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0. 邂逅
築四十年超えのボロアパート、四畳半の一室で、吉井 那月は机に向かい、一心不乱にペンを走らせていた。時刻は午前三時を回ったところで、古い蛍光灯のジーーという音だけが響いている。
ミルクティーベージュの短髪に猫のような丸い目、長いまつ毛。一見すると少女のように可愛らしい那月だが、その髪はぼさぼさで、パソコンのディスプレイを睨み付ける目はうっすらと血走っていた。
眠気を押し殺すように何度か強い瞬きをしながら、スケジュール管理アプリを開く。カフェのバイトが午前から、居酒屋のバイトが夕方から23時まで入っている。
キリの良いところまで進めて、新聞配達のバイクの音が聞こえてくるまでには寝よう。そう考え、大きな伸びをした時だった。
「う、うらめしやぁ……」
「うわああああ!」
見知らぬ女がディスプレイに映り込み、那月は絶叫しながら椅子から転げ落ちた。あんぐりと口を開けたまま腰が抜けて立てずにいると、しばらく気まずい沈黙が流れた。
「えーっと……この後は確か……」
突如部屋に現れたその女は服の中から『完全幽霊マニュアル』と書かれた冊子をごそごそと取り出し、半透明な手で忙しなくページをめくっている。
「え、なんなん? お化け……?」
那月が大きな目をぱちくりさせながらこぼすと、女は慌てて冊子から顔を上げ、その場に正座した。
「申し遅れました。私、鬼原 佐久子、二十三歳です。先日現世との関わりを断つことになり、無事幽霊となりました。不束者ですが、よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げる彼女に、那月は戸惑いを隠せないでいた。
これまで那月のイメージする幽霊とは、折れ曲がった背中に湿り気のある重苦しいロングヘア、真っ黒な眼窩、青白い肌……と、おどろおどろしい雰囲気を醸し出すものだった。
一方、今目の前に座している佐久子という女は身綺麗で、血色もいい。絹糸のように艶やかなセミロングの黒髪に桜色の唇、陶器さながらの白い肌にランダムに配置されたホクロが印象的だ。
姿勢を正して丁重な物腰で接する様子を見る限り、どうやら危害を加えるつもりもないようだ。先程と比べると、那月の恐怖心はいささか薄れていた。
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