メモリーキラー

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 感情の抜け落ちた能面のような顔つきの近藤は、的場に銃をつきつけている。虚を突かれた的場は、彫像のように硬直し指一本動かすことができなかった。 「どういうことだ?」  動揺を押し殺し、的場は冷静を装った。 「あんたのおかげで俺はようやく死ぬことができたわけだが、それはあくまで精神的な話であって、肉体的には生きてかなきゃならない。生きてくにはなにかと物入りだろ?それに俺はもう殺しはこりごりだ。ようやく精神が浄化されたってのに、血で手を汚したくないんだよ。となると先立つものが必要になる」 「それとこの状況と、なんの関係が?」 「惚けんなよ。あんた、酒も飲まない女もやらない薬とも縁がないときて、見たところなにかに金を使ってるようにも見えない。こんな上物のウイスキーをぽんとプレゼントしてくれるくらいには、金を貯め込んでるってわけだ。あんたは知らないかもしれんが、こんなウイスキー俺らみたいのが滅多に口に出来る代物じゃないんだよ。これに比べちゃ俺の飲んでるのなんて」  近藤は空いているもう一方の手でウイスキースキットルを取りだし、ラッパ飲みするように乱暴に口に放り込んだ。 「不味くてしょうがねえよ。けど、こんなんでも飲まなきゃやってらんねぇんだけどな」  自虐的に近藤は言った。 「あんたには随分な人数の殺しを依頼したから、俺はもうすっからかんの素寒貧でな。この先生きてくための資金が必要なんだ」 「今後将来にわたるお前の酒代を俺に出せと?」 「俺の睨んだところ、あんたは相当貯め込んでるはずだ。そしてその金の在処は、あんたのポケットの中のメモ帳に記録されてるに違いない。金の置いてある場所か、銀行の暗証番号なのか、あるいは金庫のダイヤル番号なのか、いずれにせよ生活資金に関することはあんたにとって忘れてはならない大切なことだ。メモに記録されてないわけがない」  酒浸りの脳にしては、いい読み筋だなと的場は思った。確かに近藤の言うとおり、自分の金に関することはメモのなかでも重要な事項として残されている。 「そいつを俺によこせ」 「人を殺して貯めた他人の金を、自分の酒代にして生きていこうってんだから、お前の精神とやらはまったく浄化されてないんじゃないか?酒臭くてたまらんよ」  的場は皮肉っぽく言った。 「問題ない。酒は全てを洗い流してくれるからな」  近藤は下卑た笑みを浮かべた。 「やれやれ、とんだ厄日だな」  言いながら的場は、胸ポケットからメモではなく拳銃を取り出し、流れるような動作で近藤へと突きつけた。お互いの眉間に据えられる形で近藤と的場は対峙する。ビルの屋上で、二人の間に横殴りの風が吹き荒れた。 「やめとけよ。そりゃ銃の腕ならあんたの方が上かもしれないけど、この距離なら本職じゃない俺でも当てられる。もちろんあんたも外さないだろうけど、俺の身体は銃弾ごときじゃ死んでくれない。残念ながらな」  死ねるものなら死にたいという顔で、心底から残念そうに近藤は言った。 「穏便に行こうぜ。どうせあんたは俺を殺せやしない。この肉体が死なせてくれないからな。けど俺はあんたを確実に殺せるんだ。たとえこの銃が狙いを外したとしても、俺はこの肉体であんたを絞殺し扼殺し圧殺し抉殺し殴殺し撲殺することができるんだよ。でも俺はそれをしたくない。もうこの手を血で汚したくはないんだ。だからおとなしくそのメモを渡せ」  殺したくない、と切実に訴える近藤の目に嘘はなかった。しかしそれは的場のことを思ってそう言っているわけではなく、あくまで自分のために殺しをしたくないと言っているに過ぎなかった。 「……俺はな、大事なことは、忘れちゃならないことは書き残しておくことにしているんだ」 「??ああ、知ってるよ。あんたの金のこともそこに書いてあるんだろ?自分にとって金なんか大したものじゃないから記録されてないなんて嘘は通用しないぜ」 「俺も色々自分にとって大切なものを削ぎ落としてきたけど、さすがに金と縁を切ることはできなかったみたいだ。金に関することはちゃんとメモに記されている」  金の切れ目が縁の切れ目、ともメモには記されていた。 「そうだろうよ。生きてく以上、解脱しようが悟りを開こうが、金からは逃れられん。逃がしてくれないんだ」 「俺もそう思うよ。で、俺のメモにはこうも書かれている。殺し屋同士の殺し合い。二人の殺し屋が銃を突きつけ合って引き金を絞りながら対峙する。映画なんかじゃよくあるシーンだが、実際にそんなことになったらたまったものではない。殺し屋を生業としている以上、殺し屋同士の対立は笑い話にもならない死活問題だ。この世界で生きていくためには決して忘れてはならい大切なことだ、とな」  的場は今朝目にしたメモのなかでアンダーラインが引いてあった部分を、暗唱してみせた。 「なんだそりゃ?なんかのジョークか?」 「俺がジョークを大事なメモに書き残すようなヤツに見えるか。ネタ帳を後生大事に抱え込む売れない芸人でもあるまいし」 「つまりはなにが言いたい?ひょっとして酔っ払ってんのか?」 「殺し屋同士が向かいあってはならない。特に近藤、お前とはな」  的場は拳銃を握る手に力を込めた。 「ああ、そりゃそうだな。俺にはお前の銃は効かないからな。覚えてるだろ?って違ったな。ちゃんと書いてあるんだろ?大事なことだから書いておけって言ったはずだからな」  近藤の言うとおり、的場のメモには近藤と銃で交えた一件が記されていた。 その記述に続き、もしもそのような状況に陥ってしまったとしたら、一体どのようにしてその事態を乗り切るべきなのか、どのような予防策などがあるか、そういったことも追加事項として残されていた。 「痛い出費だったよ」 「なんのことだ?」 「全部だよ。俺が貯めた今までの額を全部費やして、ようやく買えた代物だ。おかげで俺の貯金残高はゼロだ。メモにもちゃんとそう記されている」 「おいおい。この後に及んでそんな嘘で乗り切ろうとでも?金は確かにあったが全部使っちまったからないってか?さすがにそのハッタリは無理があるだろ。お前みたいな生きる屍が、いったいなにに貯め込んだ金を使ったっていうんだよ」  嘲るように近藤は言った。 「お前のワクチンだよ、近藤」 「は?」  意想外の答えに、近藤は拍子抜けのような顔をする。 「なにを言って」 「だからお前のワクチンだよ。俺のメモにはこう記されている。お前とだけは向き合ってはならない。向き合った時点でこっちの負けは確定している。だから絶対に向き合ってはならない。もし向き合うのであれば、相手にワクチンを飲ませた状態で、相手の異常能力を消去した状態で向き合うしかない、と」 「な……なんだそりゃ?ジョークのつもりか?それとも酔っ払って」 「いや、ふざけてなんかないし、酩酊してもない。極めて正常だ。お前の方はどうなんだ?願い通りに、死ねる身体になった感想は?」 「ふざけんな!!俺はワクチンなんか飲んじゃいねえぞ。そんなもん飲んだ記憶は」  はっ、となにかに気づいたように近藤は空になって転がったウイスキーの瓶に視線を走らせた。 「ご名答。ワクチンってのは無味無臭らしい。上物のウイスキーにいささかの変化も加えなかった」 「お前も飲んだってことか?俺のワクチンを」 「ああ。だがもちろんお前も知っての通り、俺たちのワクチンってのはそれぞれ個別のものだから、お前のワクチンを飲んだからって俺になにか影響があるわけでもない。まああのウイスキーの味はちょいと俺の口には合わなかったから、どうせなら少しくらい甘いワクチンだったりしてくれたらよかったんだけどな」  コーヒーはMAXコーヒー党であると的場のメモには記されていて、実際飲んでみるとそれが的場の口には最も相性がよかった。 「ほ、本当なのか?お前は本当に、貯めに貯め込んだ金を俺のワクチンに使ったっていうのか?俺と向き合ったときのための策として、そんな馬鹿なことを本当にしたってのか?」 「嘘だと思うか?」 「当たり前だろうが!!そんな馬鹿がいるかよ?そんな金があるならなんで自分のワクチンを買わねえんだ。額に大した違いはないはずだ」  近藤の言うとおり、的場のワクチンは近藤のよりもわずかながら割安だった。それを知ったときは、なんとなく人間として近藤の方が価値が高いと言われたような気がして、的場は微妙な気持ちになった。 「お前がどう思おうと知ったこっちゃないが、少なくとも俺のメモには自分のワクチンを買うようにとは記されていなかった。しかし万が一のための備えとして、お前のワクチンを購入しお前に飲ませておくよう、大事なこととして記されてあった。だから俺はそれを実行した。ただそれだけだ」  的場は朝目覚めとともにメモを読み、メモに従い行動し、メモ通りに日々を過ごしていく。そのようにして生きるしか的場には術がないし、他にしたいことがあるわけでもないのでただそうするのみだった。 「嘘に決まってる。そんな馬鹿なことがあるわけねえんだ!!」  懇願するように近藤は叫んだ。そんなことはあるわけないが、もしも本当に自分がワクチンを飲んだとして、そうだとしたら、今の自分は肉体的には死ねる普通の身体になったのに、ようやくまともな身体になれたのに、自分を知る者や自分と親しい者、自分が愛する者がこの世には誰も居ない、自分を覚えている者がこの世界に存在しないという精神的に完全に死んでいる状態で生きているということになる。そんなことは、そんなことだけは近藤にとってあってはならない事態だった。だから近藤はそのことを受け入れることは決してできなかった。心が拒絶してやまなかった。 「嘘かどうかは証明する手段は、これしかない」  的場はそう言いながら、恐慌する近藤に向かって引き金を引いた。  放たれた銃弾は近藤の皮膚を突き破り骨の隙間を通り背中側から突き抜けた。げほっ、と近藤の口から血が漏れる。コンクリートの地面に近藤の血が点々と飛び散った。その血は紛れもない赤色で、怪物と呼ばれたかつての近藤の血とは似ても似つかぬものだった。 「ば、馬鹿な」  己の口から零れる血を、己の身体から止めどなく流れる血液を、近藤は信じられないものを見るような目で見つめる。その流れをせき止めるようにして自分の身体に空いた穴を両手で塞ごうとするのだが、間断なく指の間から血は流れていく。 「一応、心臓は外しておいた。お前が死ぬ前に、お前が死ねる身体だって証明しとかなきゃフェアじゃないだろう」  心臓を打ち抜き死ねる身体だと証明した瞬間に即死。それではさすがに納得がいかないのではないかと、的場なりの近藤に対する慈悲心のつもりだった。 「で、どうなんだ。念願の死ねる身体になった気持ちは。精神的な死だけでなく、肉体的な死も手に入れた感想は?」  興味なさそうに的場は尋ねた。 「お、俺は死ぬのか?これが、俺の願った死なのか?」  自分を覚えている者、記憶に留めてくれている者、その全てはもうこの世には誰もいない。他ならぬ近藤の願いによって。 近藤の頭に、自分の身体が霧散し、風に拭かれた砂煙のように舞い上がり、やがて空気に飲まれて消えていく。そんな漠然としたイメージが浮かび上がり、そのあまりの虚無感が恐怖をもたらし悲鳴となってこぼれ落ちた。 「た、頼む。頼むから誰か俺を、誰か俺を覚えててくれ!!忘れないでくれ!!俺のことを忘れないでくれぇぇ!!」  恐慌して取り乱す近藤を、的場はガラス玉のような瞳で見つめていた。近藤は四つん這いになりながら的場へと近づき、ズボンの裾を引っ張るようにしてすがりつく。 「おい、頼むよ。もうあんたしかいないんだ。俺を忘れないで覚えていられるのは、あんただけなんだ。頼む、頼むから俺に関するメモを捨てないでくれ。いつまでも残しておいてくれ」  的場はクリーニングに出すわけにもいかないので、ズボンについた血を自分で洗濯しなければならないと、メモに書き残す必要を感じた。 「お前からは既に料金も受け取り済みだし、仕事も全て終えることができた。今後お前と向き合うこともないだろうから、お前に関して俺のメモに残すべきことはなにもない。いまや俺にとってお前はどうでもいいことだからな」  死刑宣告を申し渡すように的場は言うと、もう一発の銃弾で今度は近藤の心臓を的確に射貫いた。死刑執行をなされた近藤の顔には、絶望の呻きが張り付いていた。 「これで今回の仕事は終了だ」  的場は未処理の依頼なし、と書き記す。近藤に関する記述のあるページを破り、ビルの屋上に吹き荒れる風へと流すように捨て去った。近藤という存在が風に紛れてこの世界から消えていくようだった。 「仕事を終えたのに、俺の貯金額が減ってるってのはいったいどういうわけなんだ?」  納得がいかないという顔で、メモに記されている残高ゼロ円の文字をにらみ付ける的場。そんな的場を、向かいのビルからまじまじと見つめている一人の会社員風の男がいた。銃を持った的場の顔を、はっきりと視認していることが、的場の異常視覚にはありありと認知できた。遠く離れた位置からの狙撃であれば、低く寝そべった体勢で銃を構えるので周囲の人間から悟られることはないのだが、今回ばかりは近接からの殺しであったために、運悪く的場は目撃されてしまった。言い訳はできない、的場の足下には近藤の死体があるのだから。初めての事態がもたらした、的場にとって初めての不幸だった。 「まったくとんだ厄日だな」  どうしたものか、と思案することもなく的場はメモに書かれていたことをメモ通りに実行した。 「殺しの場面を目撃されたなら、有無も言わさずに即射しろ。速射じゃねえぞ、即射だ」  そうつぶやきながら、今度は誰にも見られないように注意を払い、的場は目撃者を始末した。この距離だと狙撃ポイントをすぐさま割り出されてしまうだろうから、的場はその場をさっさと立ち去ることにした。  突発的な事態に手早く対処できたのは、メモに残されていた言葉のおかげだ。しかしそれが誰かの言葉なのか、あるいは的場自身の教訓によるものなのか、それはメモには記されていない。  近藤の持論に乗っ取るならば、的場のなかに近藤の言葉が残されているのであれば、近藤は肉体的には死んだとしても精神的には的場のなかに生きているということになるが、当の的場にそのことを知るよしはなく、的場のなかに近藤の記憶が残ることのないままに、誰の言葉なのかわからない言葉を的場は毎朝確認しながら、またいつものように日々を過ごしていくのだった。                          終わり
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