3.「とんだ聖女だな」

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3.「とんだ聖女だな」

「昼前に目標の七十本に到達していない。このまま生産性が落ちれば今日の納品に遅れが生じる。セドリック王子の勅命に背いたとなれば万死に値するぞ、わかっているんだろうな?」  冷ややかな声で淡々と告げられる護衛騎士のお小言を聞き流し、ミーシャは与えられた研究室で残りの約百本もの試験管と向き合う。まるで大罪を犯して務所で奉公する罪人のようだなと密かに思った。  乾燥させた薬草を煮詰め成分を抽出したものにカエルの臓器やコウモリの牙などのエッセンスを混ぜ培養液を作る。このままではただの滋養強壮剤なので、そこに魔力を注入して完成するのがポーションだ。この魔力注入が一番のミソなのだが、一瓶ごとにムラが出ないように注入量を調整しないといけないので、地味に神経が磨り減るこの面倒な作業を毛嫌いしている研究員も多い。  一般的に市場に流通しているポーションは、ラボで働く研究員が製造している。ちなみに一人当たり一日三十本が製造限界ラインだ。それをミーシャは毎日百五十本の納品を国から、と言うより王子から命じられている。 「いくら国防のための備蓄品だからって、もう少し余裕のある納期に変えられないのかしら。戦時下じゃあるまいし……」 「女神の加護を受けただけで王宮へ召し上げられて呑気に聖女を名乗っている貴女にはわからないだろうが、ローランは十年前の内紛で自国に大きな損害を出した。セドリック王子の兄君もあの戦争で逝去なされている。必要以上に備えるのは当然だろう」  ミーシャの不服をぴしゃりと跳ねのけるシャルルは、不遜な態度を崩さない。この年下の騎士はどういう訳か自分への当たりが一際強い気がして、正直ミーシャは苦手だ。  初対面ですら「俺は今までの護衛騎士と違って聖女だからと特別扱いするつもりはない。セドリック殿下のご命令を遂行するため、馬車馬のように働いてもらうからな」と対人コミュニケーション能力が著しく欠如した挨拶(ジャブ)をかまされた。歴代の護衛騎士たちにも聖女扱いなどしてもらった試しがなかったが、ここまで敵意をむき出しにしてくるタイプは初めてだ。 「あのさ、いちいち鼻につく物言いしてくるけど聖女云々(うんぬん)の前に私は君より年上なの。騎士団ってそういう上下関係は厳しいんじゃなかったっけ?」 「騎士団は年功序列ではなく実力主義だ。よって、俺は貴女のことを敬う気は一切ない」  つまり完全に舐め腐っている、と。そこまで言われたらいくら穏便なミーシャも面白くはない。こちとら雑草魂で聖女歴十五年だぞ。さっき言ったローランの内紛にだって当然駆り出されている。成人して騎士の叙任式を終えたばかりの新人君とは踏んだ場数が違うのだ。  シャルルにぶつけるべき不満を全てポーション作りにつぎ込み、予定数を定時より一時間以上早く納めてドヤってみせた。しかし「納品時間を守るのは当然だ」とお澄まし顔を一切崩さない護衛騎士に、ミーシャは「さっさと辺境伯令嬢あたりと結婚して異動してしまえ」と心の中で呪う。大人なので言葉にはしない。 「今日はもう疲れたから早上がりしよ~っと。久々にカフェで本読みたいし」 「怠惰な聖女で国民がかわいそうだな」 「目玉くり抜いて水洗いして左右反対に付け替えた方がいいんじゃない?」  余所の国の聖女を見てごらんなさい。平和な国で公爵様とロミジュリしたり、婚約破棄されてモフモフと暮らしたり、追放されて自由気ままにセカンドスローライフを送ったり、なんやかんやで処刑されたけど時間退行して悪女になったり、それぞれ波乱万丈ですが順風満帆にヒロインの道を歩んでいるではありませんか。  こんな、社畜のごとく働かされて婚期を逃した上に最低限の名声しか得られず田舎の両親を養っている聖女、他にいるだろうか。与えられた任務を終わらせて仕事を早退してカフェに寄るだけでいちいち針を刺される(いわ)れがどこにある。  チクチク嫌味を言ってくる護衛騎士を引き連れて夕方の街を歩く。赤レンガ造りで統一された景観の大通りを進み、ブティックやコスメショップのショーウィンドウを眺めた。こんなゆったりとした時間は久々だ。仏頂面のシャルルがいなければなお最高だっただろうと、ミーシャはひっそりと悪態を吐く。  だがこれはお楽しみの前菜だ。本来の目的である行きつけのカフェテリアは、大通りから少し外れた運河沿いの集合住宅の一階にひっそりと佇んでいる。知る人ぞ知る隠れ家的な店で、初老のマスターはミーシャが上京したての頃から事情を知りながらも心配りをしてくれる人徳者だ。背負い込んだ色々なものを放り出したくなった時、彼女は決まってそこに逃げ込む。  階段を下りて運河沿いの道へ出た。夕焼けを照り返した美しい水面を遊覧船が通り過ぎる。人目がなければスキップでもしたくなるくらいの日和だ。 「今こうしているうちにもどこかで苦しんでいる国民がいるかもしれないのに、呑気なもんだな」 「どんな規模よ。人助けなんて手が届く範囲じゃなきゃできないじゃない」 「とんだ聖女だな…………おい、何か臭わないか?」 「そう言えば……ねぇ、あそこ!」  ミーシャが指差した先に、黒煙を噴き上げる一棟の建物があった。炎が内側から窓ガラスを割り、逃げ惑う人々がこちらに押し寄せる。その喧騒の中で、助けを求める子どもの甲高い声が聞こえた。見れば、燃える三階建ての建物の二階の窓から少女が身を乗り出している。それを見た瞬間、制止するシャルルを振り切りミーシャが人の間を縫って駆け出した。
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