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天気予報どおり夕立だ。ゲリラ豪雨のような激しい雨ではなくおそらく通り雨だろう、向こうの空はすでに晴れてきている。そんな雨の音を耳をすまして聞いている女性が一人。傘もささずにずぶ濡れだ。
約五分ほど耳をすまして音を聞いた後ようやくアパートの中に入った。部屋の中では心配そうにタオルを持ってくる恋人の男性。
「この間初めて音の話を聞いたけど、俺にはまだよくわからない、ごめん」
「それが普通だよ。何も知らない人が見たらただの変な人だもんね。傘もささないで動こうとしない。でも傘をさしちゃうと、傘ではね返った音が際立ってうまく聞こえないことがあるから」
今ネットで話題となりいろいろなメディアに引っ張りだこな作曲家、栗原真澄。彼女の特殊な体質により作り出された音楽は徐々に世界からも評価が高まっている。
「ちなみに今は何してたの?」
「高気圧の雨の音を聞いて作曲してた。カーペンターズとセリーヌ・ディオンの間くらいの音が聞こえたから」
その言葉に彼は少し考え込んだが困ったように笑う。
「ごめん、やっぱりちょっとよくわからない」
「それでいいと思う。無理に合わせてくれるよりも、わからないって言ってくれた方が私も嬉しい」
真澄も楽しそうに笑った。スマホが震えて通知が来た。送り主はかつて自分の生きる道を与えてくれた恩師だ。今も母校で音楽教師をしていて交流が続いている。
『新曲聴いたよ。ちょっと嫌な予感がするんだけど、あれ何の音楽?』
文字の後には怒った顔の絵文字がついている。気づかれたようだ。くすりと笑って返信をした。
「この間先生と飲みに行った時、ベロベロに酔っ払って離婚の愚痴をずっと喋ってたときの音と、飲み屋のざわめきです」
『やっぱり! 二人で飲みに行った後にすぐに発表したからもしやと思った!』
「でもいい曲だったでしょ? 愚痴とは思えないくらい、ケルト音楽とファンタジーを混ぜた世界みたいで」
『確かにいい曲だったけどさ。あれ不倫した男に対する悪口じゃない、複雑』
「言葉にすると時々誰かを傷つけてしまうこともあるけれど。音楽にするとたくさんの人を癒すことにもなれる。先生の恨みつらみは、二十万再生の価値があるんですよ」
『良いこと言ってる風だけど腑に落ちない。これ私著作権料もらっていいよね?』
「今度おごります。あと今、次の曲が決まりました」
『なに?』
「雨音です。昔から一番苦手だったやつ。なんだか今日は整った感じがするので出来上がったらまた先生に聞いてもらいますね」
『お、やっと雨音レベル40くらいになったね。まかせておけ~』
そこでふわりと頭にタオルがかかった。
「風邪ひくよ。あと、そろそろ補聴器つけた方が良い。小学生の下校時間になるから」
「そうだね。ありがとう」
今日の雨は虎が雨か、洒涙雨だろうか。季節によって異なる雨の名前と、雨音。いまだにすべて聞けていない。
雨音が嫌いだった。大音響のノイズの中にいるようだった。でも今は、音楽に変換できるようになった今は、わくわくが止まらない。天気予報はコンサート案内、雷の音はウェルカムベルだ。
今日も自分だけのコンサートが奏でられている。
END
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