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発起
ガチャッ。キー。
「ただいまー。」
誰もいない部屋に私は声をかけた。
玄関で靴を脱ぎ、そのまま風呂場へ向かい、シャワーで1日の汚れを落とす。
そして部屋着に着替える。髪は濡れたままだったが、ソファに座り、スマホを開く。風呂上がりで身体がホカホカする。エアコンの風が心地良い。ふわりと冷気を浴びながら意味もなく画面をスワイプする。
『レンタル彼氏 おすすめ』
ふと、智史の言葉を思い出し、レンタル彼氏について調べてみた。
「ふーん、案外色々な会社があるんだな〜〜」
ホームページを開いてみると色々なタイプの男性の写真と名前が載っていた。
しかし、色々と吟味してみるがこれといって惹かれるものも無かった。
「はぁ、どの人が良いんだろう…。」
智史に相談するか?いや、それも違う。なぜ話し相手探しを人に手伝ってもらう?自分でそれくらい考えろよ。だって自分のことだろう。私は何もできないの?
また自己嫌悪に陥る。
だめだ、これ以上調べてもきっと良い人は見つからない。このホームページを見て今日は寝よう。私はそのホームページをスクロールした。すると1番下にある広告があった。
あなたの夢、叶えてみませんか?
「フフッ、なにこれ。詐欺?」
久しぶりにこんな胡散臭い広告を見た。でもまぁ見るだけだったら大丈夫かな。夢?夢ってなんだろう。脱毛?ダイエット?ニキビ?最近動画広告とかウザいんだよね。
私は面白半分でその広告をタップしてみた。すると画面は暗く切り替わってぼうっと中央に文字が浮かんだ。
あなたの夢はなんですか?
お金持ちになりたい?
有名になりたい?
長生きしたい?
美しくなりたい?
"結婚したい?"
「な、なにこれ…。」
まるで誰かに私のことを知られているようだった。私は何かに取り憑かれたように、この広告から目が離せなくなってしまった。さらに画面を下にスクロールする。
『あなたの願いを叶えるサポートをしましょう。ご相談はこちらから』
そこには電話番号が載っていた。
その番号を入力しようとしてハッと我に帰る。
「こ、こんな胡散臭いサイト……」
理性がダメだと言っている。しかしなぜだろうか。このサイトには強く惹かれる何かを本能で感じている。
「まだアルコールが抜けてないのかな…。」
とりあえず、明日、冷静になってもう一度考えよう。
私は電話番号を紙に控えた。
そして電気を消し、髪を乾かすのも忘れて自分のベットに潜り込む。
身体がベットにズブリと沈み、瞼も重くなり、私の意識は心地良く遠のいた。
「おはようございます。」
私はいつも通り出社した。昨日少し飲み過ぎてしまったらしい。頭が痛い。身体が鉛のように重い。自分のデスクに座り、いつも通り事務作業を始める。
いつもと変わらない仕事。
いつもと変わらない風景。
私はこのルーティーンワークが好きだった。何も変化はないが安定していて、気持ちが楽になる。
気づけばお昼近くになっていた。
「あっ、三島さん、ちょっと…」
「はい、なんですか?」
私よりも5歳上の先輩である河村が声をかけてくる。
「本当に悪いんだけどさ、この資料、今日中に作ってもらえる?」
河村は申し訳なさそうに私に頭を下げる。
「えっ、は、はぁ…」
「ごめんねぇ、子供が熱出しちゃってさ…。今保育園から連絡があったの。迎えに行かなくちゃいけなくなったの…。」
「わかりました。この資料、いつまでですか?」
「…今日中……。」
は?という本音を飲み込みニコリと笑う。
「わかりました。今日中ですね。」
「ほんっとうにごめんね!部長には伝えてあるから!」
伝えてあるから?なんだ?そんなこと言ったって資料を完成するまで帰ることはできないだろう。私の仕事も今日中に終わるか厳しいのに。しかし、河村は悪い人ではない。誰も悪くない。仕方ないのだ。
…ただ、独り身の私によくこういった仕事を任された。だって帰ったって独りだから。時間が多少遅くなったところで特に問題はない。
今まで何も気にしていなかったのに。
どうして今日は独り身であることに惨めさを感じるのだろう。
「お願いします!」と私と引き継ぎ作業をして、河村はバタバタと自分の荷物を片付けてフロアを出て言った。
「ほんっと、三島先輩は運が悪いですね〜。」
フフッと隣から声が聞こえる。後輩の山下だった。自分のデスクに座って、髪をクルクルと指で絡めながらニヤニヤと笑ってる。
「三島先輩、なんでもホイホイOKしちゃうから面倒事押し付けられるんですよ〜」
「は、はぁ…。でも仕方ないでしょ…。河村さんだってお子さんが熱出したって言うから…」
「ふ〜ん、子供ねぇ…」
不服そうに呟く。
「こうやって帰られると困るんですよね〜穴埋めが。ま、私には関係ないですけど。」
山下は指に髪を絡めながら、嫌味ったらしくポテっとした唇を動かす。周りの視線を感じる。
「ちょっと、声大きいって。」
私の声が届いてないのか、山下は声のボリュームを下げずに話を続ける。
「あ、そうだ!三島先輩も彼氏作って結婚しちゃえばいいんですよ!」
「だから!声大きい!」
私がさっきよりも強く山下に言う。
「あ、すみません。」
ようやく山下は周りに気付いたのか周りを少し見渡し、申し訳なさそうに頭を少し下げた。
「でも結婚すればこんな面倒事押し付けられなくて済みますよ。それにほら、早くしないと婚期逃しますよ。」
小声でまたニヤリと笑う。
「余計なお世話よ。」
「こんな会社に未来なんて無いですって。私たち女には消費期限があるんです。とっとと良い男を見つけて結婚するのが良いんです。」
「結婚ね……」
山下は結婚が全てと考えている様子だった。
「そうですそうです!あそうそう、私、今年で退社しようかなって思ってるんです!」
「え…?今なんて…」
「フフッ、もうすぐ結婚するんです。彼氏が会社辞めてもいいよって言ってくれて!」
「そ、そうなんだ。おめでとう。」
「フフ、ありがとうございます。先輩も良い人見つけてくださいね。」
「あ、う、うん。」
私は返す言葉が見つからなかった。山下は幸せそうに笑っていた。彼女にとって結婚は人生最上級に幸せなことなのだろう。
私に良い人?見つかるわけないだろう。私なんか…。
どうして。
どうして。
いつもは周りの事情なんて興味なかったのに。
どうして?
…いや、違う。
興味がないんじゃない。そんなフリをしていたんだ。
彼女の幸せそうにでも私にとっては憎たらしいその笑顔。
羨ましい。
ぐしゃぐしゃに潰したくなる目の前の女の顔。そんな顔を見た時、ようやく気づいた。
変わらなければ。
「…ん輩…三島先輩!」
「…え?」
「どうしたんですか?そんなぼーっとして。体調悪いですか?」
「えっ、あ、ごめん、なんでもないよ。」
室内は涼しいはずなのに背中に嫌な汗が流れる。
「そう…ですか。あ、そろそろ業務に戻らないと!それじゃあ河村さんの分も頑張ってくださいね♡」
グロスでテラテラと光った唇がニンマリ笑う。
…馬鹿な女。
少し生意気な後輩としか思ってなかったのに、目の前に写る女は私の憎悪そのものだった。
当たり前のように残業をこなして、フラフラになりながら家路に着く。私は残りの気力を振り絞り、昨日書き残したメモを探す。
…見つけた。
私の指は勝手に動いていた。
プルルルル…プルルルル…ピッ
深夜にもかかわらず、電話が繋がった。私は恐る恐る口を開く。
「も、もしもし…?」
『はい。』
「あ、あの…サイトを見て、で、電話したんですけど…」
『かしこまりました。ご相談日はいつにしますか?』
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