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「つーわけで、今日もよろしく頼むぜ」
ふいに背後からかけられた声に、的場は近藤なのだと思った。前日に今日の仕事場である狙撃ポイントを近藤には連絡済み、とメモに記されていたので、この時間のこの場所に訪れるのは近藤以外にはありえない。耳に届いてきた声の特徴も、メモに記されていた近藤のものと一致していた。
が、的場が振り返るとそこにいたのは、近藤ではなかった。的場はあり得ない事態に眼を見開く。すでに狙撃銃の組み立てを始めてしまっている。このままだと目の前にいる男は自分の殺しの目撃者ということになる。的場は本来なら銃で狙える範囲よりも遙か外側から心臓を打ち抜くことで、誰にも目撃されずに殺しができる。それが的場の殺し屋としての強みでありセールスポイントでもある。自分の殺しを今まで一度も誰かに目撃されたことはない。しかし今、的場は人生において初めて、自分の殺しの様子を目撃されてしまっているのだ。
的場は自分の心臓の高鳴りを必死で押さえつけ、目の前に現れた男から飛び退るようにしてコンクリートの床をゴロゴロと回転し、その回転運動に合わせるようにして右手を胸ポケットに差し込み、勢いよく銃を引き抜いて流れるような動作で男に突きつける。
「お前は、誰だ?」
問うてはみたものの、的場はそれが誰であろうと殺すしかないと思っていた。殺しの現場を見られた以上、消すしかない。しかし、的場のメモには仕事以外での殺しは御法度だ、とも記されている。仕事以外の殺しは面倒ごとしか起こさず、厄介ごとしかもたらさない、と。しかし殺しの目撃者を見過ごしてしまえば、これまた面倒な事態なことが起きるのは間違いない。的場は今の自分の状況とメモに記されたものとの対立に、激しい葛藤を覚えた。このような状況を解決する術は的場の中にもメモにも記録されていない。
「誰ってあんた、俺だよ。近藤だ」
おいおい頼むぜ、という風に冗談めかして男は言った。
「俺のメモには近藤という依頼主はお前のような格好をしていない。メモに記されている近藤は、茶色のトレンチコートに黒のロングブーツにサングラス姿の、懐古主義的なハードボイルド野郎と描写されている」
男は苦笑いをする。
「ああ、そういうことか。あんた、俺のことをそういう目で見てたんだな」
ため息をつきながら男は、自分の着ているアロハ風のシャツを引っ張った。
「違うんだよ。ほらっ、俺はもう誰からも忘れられたくて、誰からも覚えていられたくないんだ。だからまぁ、トレンチやロングブーツはやめにして、毎日違う格好をしてるってわけだ。こんなもん俺の趣味じゃないし柄でもないのは自分でもわかってるが、背に腹はかえられん。あんたへの依頼料で懐が寂しくてな、安く手に入るもので揃えたらこんなんになっちまった」
情けない顔で男は言った。確かに男の言う通り、声の調子はメモに記されている通りに低くてややハスキー気味にかすれているし、着ているモノは全く違うが服の下から膨れ上がる隆々とした筋肉と骨太の骨格も、メモ通りで共通している。
「確かに格好を考慮しなければ、お前は近藤に酷似している。が、俺はお前が近藤だということに確証がもてない」
「ったく、もうちょいメモにはなんか俺が俺だと示すような情報は書かれてないのか?」
的場がメモを取り出そうとする、その時だった。わずかに生じた的場の隙をつき、男は懐から拳銃を取り出し、的場の顔へと突きつける。二人の殺し屋が銃を突きつけ対峙する。
「ま、殺し屋が二人揃っちまったら、こうなっちまうもんなのかもな。映画なんかでよくあるだろ?」
「どういうつもりだ?お前がもしも本当に近藤なら俺を殺す理由なんてないはずだ」
「へぇ、さすがに一流の殺し屋なんだな。毎回ターゲットからは視認されない遙か遠くからの殺しをしてるからには、てっきり臆病者なんだと思ってたよ。相手と向かいあったらびびってなにもできなくなるもんだとばかり。見直したよ」
男は目尻を下げ、銃を構える手をわずかに緩める。
「冗談だよ。俺にはあんたを殺る理由がない」
「しかし俺にはお前を殺る理由がある。目撃者だからな」
「俺が本当に近藤だったら、その理由はないんだろ?」
「ああ。近藤は依頼主だからな」
「なら撃てよ」
「なに?」
「俺が近藤であるってことの一番の証明は、お前が俺に向かって引き金を引くことだよ。なにせ俺がもし本当に近藤なら、俺を撃ったとしてもお前の銃弾は俺の命を奪わない。俺の肉体は銃弾ごときじゃびくともしない。お前じゃ俺を殺せないんだ」
残念そうに男は言った。
「確かにお前が近藤なら、そういうことになるな」
「だから撃て」
男は的場に突きつけていた銃を下ろし、歓迎するかのように両手を広げてみせた。
「いいのか?」
「いいよ別に。痛くもかゆくもないから」
的場にとって、この距離での狙撃は経験がない。狙い撃つ相手から視認された状態での殺しは、初めての出来事だった。メモにはそのような経験は記されてない。
いつにない緊張感と、本当に撃つべきなのかというわずかな迷い。尻込みする自分を振り払うようにして、的場は引き金を引いた。
男の心臓めがけて一直線に進む弾道は、男の皮膚に達した段階でその勢いを削がれ、鋼の筋肉によって完全に推進力を失うと、コンクリートの地面にポトリと落下した。銃弾がカラカラと回転しながら転がる音と、硝煙の匂いがビルの屋上を包み込む。
「なるほど。お前は確かに近藤のようだ」
「わかってくれて嬉しいよ」
安堵の表情で近藤は笑った。
「にしても嫌な証明の仕方だな。こんなことがないように、ちゃんとメモに記しといてくれよ」
「了解した」
的場は近藤の指示を忠実に守り、この件をメモに残すことにした。そして、やはり殺し屋同士が対峙するような事態は避けるべきことだとも書き残す。特に近藤と向かい合うような事態だけは自分にとって最悪な事態だと。なにせ相手には自分の銃がまったく効かないのだ。向かいあってしまった時点で的場の負けということになってしまう。それはつまっり死を意味することになるので、それだけは避けるべき事態なのだ。メモにちゃんと残しておかなければならない。
「ああ、それとなこれも書いておいた方がいい」
近藤は付け足すように言った。
「殺しの場面を目撃されたなら、有無も言わさずに即射しろ。速射じゃねえぞ、即射だ」
重要なことだと言うように、強調して近藤は念を押した。
「なぜだ?」
「殺しの場面を見られた時点でそいつは殺し屋にとってのターゲットだ。一切の交渉の余地がなければ弁明の余地もない。見られた時点でもう殺すしかないんだよ。俺の殺しのスタイル的にはどんなに気をつけてても目撃者がゼロってわけにはいかなくてな。俺だって金にもならない殺しなんてしたくないから、あれこれやってみたりしたんだ。脅したり記憶がなくなるまで殴ってみたり。でも駄目だな。結局のところ殺しちまうのが一番手っ取り早いし確実で、安心で安全なんだ。さんざん経験した俺が言うんだから間違いない。ちゃんと書いときな」
的場は自分の殺しの場面を目撃された経験がない。近藤の言っていることが本当なのかどうかはわからないが、経験豊富らしい近藤の言葉には確かな説得力があった。的場は経験者である近藤を尊重し、近藤の言葉をメモに残すことにした。
「それじゃ改めて、今日の仕事を殺ってくれ」
「ああ、そうすとしよう」
記すべきを記し終わると、的場は組み立て途中だった狙撃銃を組み直し、今日のターゲットに狙いをつける。思わぬ事態に少々予定が崩れたが、計画していた時間にはなんとか間に合ったようだ。少しだけ乱れた鼓動を落ち着かせ、的場はいつも通りにターゲットへと焦点を合わせる。さきほど近藤と向かいあったときのような逡巡は毛ほども生じず、いつも通りになんの感慨もなく平然と引き金を引いた。
「殺ってくれたみたいだな」
「ああ。あんたの知り合いはたった今、死んだよ。確認はしなくていいのか?」
「必要ない。あいつはちょっとした有名人でね。死ねばニュースになるはずだ」
近藤は携帯を手早く操作すると、画面を的場に見せてみせた。
「はっ、さすがインターネット時代だな。さっそく情報が出回ってやがる。わざわざ死体を確認するまでもない」
的場には特別見たくもない遠く離れた死体がありありと見えるのだが、それもやがて的場の記憶からは消されていく。
色々と予想外の出来事もあったが、最終的にはつつがなく仕事を終えて、的場は近藤と別れた。今日あった出来事のなかから必要なことだけをまとめてメモに書き残し、的場の記憶は眠りとともにまっさらに初期化されていった。
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