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赤い鳥居が見える。
最初に目に飛び込んできたのは、笠寺の背中だった。
笠寺は暗い境内の真ん中に立ち、傘もささずに神社の奥を見つめていた。
「星崎、」
拝殿の奥に向かって呼びかける。
奥からの返事はない。笠寺は続けた。
「なぁ、約束覚えてるか。俺を迎えに来るって言ったろう。俺は待ってたんだぜ」
暗がりで、人影が揺れる。
その人影は洸太からは遠く、黒い靄のようにしか見えない。
「……笠寺、」
靄が返事をする。静の、よく通る美しい声だ。激しい雨音の中で、静の声は矢のようにまっすぐ、異質な輝きを放ちながら洸太の耳に届いた。
「覚えてるよ。あの日、お前を迎えに行ってやれなくて悪かった。そっちも雨だったんだってな。冷たかったろう。」
黒い靄は拝殿の奥から姿を見せた。
現れたのは頭から水を被ったような濡れ方の静だった。シャツは水で透けながらその美しい肢体にからみつき、天人の羽衣のようにその姿を覆っている。
それは洸太の知っている静の姿ではなかった。不吉で神々しい、死人のなれのはて。
「ようやく会えたな、」
笠寺は一歩、前に出た。ピシャ、と水を蹴る音がした。
足元を見る。
気づけば茶色の水が地面を満たしていた。すでに洸太のくるぶしに届くほどに深くなっている。
水は静かに境内を満たしていく。
木々の根も紫陽花の花も、次々に茶色の水に沈む。
水面を雨がうち、無数の輪を描く。
その中を、笠寺は歩いていった。
洸太は笠寺を追って駆け出した。水のせいで足がやけに重たい。思ったように進めないいらだちのなか、腕をのばす。
笠寺の肩を、強い力で掴む。笠寺は振り返り、恨めしそうにこちらを睨みつけた。
「……離せよ」
「いやだ。……行くなよ、笠寺、お前まだ生きてるんだぞ、」
「それが何だよ、」
「お前まで俺をおいていかなくてもいいだろ」
だが笠寺はそのまま手を振りほどき、静の方へ突き進んでいった。洸太は膝まで浸かってままならない足を思い切り動かし、笠寺を背中から抱きとめた。
「洸太。離してあげなよ。お前も死にたいのか?」
静は冷徹な声でそう言った。
地響きのような音がまた聞こえる。今度は随分と近い。
「……時間がない。はやく代わりを差し出さなきゃいけない。笠寺もそうしたいって言ってるよ。そいつを寄越せよ、洸太。それで全てが丸く収まる。お前は生き延び、俺はここを離れ、笠寺は死ぬ」
「嫌だ」
地面が再び震えだす。社の奥から、小石の転がる音が聞こえる。
すでに腰まで上がった水に、小石がぽつぽつと沈んでいく。
「嫌だ。先輩だって嫌だろ。こいつは先輩と約束してたんだよ。命日に花を持ってきたんだよ。そんなやつを殺すなよ、」
「今更仕方ないよ。俺はこの山から出るって決めたんだ。そのためなら、なんだってするさ」
「それなら俺を身代わりにしてくれよ、」
食い下がろうとする洸太に、静は微笑んだまましばらく何も返さなかった。
「先輩、それでいいだろ、俺はいいよ、」
「だめだ、」
「どうして。俺だってもう――」
突如、激しく突き上げられるような揺れを全身に感じた。
洸太は身体の均衡を崩し、笠寺もろとも冷たい水の中に沈んだ。
視界は奪われ、どこかから津波のような土石流が押し寄せる。
濁った水と土と枝と石が、洸太の身体にぶつかる。
抱きとめた笠寺が離れていく。すんでのところで、手のひらだけを捕まえた。
体が土と水に押し流される。
バキバキと何かが折れる音がする。
何度も何度も殴られるような衝撃の中、
洸太は必死に笠寺の手を握りしめていた。
「こりゃまぁ」
どこかで東片の声がした。
「たいへん、たいへん」
そこで意識はぷっつりと途絶えた。
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