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「そのような前フリをするということは、マスターは仮死状態になったのが呪術のせいだと仰りたいのですか。でも、宴で出された食事に毒物が入っていたんですよね」
「呪術師から、宴で出されるものには一切手をつけるなと言われていたから、何も口にしていなかったんだ。もちろん、彼も口をつけてはいなかった」
「それなら、毒性のある気体を吸ったか、経皮毒に触れた可能性は」
「可能性があるとすれば、宴の会場に入る前、呪術師に、不思議な甘い香りのする香を吸わされたことくらいだよ」
「呪術師はマスターの仲間ではなかったのですか?」
普段はあまり感情を表に出さない勇理も、玄河のあまりに現実離れした話に戸惑っているらしい。困惑の表情を浮かべている。
「呪術師は、少し前から自分が宴の席で殺されるだろうと予言していたんだ。ついてくるなと言われたんだが、私は呪術というもの自体に民間医療程度の効果しかないと思っていたからね、彼の忠告を無視してあとをつけたよ。殺されると聞いて、はいそうですかと放置する気にはなれなかったし、彼らのそういった諍いも目にしておきたかったものでね」
「呪術師は自分の死を予測しながら、宴に出たということですか」
「彼は決定した運命から逃げることは不可能だというようなことを言っていたよ。私がつけてきていることに気づいた呪術師は、お前は死ぬことはないが私以上に苦しい世界で生きることになるだろうというようなことを言った。正直彼の言い回しは独特でね、理解できないところが多いんだ。でも、そんなような話だったんだと思う。死ぬことはないという言葉に私は安堵した。死より悪い状況などないと思っていたからね」
玄河はかすかに陰りを帯びた表情で、遠くを見つめた。彼は時折こういった表情をする。もう戻れない過去の一点を遠くから眺めているかのように。
「それでも帰らなかった私に、とにかくこの香をしっかりと吸い込みなさいと彼は言い、自分も深く吸い込んだ。甘い嗅いだことの無い匂いがしたんだが、おそらくあれは、呪術師が使う麻薬的な成分のあるものだったんだろうと思う。何だったのかを知る方法はもうないがね」
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