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笠寺は仕立ての良い服を着て薄暗い田んぼの真ん中に立ったまま、微動だにしない。
雨具すら一つも身に着けず、ただ雨に晒されながら俯いていた。
洸太は車を降りようと、扉に手をかけた。
だがなぜか、扉はびくともしない。
「やめたほうがいいと思いますよぉ」
東片が振り返ってこちらを見ていた。
「さっきも言いましたけどね。お山は星崎さんの代わりを探してます。あの人も候補でしょう。近づかないほうがいい。こちらも引きずり込まれます」
「代わりって、だって――」
死ぬんだろ?
死んで兎和山の一部になるんだろ?
そう問おうとして、洸太は言葉に詰まった。
笠寺が死ぬ、そう思った瞬間――どこか胃の内側に、ひっかかれるような痛みを感じたからだ。
「まぁどうせ、あの人はここに死にに来た人でしょう。放っておいてもそのうち死にます。そんな匂いがする。」
「でもあいつは、」
食い下がる洸太に、東片は不気味な笑みを向けた。
「大高さん、星崎さんよりもあの人を助けたいんですか?」
思いもよらぬ問いに、洸太は押し黙った。
たしかに今の最優先事項は静の捜索だった。だが、笠寺のことを放っておいて、もし本当に死なれたりなどすれば寝覚めが悪い。
「うふふ。冗談冗談。お友達なら仕方ないですね。私もついていきましょう」
傘を差し、畦道を走って二人で彼のもとに向かう。
洸太が近寄っても笠寺は顔を上げようとしない。彼の顎や指先から、雨がしずくとなっていくつも滴り落ちる。
「……笠寺。」
声をかけると、ようやく笠寺は面を上げた。
彼の頬は氷のように青白く、長いまつげに水滴がいくつも連なっている。
「……なんだ、洸太か、」
掠れた声は弱々しい。
「聞こえるか。星崎が呼んでる、」
彼は洸太をじっと見つめた。虚ろな目だ。やがて喉の奥からくつくつと静かに笑い始める。
「あいつ、待ってるんだ。俺のこと」
「バカ言え。先輩じゃない。兎和山が……」
「あれは星崎の声だ。聞き違えるはずがない。」
「行ったら、死ぬぞ」
洸太の腕が肩にかかるのを、笠寺は力なく払い除けた。
「死ぬよ。それでいい。そのつもりで来たんだ。あのままいてもどうせろくな死に方をしない。雨の中で死にたい。星崎みたいに」
「笠寺、」
「ややや!」
急に背後から東片が声を出し、洸太は思わず小さく悲鳴を漏らした。
「まぁまぁ、笠寺さん。静さんがどこで待ってるか、教えてくれませんかね?われわれと一緒に行きましょうよぉ」
笠寺は怪訝そうに東片を見た。
「誰、」
「四片タクシーの東片です」
「……なんだそれ。」
笠寺の鋭い眼光が東片を捉える。東片は態度を変えない。
「詳しいことは後でご説明しますよ。さあ、車に乗りましょう」
「胡散臭いな。俺は乗らない」
「そうおっしゃらず、」
やや強引に東片が笠寺の腕を掴む。それを振りほどこうとして、笠寺は目を見開いた。東片がその背後に周り、口元を手のひらで塞いでいたからだ。目にも留まらぬ速さだった。
とたん、笠寺はその場に膝をつき、くずおれた。
東片は掴んだ腕をひょいとひねり上げ、自分の背に笠寺をのせた。
「……、お前、何したんだ」
「えぇ?あぁ、これですこれ」
手のひらに、鮮やかな黄緑色の錠剤がのっていた。
「われわれは、人間を眠らせるのが得意なんですよ。大丈夫、星崎さんの飲んだのとは違う薬です。
――この人、助けてあげるんでしょう?放っておいたら死にますよ。かと言って我々についてきてもくれなさそうなんで。どこか安全なところにおいてあげましょう。
しかしこの人、ずぶ濡れですねぇ。車に乗せたくはないですが……」
「……、しょうかないだろ、」
洸太は東片の背中から笠寺を受け取ると、車の後部座席に乗せた。
びちゃり、という嫌な音がした。
「あぁ〜……!」
東片はやや大げさに悲鳴を上げた。
「お手入れ大変なのに。」
車の中でも東片はぶつぶつと文句を言っていた。
「仕方がない。ほんとに仕方がないですね。笠寺さんのお泊りの場所はどこです?さっさと下ろしましょう」
洸太はマッチに書かれていたホテルを指示した。
生前、静の出入りしていた場所だ。
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