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頼まれていた書類整理もすっかり終わり、私たちは、終業時間にきっちり合わせて保健師さんたちに挨拶をすませた。
自転車通勤の私は時間に制約はない。公共交通機関を利用するの他のパートさんたちと別れると、健診ホールの隅にある自販機でホットコーヒーを買い、待合のソファに腰かけて一息ついた。帰ったら、夕飯の支度やら何やらでゆっくり座る暇もないから、今のうちに一息入れておくのだ。
背後に誰か来て、自販機で何か買っているようだ。ゴトリと音がした後、コチラに声が掛かった。
「田町さん、お疲れ」
「はい。お疲れ様です」
振り向くと深川さんが疲れた顔でミルクティーの蓋をひねっていた。
「なんかスゴイの引き当ててましたね」
先程の相談者はちょっと大変そうだったなと、思い出して、労いの言葉を掛ける。深川さんは溜息を付いて、ソファの背に腰を落ち着けた。
「親の愛って、なんだろうね?」
「親の愛? ……ですか?」
私の頭には3歳児健診のキルラちゃんのママの顔が閃いた。
「……さっきの相談者さんね、糖尿病が悪化して、来週から教育入院なんだってさ」
「はぁ……」
「その間、『宅の坊ちゃんのお世話は誰がしてくれるのか』って相談しに来たのよ」
「はぁ……。坊ちゃん」
金切声の女性、声しか聴いていなかったけど、そうそう若くはない声だったような?
「30代後半の坊ちゃん」
深川さんはミルクティーを一口飲み下す。私は目を丸くした。
「それ、坊ちゃんどころか、おっさん」
「だよね。立派なヒキニートをお育てのようですよ」
「えー? 旦那さんは?」
「いない。つか、旦那さんの方が糖尿病が原因で先に亡くなってる。家族的に不健康な生活なのよ。でないと、2週間の教育入院なんてねぇ……。こう言ったら怒られるけどさ、料理してる主婦にキッチリ教育が必要なくらい駄目駄目ってことは、よ? 多分、ヒキニート息子も調べりゃ何か出てきそうなんだけど」
「……こっわー。でも、その手の話って、うちじゃなくて社会協議福祉会向けなんじゃ?」
「うん。それね、最初にあっちに行ったんだって。そしたら『健康な成人男子がいるのに家事労働にヘルパーを送れません』ってさ、門前払いだったらしくて……」
「え? メンタルでヒキニートなわけじゃないんですか?」
「それが受診拒否するからメンタルがどうとかの判断も出来ないわけ。まぁ、話を聞くと、メンタルで引きこもった訳じゃないかもしれないんで、……やっぱ病名でヘルパーを引っ張るのは無理そう」
「有料で民間家政婦頼むのは……」
「無理でしょ。収入は遺族年金と国民年金の家だし、なんせ2週間だからね」
「2週間がっつり来てもらわなくっても……」
「それがさ、『私と同等に坊ちゃんのお世話をやいてくれなきゃ可哀相』なんだって」
「なんじゃそりゃ」
「そう、なんじゃそりゃ、なのよ」
私と深川さんは、茫然と顔を見合わせた。
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