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静は、立ちすくんだまま、なんの表情もなく洸汰を見つめている。彼は東片と違い、外に出た途端にずぶ濡れになった。彼の金縁眼鏡は雨にとめどなく濡れながら冷たく輝き、長めの髪の一すじが、その白く美しい頬に張り付いている。
「うーん、まだ安定してないかな。それとももう、始まっちゃったかな。」
東片がわけのわからないことを呟きながら、静の肩を支え、車から玄関口へといざなった。覚束ない足取りでゆらりと歩みだす。洸太はとっさに自分の傘を静と東片の上にさした。
「アァどうも。さ、星崎さん。付きましたよ。お望み通り、大高さんのお宅ですよ、わかりますか、」
「……、」
静の唇がわずかに開く。掠れた吐息が漏れ出る。それを何度か繰り返したあと、洸太の目をじっと見つめてとうとう、
「こ、う、た、」
そう言った。その声を聞いた瞬間、洸太は何も考えられなくなった。一年前と同じ、静の愛しい声だった。
混沌の中に、一筋の光が差し込んだ。
「オォ、オォ。ちゃんと喋れますねぇ。まぁ身体の感覚も今夜じゅうには取り戻すでしょう。じゃあわたくしはこれで失礼させていただきますんでね。七日後に引き取りに来ますから、それまで楽しんでください。」
「ちょ、」
慌てて東片をひきとめる。
「どういうことですか?七日後に引き取るって……それになんで……何のために、先輩がここに、」
「あぁ〜ハイハイ、」
あぁ〜、じゃない。ひょっとしてこいつは、こっちから問わなければ何も言うつもりがなかったのか?
「何なんだ?あんたは、一体……」
あんたも幽霊なのか?兎和山から彷徨いでてきたのか?
そう続けようとしたのを、彼のわざとらしい声がかき消す。
「マァマァ落ち着いてください。話の詳細ならわたくしより星崎さんから直接聞いたほうが良いと思いまして、ご説明を省きましたが。そうですね、簡単に、ザァっと説明しますとね。
我々四片タクシーは、死んだ人間の魂を、好きな場所に送り届けるサービスを提供しておりましてね。星崎さんは、あなたの家を望んだんで、お届けに来たんですよ」
「……サービス……?」
「多いんですよ、こういうの。運送っていうのは、人に見つかっても誤魔化しがききますから。まぁわたくしはトラックは嫌いですがね。
それよりね、その体。人間みたいによく出来てるでしょう?でもそれ、即席で作った仮初めの肉体なんですよ。その姿を保つのには限度がある。それが七日。だから七日経ったら回収しに来ますんでね。
今のでなんとなく、通じましたよね?」
「……、なんと、なく。」
洸太はそれ以外にうまい返事が思いつかなかった。話の筋は通っていた。それが信用できるものかどうかは、別として。
「あァ、一応これ渡しておきますね。何かあったら、こちらまで。うちはよそと違って、アフターサービスも万全ですから、」
東片は胸元のポケットから紙切れを一枚取り出した。そこには見たこともない市外局番から始まる電話番号が書かれていた。その横に、行灯と同じ紋が描かれているほかは、何もない。
「気をつけてくださいね。どうにも山が不安定だ。たぶん、近々この人か――あるいはあなたを追いかけに来ますよ。くれぐれも、連れてかれないように。」
そう言い残して、彼は車に戻った。旧車のエンジンがかかり、ライトが点灯すると同時に、車は闇夜へ消えた。
玄関に、ふたりだけが取り残されている。軒先から滝のように流れ落ちる雨が、世界から二人を切り離してしまったようだった。
「先輩……、」
隣で立つ背の高い男を、洸太は恐る恐る見上げる。本当に、死んだあの静なのだろうか。
かちりと目が合う。
伏し目がちな静の瞼からは表情が読み取れない。だがやがて、彼はゆっくりとぎこちなく口の端を上げた。
それはかつて洸太に向けられたような完璧な笑顔ではなかったが、それでもあの日々の静を思い出すのに十分だった。
あまりにも儚く美しいその笑顔で、静は、
「ただいま、」
遥か遠く、死の深淵からこの家に帰ってきたのだ。
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