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視線を動かさずに寺井に問う。
「彼女は授業に参加しないんですか?」
佑一の視線を追って、寺井も梨絵を見つけると「ああ」と頷く。
「彼女は参加しない。自衛隊所属にはなったが、一部の上層部と政治家達が武器を握らせることを頑なに拒絶している。横に居るのが彼女の担当官だ」
「……昼にも聞きましたが、梨絵が授業に参加しない理由はどうしてですか?」
「政治的理由。なんだけど、実はその前に事件を起こした」
「事件?」
「四月に所属してすぐ、模擬戦をやった。二、三年生合同の二四人に対し、梨絵が一人。梨絵の実力を測りたくて門倉校長が実施した」
「そんな考えで模擬戦をさせたんですか?」
「ああ。結果は酷かった。梨絵の圧勝は当然。問題は、相手をした生徒のほとんどが重傷を負った。中には二度と銃を握れないどころか、日常生活を送れない体になった生徒もいる。彼女は手加減を知らなかった」
「そうでしょうね」
そうなることは容易だった。今の彼女なら、普通の人間相手なら当然の結果だろう、と。
「生徒内の反発とマスコミが嗅ぎつけそうになってね。校長が手回してマスコミは押さえた。彼女はしばらく見学授業ということになった」
「そういうことですか。ちょっと行っても?」
「大丈夫だ」
佑一は授業の輪から離れて梨絵へと向かう。
担当官に会釈して、静かに隣に立つ。読んでいる本はボロボロの背表紙で、題名も書いていない文庫本。見覚えがあった。足元に置いてあるもう一冊も良く見ると、それも見たことがある。研究所で読んでいた旧約聖書と新約聖書だ。
青い背表紙は青黒くなり、角が剥げていた。何度も捲っているうちに捲る箇所は手垢で色がついてしまっている。何百回も読んだのだろう。
「梨絵は、授業に参加しないのか?」
「……」
返答はない。反応も示さない。
完全に自分のことがわからなくなったことを知り、落胆した。
もしかすれば、どこか記憶の隅っこ残っているかも、と思った。しかし態度と表情で、そんな淡い期待は無意味だったと思い知らされた。
昔の彼女を知っているからこそ、とても辛かった。
◇
佑一と梨絵が初めて出会ったのは、研究所の預かりスペースだった。三歳か四歳の頃、玩具で遊んでいた佑一とは違い、梨絵は本を読んでいた。梨絵は時々、呼んでいる本の一文を声に出していた。
呼んでいたのは絵本ではなく、持ち込んでいた文庫本。旧約聖書と新約聖書だ。何度も読み返したのか拍子はボロボロになっていた。あまりにも熱心に読んでいたので、佑一は気になって横から覗き見た。子供にわかるものではなく、小さな文字がたくさん並んでいた。
「おもしろい?」
佑一が聞くと、梨絵は少しおどおどした感じで頷き。再び聖書を読んだ。
これが佑一と梨絵の出会いである。
初めて出会い、そこから話すようになって仲良くなった。彼女が研究所にいた理由はわからないが、梨絵は佑一の友達になっていた。
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