メモリーキラー

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「結構な人数だったが、ようやくこれで最後だ」  奇妙だった依頼も今日が最後だったが、的場にとっては最初だろうが最後だろうがあまり関係なかった。なんの感慨もなければ達成感もない。 「これを最後に、俺はようやく死ねるってわけだ」 近藤が殺しを依頼した最後の人物、それは近藤の妻だった女性の子供。つまりは近藤の息子だった。 「確かあっちの方角だったな」  周囲を一望できる高層ビルの屋上が、この日の狙撃ポイントだった。 「ああ、今の時間は家でちょうど塾にいく準備でもしてるころだろう」  目を凝らすようにして、的場はターゲットのいる場所へと焦点をあわせた。カメラがズームするように、対象との距離がぐんぐんと縮まっていく。やがて的場はターゲットを視界に収めた。矢継ぎ早に視点を周囲へと巡らせ、的場と狙撃対象との間に障害物の生じない地点を探し出す。事前の下調べ通り、玄関先がもっとも有効な狙撃場所だと見定めた。  飛距離に特化した特注の狙撃銃を的場は構えた。高かったが的場にとっては大事な商売道具だ。メンテナンスも日課として欠かしたことはない。なぜならそうメモに記されているから。 的場の異常視覚はあらゆるものを見通せる。射線上に生じるわずかな風すらも、物体のかすかな揺らめきや震えを見てとり感知することが可能だ。また周囲の状況を全て視界に収めることで、弾道や狙撃対象が外部から受ける影響も完全に見通し、あらゆる要素を計算することで、精密にして精妙な射撃が実行可能となる。 「この引き金を絞れば、依頼は完了となる。それでいいんだな?」  狙撃態勢のまま、近藤に背を向けた状態で的場は尋ねた。今さらこんなことを口にするのは柄にもないと思ったが、尋ねずにはいられなかった。この依頼の完了は、対象を殺すと同時に、依頼人である近藤を殺すことも意味している。この引き金を引くまでの時間が、近藤に残された寿命ということになる。 「ああ。問題ない。やってくれ」  淡々と近藤は言った。 「そうか」  言うのと同時に、引き金を絞った。硝煙の匂いが鼻孔に届くのと、銃弾が幼い子供の心臓に達するのはほぼ同時だった。確かな手応えがあった。いつも通り、的場は寸分の狂いなく対象を死に至らしめた。地面に倒れた対象の瞳から、生命の輝きが失われていくのを視認したところで、遠距離に合わせていた焦点を近距離へと引き戻した。幽体離脱した魂が高速で自分の身体に連れ戻されるような感覚。能力に目覚めた当初こそ気持ち悪さを感じたが、何度も繰り返したからなのだろう、もはや違和感を感じることもなかった。身体に感覚として染みこまれ、染みついているのだと的場は思っている。 「殺ったのか?」  背後から聞こえてきたのは、抑揚や起伏のない、平坦な声だった。 「ああ。間違いなくな。信じる信じないはそっちの勝手だけどな。疑うなら電話でもしてみればいい。本人がでることはないだろう。もっともたまたま用事があって出れないってだけなのかもしれないがな」  鼻で笑いながら的場は言った。 「いや、息子は健気なやつでね。俺からの電話にはどんな時でも必ず出るんだ。深夜だろうが忙しかろうが関係なく……出ないな。俺からの電話に出なかったことは今までただの一回もない。ってことは……やはりあんたは一流の殺し屋ってことだな」  携帯電話をポケットに収める近藤は、薄い笑みを浮かべていた。死期が確定した者が浮かべる悟ったような表情に似ていた。 「どんな気分なんだ。精神的に死ぬっていうのは」  依頼を完遂した以上、後を濁さずさっさと立ち去るのが的場の流儀だったが、なんとなく聞かずにはいられなかった。 「さぁ、どうだかな。なにせ俺はまだ死んじゃいないからな。なんとも答えようがない。あんたが忘れてくれてはじめて、俺は死ぬことができるわけだからな」 「明日になればお前のことは綺麗さっぱり忘れてるよ」 「念のため、ここで俺に関するメモを破棄してもらっていいか?」 「随分と疑り深いんだな。料金も受け取ったし、もはや俺がお前を覚えておかなきゃならない理由なんてないというのに。むしろ一刻も早く忘れたいくらいだ」 「へぇ、嫌でも忘れちまうあんたにも、忘れたいことなんてあるんだな」  意外そうに近藤は言った。 「そりゃまあ、今回みたいのはあんまり後味はよくないからな。だからってわけでもないが、お前の死を祝ってやるよ。正確にはお前が死ぬのは明日だから前祝いってことになるが」  的場はアタッシュケースのなかから、ウイスキーボトルを一本取りだした。 「へぇ、上物じゃねえか」  これまで自分に親しい人物の死にすら一切の感情の乱れをみせなかった近藤だったが、そのウイスキーを眼にすると、激しい興奮の色が表情に見て取れた。 「でもあんた、酒はやらないんじゃ」 「これを飲めば、一時は全てを忘れられるんだろ?」 「そうだな。んじゃ遠慮なく、いただくとしようか。俺の死に乾杯だ」  的場は二人分のウイスキーをグラスに注ぎ、一方を近藤に渡す。軽くグラスをカチンと合わせ、二人は同時に口に運んだ。 「……美味い。さすがに値段は嘘はつかないな」 「……よくわからん」  的場は苦々しい顔になりながら、ちびりちびりとウイスキーの味を繰り返し確かめる。 「はは、初心者にはちょっと難しい銘柄だったかもな。初心者の内はやっぱりシェリー樽熟成のウイスキーみたいに、甘くてフルーティーな方が味わいやすいかもしれん。ウチの女房もそうだったよ」  昔を懐かしむように近藤は言った。 「慣れないうちは炭酸で割ってハイボールってのもひとつの手だな。邪道っちゃ邪道だが、そうして舌を慣らしてくうちに、気がついたらピートの香り漂うスモーキーフレーバーの強いウイスキーの虜になっちまうってわけだ」  自分の場合は、舌が慣れたと思ったら記憶からこの味も失われていくんだろうと的場を思った。 「まさかあんたからこんなプレゼントを貰えるとは思ってなかったよ。実に美味い。いい気分だ」  あっという間にごくごくと飲み干していき、的場が一杯飲み終わるまでに近藤は一本を空にしてしまった。 「最高だな。今日は最高の気分だ」 と言いながら、近藤は胸ポケットに自分の手を差し入れた。まだ飲み足りないのか、愛用のウイスキースキットルを取り出すのだと思った的場はその飲みっぷりに少々あきれた。  しかし近藤が取り出したのは、ウイスキースキットルと同様にいかにもハードボイルドなアイテム面(づら)してはいたが、銀に輝くスキットルとは似ても似つかない黒光りした拳銃だった。
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