツは女の子に会いたいんだろ」 「ふふ、あたり。田中が東藤がいるかいないだけで女子の参加人数が全然違うだって」 「俺は今忙しいから無理って言っとけ」 「東藤はそういうの嫌いだもんね。 そう伝えとくよ。田中がすごく寂しがるだろうけど」 悔しがるの間違えだろうと東藤は酒を煽る。 すると酔いが回ってきた千紗はほんのり赤く色づいた顔で東藤を上から下まで観察し始めた。 「なんか、おかしいか?」 「うーん、なんかいつもと違うね。だらしないと言うか、エロい?」 だいぶ千紗は酔いが回っていたのだろうか、普段は使わない言葉をはっきりと指を指して言い放った。 2人は膠着した表情で千紗に目を向ける。 そして動きを止めていた、東藤は肩を揺らし始めては机を叩いて笑う。 「ぶっ、何にそれ。俺のこともしかして口説いてる?」 「はぁ?誰がお前なんか口説くかバーカ。 ねぇチリも、そう思うよね。いつもより馬鹿ぽいよね」 「馬鹿って、俺はいつも完璧だよな。なぁチリ」 呆然と話を聞いていたチリは、こちらに話をふられると思っていなかった。 頭の整理がついてないチリは一歩身を引いて『えっと』と言いづらそうに口を閉ざす。 もちろん、東藤さんはいつも完璧で、今日は特にカッコいいです。 なんて馬鹿まるだしの乙女ゲロ発言は口が裂けても言えない、どしようか。 場を盛り上げる為だけに千紗と東藤を蔑むような事も上手いことも言えないし、そんな事を言って場が冷えたその日には後悔の海に溺れるだろう。 「チリは俺のこと大好きだから、馬鹿なんて思ってないよな」 突然、東藤がカウンターに身を乗り出して片手をさらりと手に取ると、両手を添えぎゅとチリの片手を包む。 わざとらしい上目遣いに凛々しくも甘い言葉はさながら[[rb:御伽噺> おとぎばなし]]の王子からの求婚のようだった。 そしてチリの足のつま先から頭のてっぺんの先まで一気に火がつく。 戸惑うばかりでらえっあっと喉に息が通るような鳴き声、チリは今自分が一体何をされているのかよく理解はしていないし、突然の東堂の近さに突き放すことすら忘れ頭が真っ白になった。 チリは東藤に揶揄われている。 そうだと分かっているのに茶化し方を忘れたチリは今にも蒸発しそうな頭と湧き上がる羞恥心でグルグルと目を回す。 「ほら、お兄ちゃんのせいでチリが困ってる。」 「お前のせいだろ。人の弟を口説くな。」 「とにかくチリ落ち着け。ほら、水飲め」 「あっ、それお酒……」 嗚呼と千紗のやってしまったという頭を悩ます声。 チリは東藤が渡してきた飲み物を一切確認せず、グラスの中のものを音を立てて一気に飲み干す。 なんか、水が甘い。 霞む視界、ふわふわと浮遊する体は、渡された酒を一気に飲んだことが原因だろう。 上がった熱が一向に冷めない。 フラフラな足取りふわふわとした思考、そこから俺の記憶は曖昧だ。
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