かわいいぼくちゃん

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 健診ホールのドン詰まりにある準備室。諸々の診察器具や看板、消毒薬などなど、健診で使う諸々が仕舞い込んである小部屋。  私はそこにワゴンを押して行った。 「失礼しまーす」  軽くノックをして引き戸を開くと、中で洗濯機をセットしていた山田さんが振り向いた。 「診察室、片付いたかい?」 「はい。あとは、明日の一歳歯科健診用に、机を並べ替えるだけです」  私は観音開きの薬品だなを開けて、ワゴンの上の道具を納め始める。 「そうかい。皆、仕事が早いねぇ」  山田さんは目を細めた。皆から回収したエプロンを詰め込んだ洗濯機のスイッチを入れる。 「ちょっと前にさぁ、『叱らない育児』とやらが流行ったろ?」 「あー……。『体罰防止』とか『児童虐待通報』とか声高に叫ばれてた頃に、アメリカ式育児が自己肯定感をのばすとかなんとか言って、ほめて伸ばしましょうみたいな流れが出来ましたねぇ。かなり曲解例が出てそっちも問題になりましたけど?」 「アレのせいで、子どもの顔色を窺う親が出てきたのかもしれないな」  片眉を上げてコチラに意見を求める山田さん。それは、私も思った。    「叱らない」というのは、「大きな声で高圧的に叱責する指導はしない」ということであって、決して「子供のどんな態度も肯定する」ことではない。善悪の判断のつかない発展途上の存在を導くためには、高圧的な態度や暴力をもってダメ出しをしたり、「こうしろ」と強制指導するよりは、望ましくない結果に導いた原因や感情を明らかにして、よりベターな方向性に導く方が効果がある、ということなのだ。  当然、面倒くさい。  怒るのも、大概エネルギーを使うので面倒臭いのだが、それ以上に根気がいるのが「叱らない育児」だ。  それを、怒るエネルギーすら放棄し、子どもの行動や感情を一切否定しないことを「叱らない育児」だと勘違いして、常に優しい態度を取ることが是だと思われた節がある。 「叱らないのって、楽ですもんね。無視すればいいだけだから」 「んー。だから、魔の2歳児がでかくなったうえ、小賢しい知恵だけついたのが出てくるんだよ」 「褒めるっていうのも、相手を理解してタイミングよく行うのが大事で、闇雲に褒めまくったら『煽ってんのかコイツ』ってなりますよ」 「田町ちゃん、お片付け上手ねぇ」 「………」  私は真顔を山田さんに向けた。 「……早速、エグイっすね。山田さん」 「な? そういうもんだ」  ドヤ顔の山田さんに、私は盛大に吹き出してしまった。     
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