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雨音の中で昔の夢を見た。
深夜の住宅街を自転車で駆け抜けている。
春は冷たい闇夜に包まれて息を潜め、冴えた空気が頬を刺す。
桜の花はすでに散り、道路脇の側溝で汚いジャムみたいに折り重なって潰れていた。
あの頃。まだ子供だった頃、洸太は夜が好きだった。見たいものだけを見ることができるから。
「洸太、」
コンビニ裏の暗がりから、笠寺が洸太に向かって手を振っている。彼の他、何人かの同級生がそこでたむろしていた。
「何だお前、また家を追い出されたのか、」
「……追い出されてない。自分で出てきた」
「変わらんだろ」
洸太は笠寺から缶コーヒーと紙タバコを受け取ると、そのまま地面に座り込んだ。
一応、両方とも笠寺の奢りだったが、その金自体はおそらく昨日クラス一の金持ちから巻き上げた金だった。洸太も一緒だったのでよく覚えている。
余っているものは足りないやつのところへ。
そう言って、笠寺はよく裕福な家庭の生徒から金を取っていた。
洸太は与えられたタバコを咥えた。
「ほれ。」
笠寺が、ライターの火をかざす。その灯火に顔ごと近寄ってタバコに火をつけた。笠寺の香水がふわりと漂い鼻をくすぐる。バニラとアーモンドの、重くて甘ったるい香り。
二人の間に、細い紫煙が立ち上る。
「親は、」
「知らない。何も言われなかった、」
横で同じようにタバコを咥えながら、笠寺は笑った。十四の割には大人びた、物思いのまじった笑顔だった。
こういうとき、彼は何があったか聞かない。
洸太が話したいときだけ、話せばいい。
その距離のとり方が、他の誰とも違って心地よかった。
二人はしばらく黙ってタバコをふかした。向かいで同級生がしょうもない下ネタに花を咲かせていた。
「やっべー!笑い声の高さって、喘ぎ声と一緒らしーよ!」
タバコが半分になった頃、洸太は口を開いた。
「……なぁ、中学もさ、今年で最後だろ。笠寺は卒業したあとどうする、」
「洸太は、」
「わからない。」
タバコの灰を軽く落とす。
「この先どうなるのか、全然わからない」
ふぅっと吐いた煙が、夜の空に帯を引く。
笠寺はしばらく黙ると、洸太の方を見た。
「洸太は地頭がいい。高校にいくといいだろう」
「やだよ。進学なんかダサい」
「ダサくないだろ。高校は使えるぞ。中学と違って、ある程度ふるいにかけられてる。境遇や水準の似た人間が集まって、内政に忙しくなった頃が一番美味いんだ――外の人間によく騙されてくれる。お前、手引をしろよ」
「……相変わらず悪いことしか考えないな。」
それを聞いて、笠寺は声を立てて笑った。
「俺の取り柄だよ」
こういうときの笑い声だけは、年相応だった。
「それに、ここにいると同じようなやつにしか出会わん。それじゃ、つまらんだろ。だから高校にいけ。面白いやつにあったら教えろよ、何をするにしても人脈が必要だ」
「そうだな……、」
洸太は自信なさげにうつむく。
「なんだ。しけたツラすんなよ。」
笠寺は洸太の肩に腕をまわすと、そのまままぐい、と引き寄せた。
互いの体が触れる。
立ち上る甘い香りで頭がくらくらした。
「大丈夫だ。お前ならできるよ、」
――この人たらし。
自分がいいように扱われているのはなんとなく分かっていた。
だがどこかで、そうではないはずだ、という気持ちと、それでも構わない、という気持ちがあった。
笠寺には恩がある。
居場所のない自分に居場所を与えてくれた恩が。
高三で裏切られたあとも、そのことだけははっきりと、洸太の胸の中に動かせない確かなものとして残っていた。
静を亡くし、互いに同じ傷を負った今も。
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