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プロローグ
彼岸花が咲き誇る川のほとりに、赤い洋館がぼんやりと姿をあらわした。
僕を乗せた船は、どうやらあの場所を目指しているらしい。
あたりに漂う霧がゆるやかに薄くなり、視界の色が明瞭になっていく。
きっと、建物はレンガ造りだ。
厳かでクラシカルないでたち。
そんなことを考えていると、桟橋に船が止まった。
僕の視線の先には、でかでかと「役所(天界の窓口)」と書かれた看板がひとつ。
その文字に吸い込まれるようにして、白い人たちがぞろぞろと船を降りていく。
「ここで、僕も降りるってことだよな」
同じ恰好に同じ歩調。
まるで、学校に到着したばかりのスクールバスみたいだ。
僕は最後尾でのんきに考え事をしながら、少しずつ前へと足を進めた。
「はい。行ってらっしゃい」
にこやかに送り出してくる操縦士(名札には「船人・カーター」と書かれている)に会釈をして、綿菓子のようにふわふわとした地面にゆっくりと足を乗せる。
ひやりとしたが、おっこちるようなことはなかった。
ほっとしてあたりを見渡す。
「ここは……」
頭をフル回転させても、思い当たる節はひとつしかなかった。
「天国」
「ふふ。名称が少し違いますね」
目の前に現れたのは「案内人・リリアン」と右胸に記された美しい女性だった。
「ここは天界、私はガイド。
さあ、この番号札をお持ちになって。
呼ばれるまでは、席でお待ちくださいませ」
案内人に渡された紙には「三十四」と書かれている。
番号を復唱しながら役所内へと入ると、既視感のある光景が広がっていた。
ポーン、と心地の良い音が鳴る。
「二十番の番号札をお持ちの魂人様、六番窓口にお越しください」
ふと、頭に浮かんだのは、市役所で行われる引っ越し後の手続きだ。
さんざん待たされて、書類を書いてハンコをおす。
たしか、こんな感じの流れだと思う。
「まあ……」
ある意味では天界への住所変更か。
そう、納得しかけて「ん?」と首を傾げる。
「僕、どうしてここにいるんだ?」
それだけじゃない。名前、住所、職業、家族構成、何ひとつとして情報がない。
記憶として残っていることは、日常的な営みだけだ。
どうやら、僕自身に関する内容は、身長から足のサイズに至るまで、すっぽりと抜け落ちているようだった。
待合ブースのソファに座り、うんうんと唸っていると、ポーンという音とともに三十四番の魂人が呼び出された。
思わず「はい」と返事をする。
名を呼ばれたら、元気に挨拶をする。
そんな一連の動作が体にみっちりと染みついているらしい。
もっとも、名前ではなくただの番号なのだけど……。
僕は義務感に背中を押されつつ、窓口へと移動することにした。
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