微酔

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微酔

「そう…か…。おじさん、癌だったのか…。最近具合が悪いって聞いてたけど…。まさか…。」 そうポツリと言い、一口ビールを飲んだ。 「うん…。ステージ4の胃癌。転移もあって、完治は難しいみたい。それに向こう5年の生存率も10%以下で…。」 「そんな…。」 周りはガヤガヤと飲んだくれ達が馬鹿騒ぎして明るい場所だが、ここだけは空気が酷く重苦しく、ずっしりと見えない何かが乗っかっているようだった。 私もグビリとビールを飲み、口を開く。 「ごめんね、暗い話しちゃって。」 「いやいや全然。何か辛いことがあればいつでも…。」 「それでさ」 智史は何か言いかけたが、私がそれを遮るように会話を続ける。 「私、婚活してるの。」 「は?」 智史は口に運ぼうとしていた煮込みをボトリと皿の上に落としてしまった。 「いやだから、婚活してるの。」 「こ、婚活!?お前が!?『恋愛なんて時間の無駄』とか言ってたお前が!?婚活ぅ!?えぇ!?なんで…?」 智史はひどく目を見開いて驚いている様子だった。 私はビールをまた何口か飲む。 「それは…。」 「…なるほど。おじさんが優子の将来を心配していたのか…。」 「うん、偶然聞いちゃって。だからお父さんにせめて恩返しがしたかったけど…」 「結婚相談所を休会してしまったと。」 「はい…。」 「はぁ…。」 智史は深いため息をつき、レモンサワーを飲んだ。 「な、なによ。」 「あのなぁ、結婚結婚って優子自身はどうなんだよ。男って言ったら俺としか話せねぇし、まぁ家事は出来るとして、趣味もない、暗い。」 智史は私の痛いところを突いてきた。 「そ、そんなにズバズバ言わなくても…」 自己嫌悪に陥って辛くて呑んでいるのに智史からの追い討ちはかなりキツかった。私はそれを庇うようにパインサワーを飲んだ。智史はまた口を開く。 「…そして優子自身の結婚願望があまりにも無さすぎる。」 「え?」 私の様子を見た智史はさらに深いため息をついた。 「はぁ…。優子はさ、婚活する理由って『おじさんに花嫁姿を見せたい』ってだけだろ。2人で仲良く暮らしたいとか子供が欲しいとか優子自身の結婚への熱意が感じられない。結婚相談所入会して結婚する意思ないとかマジ金の無駄。」 「私の結婚願望…。」 よく考えてみたら確かに無かった。私は父の為と思って男の人と頑張って話そうとしてみたけど、上手くいかなくて、ストレスになっていた。 「まずはさ、異性と話す楽しさとか知ったら良いんじゃね?それで慣れてきたらまた婚活始めればいいじゃん。」 智史は私を慰めるように笑い、焼き鳥を頬張った。 「そ、そんなこと言ったって、男の人と話す機会なんて無いし…。」 私は頬杖をついてガックリと項垂れた。 「うーん、あ!レンタル彼氏とかどう!?」 唐突に智史は声を上げる。 「はぁ?レンタル彼氏?」 私は顔をしかめた。そんな様子を見た智史はニヤリと笑う。 「良い案だと思うけどな〜。マッチングアプリだと変な奴とか多いし、ホストは高いし、レンタル彼氏だったらどんな客にだって優しくしてくれるし、会話の練習にはちょうど良いと思うけど。」 智史は酔いが回ったのか饒舌になっていた。 「そ、それは…そうだけど…」 「『どーせ、心の中では私をバカにしてるだろ』とか思ってんだろ?」 「うっ…うん…」 智史はため息をつき、少しぬるくなった曲がったポテトを食べる。 「あのなぁ、優子は人の心読めるのか?読めないだろ。そんな憶測を気にしてどうする。大丈夫だ。優子は自分が思っているより確実に綺麗だ。まずその低すぎる自己肯定感を上げろよ。なぁ?」 へへっと笑いながら顔を真っ赤にして残ったレモンサワーを飲み切った。 「智史、相当酔ってるでしょ。」 「よっ、酔ってねぇよ。」 下が回ってない。確実に酔ってるな。コイツ。 「はぁ、まぁ、考えてみるよ。」 私もパインサワーの残りを飲んだ。 「あの〜〜すみませぇ〜〜ん。レモンサワー追加でくださぁ〜い」 顔を真っ赤にしながら智史は店員を呼び止めた。 すると大学生くらいの若い男の子がこちらにやって来た。 「ちょ、そんな飲んでいいの?智史弱いんだから…。 あ、私巨峰サワーでお願いします。あ!お冷も…」 「かしこまりました〜」 「ご馳走様です。」 「ありがとうございました〜」 カラン。店の扉を閉める。 智史はフラフラになりながら私の隣を歩く。私もちょっとフワフワと身体が浮いているような感覚に陥った。 「また、そんな飲んで…タクシー呼ぶ?」 「いや!大丈夫!へへっ!」 「あぁ、そう…。」 本当に帰れるのか?まぁ私が気にすることでもないか。 「あのさ智史」 「なに?」 「今日はありがとね。さっきの話、意外と参考になった。」 「さっきの話?」 「はぁ、レンタル彼氏の話。」 「あぁ、あれね。ま、頑張れよ。」 智史はさっきのフニャッと笑った顔から、少しいつも通りの整った顔に戻った。ような気がする。 それから私たちは駅まで着くと解散した。
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