メモリーキラー

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 近藤があえて自分以外の殺し屋に殺しの依頼をした理由は、頭では理解できたが心情的には納得しづらいものだった。近藤がこの依頼に到った理由に、的場は共感することはできない。殺し屋という同じ生業についていても、二人の間には埋められない溝がある。  実際、同じ殺し屋でもこれほど異質な相手は珍しいかもしれない。なによりまず、殺しという目的を達成するまでの、手段が全く違う。真逆といってもいい。  的場の殺しのやり口は、ターゲットから遠く離れた場所からの、狙撃による遠距離射撃。ターゲットに自分の姿が視認されることは万が一にもありえず、狙われた相手は自分がなにをされたのか理解することなく死んでいくだろう。  一方の近藤は、異常なまでの筋力を駆使した近接戦闘型。肉体を引き裂き、首を捻じ曲げ、臓器を握り潰す。獣のようにターゲットを蹂躙し、血で染め上げる。狙われた相手は自我を失うほどの恐怖と地獄のような苦痛をたっぷり味わいながら死んでいくことになるだろう。  皮肉なことに、二人の異質な殺し屋としての能力は、同じきっかけによって目覚めた。あれからもう10年が過ぎようとしている。原発事故とも細菌兵器開発の失敗とも噂されているが、いまだに真実は闇のなかに葬られたままの、大規模爆発事故が発生した。事故の発生現場付近にいた者の大多数は爆発によって死亡した。まともな人間が生存可能な規模の爆発ではなかった。だが、わずかに生き残った者たちがいた。生き残れた理由は今も判明していていない。誰にも確かな説明はできなかった。が、あくまで仮説にすぎないが、爆風によって散布されたなんらかの薬品が炎熱と空気により化学変化し、人間の体内に取り込まれた瞬間に特殊細胞を生成した結果、生命の維持につながった、という見解が提出された。  生き残ったものたちは、モルモットのように詳細な身体検査をされ、治療という名の人体実験を受けることになった。検査と実験の結果、特殊細胞の発生が身体内部に影響を及ぼし、彼らにはそれぞれ個別な能力が発生していた。嗅覚や味覚の鋭敏化や、神経や皮膚感覚の異常発達など。  大怪我はしたもののかろうじて一命を取り留めた的場には、視覚の異常発達が見られた。何百メートル何千メートルと離れていても、少し焦点を合わすだけで視認が可能だった。狙撃銃のスコープなしでも遠く離れた相手を捕えられるほどに。  傷ひとつなく生き残った近藤は、全身の筋力が異常発達していた。鋼のような硬度をもった筋肉の鎧が、近藤の全身を覆っている。その身ひとつで一個軍隊を壊滅させることすら、不可能ではないほどに。もはや物理的に近藤を殺すことは不可能なほどに。 「俺は死ねない体になっちまったんだ。能力を得た代償ってやつだ。何事にも代償ってもんがある。筋肉の発達が異常な代謝の活性化をもたらし、常に超健康状態が保たれているんだとよ。結果、老化の進行も常人の何百倍も遅いらしい」  嬉しくもなさそうに近藤は吐き捨てた。 「だがそれは肉体的な意味での死だ。肉体的には俺は死ねない。外部からの攻撃で傷を負うことはないし、病気や老化でも死ねない。寿命なんてあと何百年あるのかわかったもんじゃない。だがな、人が死ぬとはどういうことだろうな。生きていながら死んでいるような顔のやつだっているだろう?俺に言わせりゃあいつらは精神的には死んでるようなもんだ」  肯定も否定せず、的場は沈黙を貫いた。不意に、鏡に映る自分の顔を思い浮かべた。 「じゃあ、厳密な意味で精神的に死ぬってのはどういうことだろうな。恐らくだが、こういうことじゃないか。誰からもその存在を認められていない、誰の記憶にもその存在が残っていない。そんな奴がいるとしたら、そいつは精神的に死んでると言えるんじゃないか?そう思わないか?」  的場は相変わらず無言だったが、なるほどと思わなくもなかった。 「俺はもう耐えられないんだよ。世間から化け物扱いされたまま生きていくのに疲れたんだ」  近藤の言う通り、事故後も生き残り、常人を超えた能力を宿した者たちは、好奇の目に晒された挙句、迫害されては排斥された。まっとう人生を送るのは不可能だった。まともな職業で生活の糧を稼いでいくことは絶望的だった。望まずして得ることになった能力を利用して、裏稼業などにつく以外の選択肢は用意されていなかった。  治療法がないわけではなかった。法外な料金を払えば、製薬会社や研究機関に個別ワクチンを開発してもらえる者もいた。しかしそれはあくまでごく一部の金持ちだけに許された特権で、金なき者になす術はなかった。例えばインフルエンザのように能力者たちが全員同じ症状に罹患しているのであれば、製薬会社などもそのワクチンを安い値段で売り出すことができるだろう。多くの販売先があるのであれば、ひとつひとつの単価は安くできる。しかし能力者たちはそれぞれ個別の症状を宿していたので、その症状に対するワクチンは世界でたったひとつしか必要ない。そのひとつのために膨大な手間と時間というコストをかけることを鑑みると、製薬会社としてもそのひとつのワクチンの値段を釣り上げざるえないというわけだった。それぞれの能力者たちを救ってくれる慈善事業家は現れず、物好きな篤志家もこの世にはいなかった。だから的場も近藤も、裏街道に生きることを選択した。 「おまけに10年も殺し屋をやっていりゃ、嫌でも殺しの記憶がこびりついちまってる。苦痛に歪む人間の顔や、血にまみれた人々の声がな。俺の内部は殺しの記憶で汚染されちまってる。これ異常、汚れようもないほどにな。俺は殺しの記憶に蝕まれているんだ。あんただって同じように長いこと殺し屋をやってるんだ。わかるだろう?」 同意を求めるように近藤は言った。 「いや、どうだろうな。細かいことをいちいち覚えていない性質でね」 近藤は拍子抜けのような顔をした。 「そりゃそうか。あんたに記憶の話をしたって、しょうがないよな。とにかくだ、これ以上の罪悪感には、俺はもう耐えられない。だから俺は自分を殺すことにしたんだ」  まるで懺悔でもするみたいに、近藤は頭(こうべ)を垂れた。 「無論、俺は死ねない。肉体的にはな。だから俺は俺を精神的に殺すことにした。全ての俺を知る人の記憶から、俺という人間を抹消する。そうすることで、俺は精神的に死ぬことができる。死ぬことで、俺という人間は浄化されるだろう」  死による浄化。敬虔な信徒のように語る近藤は、それを本気で信じているようだった。的場はとても共感はできなかったが、近藤が真剣なのだということは理解できた。 「だからあんたには、俺のことを知る全ての人間を始末してもらいたい。そうすれば、俺という存在は、全ての人の記憶から跡形もなく消えることになる。それでようやく、俺という人間は精神的に死ぬことができる。なに、俺は人目を避けるように生活してきたからな、大した人数じゃない。あんたなら4~5日で済む仕事だ」  自分でやればいいのでは?という的場の提案は近藤に一蹴された。 「俺の殺しのやり口は知ってるだろう?わざわざ現場に赴かないといけない不便なやり方だからな。人に見られる可能性がないわけじゃない。俺はもう、誰の記憶にも残りたくないんだよ。万が一の可能性にはきりがないし、これ以上の殺しも重ねたくはない。だからあんたにお願いしたいんだ。あんたの腕前の確かさは噂で聞いている。俺という存在を記憶に宿してるやつを遍(あまね)く始末してくれ」  その近藤の言葉は懇願とも命令とも取れない複雑な色合いを持っていた。
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