第一話【寄宿学校 R学舎】

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第一話【寄宿学校 R学舎】

 ドアが開かれると、同室の生徒達が一斉に圭吾を振り向いた。その視線に怯え、身を縮める。室長の沢木にそっと背中を押されて、部屋へ一歩を踏み入れた。 「今日から同室になる藤間圭吾君だ」  挨拶を。と、沢木に促され、「……藤間圭吾です。よろしくお願いします」と、圭吾は消え入りそうな声で挨拶をした。  今まで接してきた人間は、ほとんど大人だった。いきなり同年代の少年の群れに放り込まれ、圭吾は戸惑う。泣き出したい程の不安な気持ちを胸に抱えて、沢木の後を着いて行く。 「君の寝台はここだよ。下に箪笥がついているから、服はそこへ入れてきちんと整理整頓する事。それで、机はこっち。君の机は窓際だよ。勉強道具は引き出しの中へ入れて、やっぱり整理整頓をすること。持ち物には全て、名前、書いてあるよね?」  訊ねられ、圭吾はこくりと頷いた。 「じゃ、大丈夫だね」  沢木はそう言って微笑んだ。  寄宿舎には、皆が快適に過ごす為と銘打った数々の規則がある。  朝は6時に起床だし、夜は9時に消灯だ。  寝る前に部屋の外へ出て点呼を取る。名前を呼ばれたらしっかりと声を出して返事をしなければならない。これは、朝も同様で、起床し寝台を整え、顔を洗い、歯を磨く。制服に着替えてから部屋の外へ出ての点呼。圭吾にはそれが上手くできなかった。 「藤間君? 藤間圭吾君?」  二度、三度と呼ばれ、圭吾は緊張から声も出せなくなってしまう。まだ、仲良くなっていない同室の生徒達は、くすくすと笑うばかりで助けてはくれない。  圭吾は孤独だった。 「藤間君なら居ますよ」  ある日の朝、圭吾に代わり一人の生徒がそう言った。 「喉の調子が悪いみたいです。さっきから返事をしているけれど掠れています」  驚いて、そう言ってくれた生徒に目を向ける。するとその生徒は、明るく圭吾に微笑んで、肩をすくめてみせた。名札に目を向けると、安藤司、と書いてあった。  広々とした食堂。  先生も生徒も一斉に会する朝食の席で、圭吾は、先程、自分に助け舟を出してくれた司の方にチラリと目を向けた。同じテーブルについている所を見ると、どうやら同室者らしい。今まで緊張のあまり、圭吾は司の存在に気づいていなかったのかも知れなかった。  朝食の時間を終え、順番に食器を片付ける生徒達を見送りつつ、圭吾は食器置き場から人の波が引くのを壁に背を持たせて待っていた。そこへ、食器を重ねた司が歩み寄ってきて、スッと圭吾の前を通り過ぎる。その一瞬に、圭吾は先程の礼を述べたかったけれど、どうしても声が掛けられず、口をつぐんでしまった。  教室でも、圭吾は孤独だった。   途中入学の圭吾を珍しがって、初めこそ声を掛けてくる生徒もたくさんいたが、圭吾の口数があまりに少ないものだから、一緒にいる事が退屈になり、そして一週間も経つと圭吾がここにいる事も当たり前となり、用事でもない限り、特別、圭吾に話しかけようとする者はいなかった。  圭吾の休み時間の過ごし方と言えば、康成から送られて来た手紙を何度も何度も読み返すだけ。その度に溢れそうになる涙を堪えるだけ。そして、時折、窓の外に目をやって、小さくため息をつくだけだった。 「一週間は経ったと思うけど、まだ馴染めないの?」  珍しく声を掛けられて圭吾が顔を上げると、そこには司が立っていた。前髪を横に流し、優しい笑顔を向けて来る。笑んだ口が大きくて、いかにも明朗な性格の持ち主と言った感じだった。  圭吾が俯き黙っていると、前の席に腰を下ろし背もたれに腕を乗せる形で、圭吾を横向きに振り返った。 「君っていつも一人。教室でも、校庭でも、寄宿舎でも」  そう言われても何と言っていいのか解らない。圭吾は思いつきで、今朝のお礼を口にした。たった一言、「ありがとう……」と。  それだけでは、当然、司は圭吾の言っている言葉の意味を理解する事はできない。きょとんとして、首を傾げて、それから不意に吹き出して、「突然、何のこと?」と、明るく笑った。つられて圭吾の目にも笑みが浮かぶ。 「今朝……、点呼の時、僕は、声が出なくて……君が」 「あぁ、あの事か。別にお礼なんかいいよ」 「……うん。でも、ありがとう」  頬を染めて目を伏せる圭吾を見つめて、司は、「変な奴」と言って微笑した。  その出会いをきっかけにして、圭吾と司が急速に友情を深めたと言う事はなかったけれど、圭吾が困っていると必ず司が助け舟を出す事が日常となった。  そして、十日経っても相変わらずみんなに馴染めない圭吾は、その度に司にあいまいに微笑して、その微笑に司が明朗に微笑み返すと言う事もまた、日常となった。  R学舎へと入って以来、やっと不慣れな寄宿生活から離れられる4日間の休みを前にして、圭吾の気持ちは落ち込んだような安心したような、なんとも言えない複雑な気持ちになった。  寄宿学校へと旅立つ日、駅のホームまで見送りにきてくれた先生と気まずい思いのまま別れてしまった。先生と一緒にいたいと言ったけれど、「君のためだよ」と言う一言だけで、願いを聞き入れてもらえなかった。面倒ばかりを起こすから、嫌われたのだと思った。それなのに、ここへ来て3日目に、先生から手紙が届いた。  不慣れで不安な事も多いと思うけれど、がんばるんだよ。とか、辛くなったらいつでも手紙を書いて。とか、なんだか優しい事ばかり、つらつらと書かれていた。その手紙を何度も何度も読み返しては涙ぐみ、それでも返事を書く事ができなかった。本当にそれをしていいのか分からなかった。  休み時間、いつものように一人で過ごす今の圭吾の指先にも、読み返されてくたくたになったその手紙がしっかりと握られている。 「藤間君はいますか? 藤間圭吾君は」  上級生らしき生徒が教室に向かって圭吾の名を呼び、圭吾はゆっくり立ち上がった。 「……僕です」と、言うと、手招きをされた。生徒達から好奇の視線を向けられながら上級生の元へと歩み寄り、俯いたまま、「何ですか……?」と、訊ねた。すると上級生は、「速達だよ。何か緊急の用事だといけないから、ここで開けて読んでもらえるかい? もし、ご家族に不幸がある場合等は僕は先生に伝えなければいけないから」と、言った。 「……不幸?」  上級生の言葉に、圭吾の顔色は蒼白となった。  先生に何かあったらどうしよう? あんな別れ方をしてしまった。それなのに謝ることすら許されなくなってしまったら……? 無意識に涙をぽろぽろ溢れさせながら震える指先を苦労して動かし、速達の手紙を封から出して、内容を確認した。体から力が抜ける……。 「……どうだい?」  あまりの圭吾の取り乱し方に、気づかうように上級生が訊ねて来る。圭吾は頭を振って、「次の休みの日……、仕事で家を留守にするから……、寄宿舎に残っていてって……。それだけ書いてありました」と、鼻を啜り手の甲で涙を拭いながら答えた。 「あぁ……そう。良かったよ。君の家族に大事がなくて。悪かったね、僕がおかしな事を言ったから……」 「いえ……。手紙をありがとうございました」  何もなかったと言うのに、感情が高ぶって取留めも無く涙が溢れ出る。それを懸命に甲で拭うけれど、拭いきれない。鼻を啜って席へ戻る圭吾を見て、生徒達が「大丈夫……?」と、こんな時ばかりはさすがに声を掛けた。圭吾はその度にこくりと頷き、「ごめんなさい……」と、無意味に謝った。  授業を終えて寄宿舎に戻ると、圭吾は机に向かって改めて手紙を読み直した。手紙にはこう記されている。  圭吾、元気にしていますか? 今日は残念なお知らせがあります。君が、僕の元から旅立ってから、初めての休日が目前ですね。僕は、君に会える事を本当に心待ちにしていたけれど、不運な事に、君の休日を含めた一週間、仕事の都合で長崎へ行かなければならなくなりました。断ろうとしたのですが、僕以外の人員に余裕がなく、僕の願いは受け入れられませんでした。そのかわり、給金を弾んでもらえるらしいので、戻ったら君へ長崎土産を送ります。  そのような理由から、せっかくの休日を、君に一人、留守番をさせるのも心苦しいので、どうか寄宿舎に残り、僕の帰りを待っていて下さい。長崎へ着いたら綺麗な絵はがきを探して、すぐに君へ送ります。お体、大切にしてください。 「本当に会えないんだ……」  圭吾は、先とは違う意味の淋しさから来る涙で瞳の表面を潤した。瞬きをすると雫がこぼれ、慌てて甲で涙を拭った。  その様子を、寝台に横たわり腹の上に本を広げていた司が、じっと見つめていた。教室では不幸はなかった様子だったのに、手紙を読み返して、また、涙を流している。圭吾のあんな姿を目にしたからには、今の圭吾が涙を見せたとしても、誰一人、笑う者などここにはいないのに、涙を恥だとでも思っているように慌ててそれを拭っている。  司は、おもむろに本を閉じ寝台の脇へ置くと、体を起こして圭吾の元へ歩み寄った。肩に手を置き、「大丈夫?」と、訊ねてみる。  圭吾は、びっくりしたように顔を上げると、涙に濡れた煌めく瞳を無理矢理に笑わせて「何でもないよ。ありがとう……」と、掠れた声で返答した。 「……ただ、次の休みに会えないんだって、そう思ったら淋しくなっただけ。平気だよ」  また感情が高ぶったのか、わき上がった涙を照れくさがって笑いながら拭う圭吾を見下ろし、「そんな事か……」と、飽きれて笑った。 「僕も、休日は、ここへ残るんだよ」 「……え」 「淋しい気持ちは解るけれど、それくらいで泣いたりするなよ」  同い年の少年に頭を優しく撫でられて、圭吾は恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にそめて俯いた。それから優しく撫でるその手をそっと向こうへ押して、「子供扱い、しないで……」と、ここへ来て初めて他人に対して文句を言った。
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