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白い花が香っていた。
墓地の匂いだった。
少女は、静かに石碑へ頭を預ける。さらりと長い茶髪が風に煽られ揺れた。目を閉じ、ゆっくりと腕を持ち上げた。唇に、尺八を当てる。ヒュ…ボォ〜〜。闇を斬り裂く低音が響き渡った。
黒い着物に、薄紫の帯が花結び。青白い顔に、目もとへ大きな紫の隈をつくった少女——蓮は、さらに尺八を吹き鳴らした。荒れ狂う砂漠の風のように。哀愁と怒りを込めて。どうせここは無人の墓地だ。人目をはばかる必要はない。山奥の寺の、さらに裏の藪の向こう。いかにも幽霊の出そうな新月の夜に、ここを訪ねてくる酔狂な者などいる訳がないのだから。
「…先客が、いたとはな。」
どくん、と心臓が跳ねた。蓮はバッと振り返った。
「あぁ、すまぬ。驚かせるつもりはなかった。」
白髪の老人が、いた。
蓮は息を呑む。…いつの間に現れたのだろう?全く前触れもなにもなかった。どこか空恐ろしい気分になる。自分はそれほどに尺八に熱中していたのだろうか。人の気配にすら気づかないとは。しかも老人は、かなり特徴的な格好をしているというのに。
彼は茶色の薄衣を纏い、肩からは毛皮のマントを羽織っていた。小脇に小さな琴のような楽器を携えて。堂々とした立ち姿は、サバンナの獅子のような威厳を感じさせる。
無言で押し黙る蓮に、老人はただ困ったように微笑んだ。
「……ふっふ、参ったな。わしは幽霊でも誘拐犯でもないんだが。」
言い終わった途端、老人は大きなくしゃみをした。一瞬、顔を顰めた子供のようなおかしな表情になった。おお寒い、と肩をすくめる。
蓮はごくりと唾を呑む。できる限りの平静な声を絞り出した。
「…おじさんも、だれかのお墓参りですか?」
「ま。そんなもんだな。」
老人はひょいと蓮の横に腰を下ろした。
枯れ木のごとく皺だらけの腕。ニョッキリと突き出たそれらは、ひどく青白かった。何気なく老人の足元を見た蓮は、危うく心臓が止まりそうになった。…老人の足が、透けていた。
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