46人が本棚に入れています
本棚に追加
雨は山中に暗然と降り続けている。
洸太は国道の路肩に車を止めると、傘と献花用の花束を持って外に出た。
闇夜の中、雨雲だけが変に明るい光を放っている。その薄明かりと、自分の車のハザードランプを頼りに道を行く。
カーブの途中、その道の隅に花束が一つ立てかけてあった。先客がいたのだろう。鮮やかな桃色の花は、雨を受けうつむいている。
洸太はそこにしゃがみ込み、なれない手付きで花を手向け、手を合わせた。
――先輩。
心のなかで何か祈ろうとした途端、言葉がどこかに逃げていく。
昨年、ここで土砂に飲み込まれて死んだ静に、一体何を想えばいいのか。
あれから一年たった今も、洸太は自分の気持ちになんの整理もできていなかった。こうして花を手向け、手を合わせても、虚空に祈るような心地がしてならない。
この祈りはどこにいくのだろう。
ふいに、背後でぴしゃり、と音がした。
「よぉ。」
振り返ると、この山には不似合いな洒落たスーツを着込んだ男が立っていた。彼の傘は見るからに上等で、その下に覗く童顔に下卑た笑みが浮かんでいる。
「……笠寺。」
洸太はじわりとしみるような嫌悪を感じながら立ち上がった。
「洸太、お前も来ると思ってたぜ。少し前から待ってたんだよ、一人じゃつまらんだろう」
「何しに来た、」
「何しに?おい、あいつの冥福を祈る以外、こんなところに何しに来るんだ?」
薄笑いを浮かべながら言う。
「お前のせいでろくな人生にならなかった、星崎の冥福をさ。」
葬式の日も、似たようなことを言っていた。
「しっかしここの花屋は寂れてんな。こんなチンケな花しかなかったぜ」
セロハンに包まれた仏花を、笠寺はブラブラと振る。
「その上ホテルも、しみったれてんのなんのって。こりゃ二度とこねーな。遠出して損だった」
「じゃあ帰れよ。」
洸太は笠寺を睨みつけた。彼はそれをふん、と軽く鼻であしらう。
「雨で高速が封鎖されてんだよ。しばらくはここで足止めだぜ。ほら、今にここも崩れそうじゃねえか。去年みたく」
「崩れたら、死ぬだけだ。俺もお前も、」
それを聞くと笠寺は口元を一層卑屈に歪め、
「そうだよなぁ。いらない人間が死ぬくらい、なんともないよなぁ」
そう笑いながら言うと、肘で洸太を軽く押し出した。持っていた花を投げ捨てるように供え、手も合わせずに山の方を見つめる。
その瞬間、彼の背中は別人のように小さくなった気がした。
二人の間に、時が止まったような沈黙が流れ続けた。
しばらくして笠寺が洸太の方に向き直る。
「なぁ、俺の部屋に来いよ。酒でも飲もうぜ、」
「嫌だ。」
「つれねぇなぁ。一年ぶりじゃないか。お互い積もる話もあるだろう。」
「微塵もない。お前と話してもろくなことがない。どうせまだやってるんだろう、詐欺まがいの――」
言いかけた洸太を、笠寺は途中で遮った。
「やめた」
さっきの嫌な笑顔は消え、冷徹な眼光だけが残っていた。
「辞めざるを得なかったぜ。星崎がいればあんなことにはならなかった。グループは別の奴らに盗られた。まぁ、もうすぐで足がつきそうだったから、ちょうどよかったかもしれんな」
まさかやめたとは思わなかった。何も返せない洸太に向かってもう一度、笠寺は「星崎がいれば」と呟く。
「そうすれば、こんなところでお前に会わなくても済んだんだがな」
あたりを激しい雨だけが打って流れる。
やがて笠寺の向こうから、車のヘッドライトがやってきた。雨粒を線状に照らし出しながら近づき、洸太たちのそばで止まった。
「おォーい、兄ちゃんたちぃ、」
車の窓から、作業着姿の男が顔を出す。
「ここ、今から閉鎖するよぉ。今年も崩れるかもしれねぇでなぁ。ほら、帰った帰ったぁ」
笠寺は軽く舌うちをすると、ポケットから何かを取り出して洸太に寄越した。
二つ折りの紙マッチだった。表にホテルのロゴが入っている。
「いつでも来いよ。雨の降ってるうちはここにいる」
そう言い残し、艶のある黒い高級車に乗ってこの山の麓へ駆けていった。洸太はその車の陰が消えるのを確認して、自分の車のエンジンをかけた。
いらない人間、という笠寺の言葉が、ハンドルを握る洸太の頭の中を何度も巡った。
車内にはラジオが流れている。
『……は、来週水曜まで続く見込みです。とくに今夜から明日朝にかけて、兎和山の山間部で厳重な警戒が必要となり、……』
洸太は冷めた気持ちでその音声を聞き流した。
去年も同じ雨だった。
あの夜、雨が兎和山を崩し、この国道を走っていた車ごと、静を――洸太の恋人を奪い去った。
最初のコメントを投稿しよう!