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「何をしている」
声をかけると、少女はゆっくりと男に顔を向ける。
「今日は飛ばなかったんだな、と思いまして」
男は少し離れたところに椅子を置いて座り、同じように飛行機を見上げる。
「ガソリン代が馬鹿にならんからな。たまには怠け者の使いっぱしりでもするさ」
「治りませんよ、ガソリンを入れても」
「何の話だ?」
男がにらみつけると、少女は肩をすくめて微笑む。
「ガタのきた飛行機にいくらガソリンを入れたって飛べないのと同じように、私も薬では治りません」
「俺が直すさ。これまでだって、こいつとはそうやって空を生き抜いてきた」
男が立ち上がる。
その袖を、ほんの小さな力が引いたような気がした。それは少女の、小さな、独白の力だった。
「父さんから聞きました。あなたはいつも飛行機を駄目にする人だと」
タラップに伸ばした手が、油臭い空気の中で止まった。
男は振り返って少女に訊ねる。
「お嬢さん、名前は」
少女が口にした名字は、かつて男の飛行機を整備していた兵士と同じものだった。
「ああ、そうか。そうだな、お前の親父さんには、さんざ世話になっていたさ」
男は歯切れの悪い言葉を噛みしめる。
「その病気とやらは、治らないのか」
「お医者さんがいなければね」
「期待はできないな」
「ええ、みんな怠け者ですもんね。私が死ぬ方が早い」
少女はこともなげに笑い、疲れたように壁にもたれかかる。
左肩にしなだれた頭が微かに震える。
「気分が悪いなら休め。薬で治らずとも、症状を抑えるくらいにはなるはずだ」
男は立ち上がり、有無を言わせず少女を抱き上げる。
十六、七ほどの少女の肢体は不健康な軽さを男の腕に貼り付けた。
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