バタフライ・ドリーム

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芽衣(めい)、遅刻するよー」  あたしは、ママの呼ぶその声でやっとベッドの上に身体を起こした。  ベッドヘッドの置き棚には、アラームを解除され、無残に転がった目覚まし時計が三つ。それを見てやっと状況を理解した。  とにかく、パジャマ代わりのジャージを脱ぎ捨て、高校の制服に“秒”で着替える。脱兎の如く部屋を飛び出し、転がるように階段を下ると、廊下を挟んで向かい側にある洗面所に駆け込んだ。  顔を洗い、口に歯ブラシを突っ込んだまま、 「なんれ、もっと早く起こして&%×#かなぁ!」  と意味不明になりがちな文句を並べた。 「何回呼んだと思ってるの? もう」  ママがキッチンでブツブツ言ってるのが聞こえる。  すると、ダイニングテーブルに座り、朝食を食べていたパパが、 「高校生になって以来、毎朝、当たり前の風景になりつつあるぞ。今日も頑張れよ」  そう笑って励ましてくれた。  バス停まで、歩いて五分、走れば二分だ。でも今日は歩いて行こうと決めた。  朝食を食べる時間がなくて力が出ない、なんてまぁそれはパパの言う通り、高校生になってからはいつもの事だけれど、今日は更に問題発生だ。  何せ、寝癖が直らない。あたしの髪の毛は、ほとんどが癖のないストレートなのだけれど、右側の側頭部付近だけにどうも変な癖があるようで、毎朝当たり前のように一房ピョコとハネるのだ。  そんなあたしの毛質にとって、ちょうどハネやすいショートボブにしていると言う事にも問題があるかもしれない。が、いつもなら32mmのヘアーアイロンでサクッとやっつけてしまえるのに。    直せなかった髪の毛を手で押さえ、少しでも納まる事を願いつつバス停まで歩く。  けれど無情にも、あたしがバス停に着くと同時に、いつも乗るバスが定刻通りに滑り込んで来た。 『ピー』と開閉音を鳴らしてドアが開く。  あたしはスッテプを上がりながら、それとなく車内を確認する。  ――今朝もいた!――  そして、手前の人をかき分けかき分け、お目当ての彼の隣へ。これは通学途中の密やかな楽しみなのだ。  高校に入学当初から、朝のバスで見かける彼は同じ高校ではない。制服から判断するに、あたしの通う高校よりひとつ先のバス停が最寄り駅となる、男子校の生徒なのだろう。背が高くて、人気アイドルによく似ていて、とにかくカッコいい。  見ているだけで、朝から気分がアガる。  当たり前だけど彼はあたしの事なんて知らない。それでも彼に会うときには、髪の毛なんてハネていてはいけないのだ。  ――まぁ、いつも通り寝坊した自分がいけないんですけど……――  深い溜め息を吐いたところで、降りるバス停名のアナウンスがあり、あたしは降車ブザーに指を伸ばした。  お昼休みを告げるチャイムが鳴り渡る。 「芽衣、お弁当中庭でたべよう?」  クラスは違うのだけど、中学からの親友のケイちゃんが、あたしの教室まで迎えに来てくれた。 「うん、今行く」  あたしはお弁当が入った巾着袋を抱えて、いそいそと教室を後にした。  外で食べるには、少しばかり日差しがきつい季節に差し掛かっている事に改めて気付く。  でも、中庭にはとても大きなマテバシイの木があって、その影になる場所にベンチがあるのだ。  ケイちゃんとふたり、そこでお弁当を広げた。 「あっ、これ芽衣好きでしょ? 一個あげる」 「ありがとう。ケイちゃんこれ好きだよね。ハイっ」  いつも、こうやって好きなオカズを取り換えっこしたりする。  それは、普通の事。  それは、当たり前に過ぎて行く日常の一コマ。  それが、とても嬉しかった。  お腹が膨れると瞼が下がって来るものだ。そして、吹き渡る風は心地良い。けれどここで、寝てしまうわけには、まだいかない。  午後からは、あたしの苦手な物理の授業が待っている。表の中を縦横無尽に走る線に、何故、数式を当て嵌めなければならないのか、ぜんぜん意味が分からないのだ。  でも、愚痴を並べてみても、やはり頑張らなくてはならないと思う。赤点だけは回避したいから。
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