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19.「ループなんて絶対させない」
すっかり暗くなった街を歩き自宅代わりにしているラボへ戻ると、入り口の門扉の前に立つ一人の影を見つけた。
暗がりで不審者かと思ったが、まっすぐに伸びた姿勢や街灯の僅かな光を吸収して光るプラチナゴールドの瞳など、見覚えのある風貌に思わず足が止まる。向こうもミーシャに気づいて、背を預けていた門から体勢を起こした。
「シャルル……」
「ミーシャ、こんな時間までどこに行ってたんだ!研究室はもぬけの殻だし、ハル博士に連絡してもわからないって言われて、俺……、っ!?」
久々に耳を突くお小言に色々な我慢ができなくなったミーシャが一目散に駆け出して、シャルルの胸の中に飛び込んだ。ほぼラガーマンのタックルのようだったが、最近の過労ですっかりやせ細ったミーシャが飛びついてもシャルルの体幹はびくともしない。
突然飛び込んできたミーシャに驚いたものの、一度は遠ざけられた温もりが再び腕の中に戻って来た感動にシャルルは内心打ち震えた。胸元に顔を埋める赤茶色の旋毛を見下ろして、一回り小さくなった身体を閉じ込めるように抱き締める。それこそ背骨からバキバキと音がなりそうなほどに。
「シャルル、シャルルっ……!」
「ミーシャ、俺がいない間にまた無茶をしてるみたいだな」
「だってシャルルいないんだものっ……!」
「ああ、ごめん、ごめんな」
自分から身を引いたくせに随分勝手な言い分だなと思ったが、今のミーシャには思慮深い会話なんてできそうにない。責めるように額をぐりぐりと胸元に擦りつける仕草で抗議する想い人の頭に頬を寄せて、今まで触れられなかった時間を埋めるように隙間なくぴったりとくっついた。
相変わらずの馬鹿力に肺が押し潰されそうになったが、それすら愛おしく思えて仕方ない。もうすぐ全部が終わる。さっき、ミーシャが苦しみ続けた十五年間がようやく報われた。だからもう何も我慢しない。胸を張って彼の隣に立ちたい。立っていいんだと、ようやく自分を許すことができた。
「ねぇシャルル、聞いて……?」
「ん……?」
「私、きっとループしても同じことを繰り返すと思うの」
貧乏に喘ぐ家族を放っておくこともできず、民を救ってくれと神官に泣き付かれて身一つで後ろ盾のない王都へやって来た。
どんなに理不尽な状況に晒されても、未熟な自分を認めてくれる親友や心配してくれる優しい店主がいたから卑屈にならずに済んだ。平和になってからも毎日国のために浪費される人生に嫌気が差したこともあったが、ミーシャは根っからの利他的な性分だった。だからきっと、聖女の物語には誰よりもお誂え向きだろう。
「放っておいたら毎日魔力切れで気絶するし、女の子が泣いてたら炎の中にだって突っ込むわ。後先考えないで危ないお見合いだって行っちゃう。だから何度ループしたとしても、きっとシャルルを好きになる。そんな気がするの」
その度に傷つき身を焦がすことはわかっているのに、馬鹿の一つ覚えみたいにきっと何度でも好きになる。後悔なんて二の次だ。王子も騎士団長も魔塔の主も暗殺者もミーシャの物語にはお呼びじゃない。ミーシャの人生には、目の前の年下ワンコ系護衛騎士が必要だ。
「ミーシャ……」
背中を軋ませていた両腕が解かれ、冬の空気で冷たくなった頬を包む。最近何もかもがどうでもよくなって薄化粧しかしていなかったため、さっきの涙で化粧のほとんどが落ちていたが、そんなことはもう気にならなかった。
ひんやりとした額が合わさって、眼前には黒髪の隙間から覗く美しいプラチナゴールドが広がる。神秘的な光景に恍惚と瞳を潤ませるミーシャに、シャルルは力強く宣言した。
「ループなんて絶対させない。ミーシャはこの人生で俺と幸せになるんだ」
不安で壊れそうになっていた薄氷の心が、そのたった一言で蕩けて水に変わる。安心でポロリと零れた涙を拭うようにそばかすが散った頬や目元に落とされた唇の温かさに、嗚咽が漏れそうになった口を噤んだ。
だが相手には全てお見通しなのか、唇の輪郭をふにふにと親指の腹で撫でられる。冬の空気は乾燥していたが、全てに対して無頓着になっていたせいでリップすら塗っていなかった。自分の詰めの甘さにミーシャの瞳が一瞬揺らぐ。
だが、化粧で武装し孤高に振舞っていたミーシャの素の姿に何より惹かれるシャルルは、強く引き結んだせいで少し切れてしまった唇に、触れるだけのキスをした。あの夜のようにアプリコット色のルージュはしていなかったが、やっぱりどこか甘く感じる。抵抗されないのを確認して、何度も啄むように角度を変えて口付けながら薄目でミーシャの反応を見た。
胸元に添えられるだけだった手が首に回り、閉じられた長い睫毛を涙で濡らしてキスを享受している。少しつま先立ちになっている必死な姿にも胸がギュンギュンした。ああ、絶対に幸せにしなければ。シャルルはパラティンではなく己に誓った。そのためにやるべきことがまだ残っている。
名残惜し気に唇を離してミーシャと向き合う。気恥ずかしそうに視線を逸らす彼女を抱きすくめて、耳元で囁いた。
「なぁミーシャ」
「……?」
「継承の儀の時に、頼みたいことがあるんだ」
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