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「……先輩?」
一瞬だった。今まで流暢に喋っていた静が言葉をなくし、気を失った。
慌てて静のそばに駆け寄ると、肩に腕を回し、引きずりながら拝殿の軒下に移動した。多少は雨のしのげる場所で、静の身体を横たえた。
静の額は、大理石のように蒼白だ。
やがて葬式の日に見た姿と、重なっていく。洸太は言いしれぬ不安を感じ、大きく頭を振った。
二人を軒下に残したまま、雨は降り続ける。
しばらくして雨の弱まる瞬間が訪れ、静はようやく目を覚ました。
「……ああ、ごめん」
「先輩、大丈夫ですか、さっき急に」
「大丈夫だよ。少し……眠かっただけだ。」
静は、力なく洸太の頬をなでた。
「……あと何回お前の顔を見れるのかな、」
静がそう言ったとたん、山の奥から金属の音が――泣き声が聞こえた。それは普段聞くよりもずっと近くで鳴った気がした。
「山が来てる。つかまらないうちに、早く帰ろう」
その晩、静のリクエストで、二人で洸太の車の中に泊まった。家から薄手のタオルケットを持ってきて、後部座席で共にくるまり、借りてきた映画を見る。
喜劇調のヒューマンドラマだった。
静は洸太の肩を抱きながら、気怠げにモニターを眺めていた。
「昔はさ、二人でよくこうやって、車の中でDVD見たよな。夜中にビールとポップコーンを持ち込んでさ。」
「そうっすね。この辺、映画館なかったから、」
「お前、スチュアートリトルで泣いてたよな」
「俺はシャイニングで笑ってる人を初めて見ました、」
モニターの放つ色彩が、静の頬を照らす。その点滅を、洸太は近くからずっと見つめていた。
時折、静の目は開かれたまま、何も映していない――そんな瞬間が何度か訪れた。
「……先輩、」
洸太の声に、静は目線だけをこちらに寄越す。
「眠いですか、」
彼は返事をする代わりに、唇をそっと重ねてきた。
車内に湿った音が響く。それをかき消すように、スクリーンの俳優たちが、泣いたり笑ったりしていた。やがてその音も感触も、雨の夜の闇に溶けていく。
静はキスをしながら、ゆっくりと眠りの世界に落ちていった。
その体をそっと抱き寄せると、洸太はひとりで映画の続きを見た。
画面の中で、主人公は扉を開け、旅に出る。
――会えないときのために、こんにちはと、こんばんは、おやすみ。
その印象的なラストシーンを見ながら、何かが黒いインキのように洸太の胸のうちに広がっていくのを感じた。
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