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ヨソサマの教育方針なんて、本人たちが問題だと認識しなければ、修正のしようがない。問題だと認識することについては、「困り感」という言葉で表現される。
この「困り感」というのが曲者で、本人たちは困っていないのに周囲が困るということが往々にしてある。親が「いじめだ!」と訴えるものの内、数パーセントは、この「周囲が困る」が含まれているのではないか、と思うことがある。周囲が対応に困るが故に遠巻きにするしかなく、本人がそれを「仲間外れにされた」と思ってしまうアレだ。
「『叱らない育児』なんて今始まったことではないのよね」
と深川さんは言った。
件の坊ちゃんの引きこもりの発端は、小学校で友達との関係を上手く構築することが出来なかったことにあるようだ。高齢夫婦の間に漸くできた子だったので、蝶よ花よとちやほや育てて、小学校に上がるまで自分のお尻も満足に拭けない子だったらしい。
というのも、こちら側の認識で、金切声の母の言い分からすると「学校に上がるまでトイレの世話までしてあげていたカワイイぼくちゃん」なのだ。根は深い。
大切に育てることは、甘やかすこととイコールではない。
自宅の台所に立って、私は短く息を吐いた。夕飯の支度をしなくてはいけないのに、なかなか頭が仕事モードから切り替わらない。翻って、自分はどうかな。本来の意味で「大切に育てる」ことが出来ているだろうか。
「おかさん、どしたん?」
次女のルリが、台所に顔を出した。
「あ、あー、ちょっと考えごと。そっちは何?」
「豆乳欲しいなと思って。ココア味取ってー」
私は振り返って冷蔵庫から豆乳を取り出して渡す。ありがとう、と受け取ったルリは、ちょっと口を尖らせてコチラを上目で見た。
「ねー、おかさん、北斗、覚えてる?」
「ホクト? 吉澤北斗君? 覚えてるよ」
「帰りに駅前で会ったんだ。公立中退して、今私立の通信なんだって」
「へぇ……」
次女は高校2年生。今は公立の専門高校に通っている。
吉澤北斗君というのは、小学校の時の同級生。堪え性のない子で、気に食わないことがあると突発的にとんでもない行動することで有名だった。うちの子も、理科の実験班だかなんだかで思うとおりにさせてくれなかった――そりゃ、彼に任せたらどうなるか分からないから当然の処置なんだけれど――とかで、外履きの靴の中に水彩絵の具を絞り入れられて、えらい目にあっている。
「私が私服だったから声かけてきたみたい。制服のない公立高校に通ってるって言ったら、『嘘松』認定してきた。失礼しちゃう。中学は別だったから知らんけど、相変わらずみたいだね」
自分が世界の中心で、自分が知らないことは全部嘘。小学校の頃から変わらない。彼のママ、「すみません」が口癖だったなぁ。
「ねぇ、ルリさん」
私は我が子を「さん」づけで呼ぶ。
「ん?」
豆乳を飲み始めたルリは、丸眼鏡越しの目をキョロリとこちらに向けた。
「叱らずに育児なんて、出来ないよね?」
「んー……」
目をキョロキョロさせながら、しばし言葉を探す仕草。
「叱るっていうか、注意する? そういうのはあるよね、やっぱ。コッチだって適当だったり上手くできなかったりするから。だいたいさー、こっちがマズイことして叱られてんだって自覚はあったから、そりゃぁ、そう言われるよなぁ、御説ごもっともだよなぁって」
「自覚あったんかい」
私は鼻白んだ。ルリはすっとぼけた顔で、ズズーッと豆乳を啜った。
「『怒らない育児』なら、おかさん普通にやってたと思うよ」
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