思い切り噛んで、抱きしめて

1/78
前へ
/78ページ
次へ
 夜はいつだって神経を逆なでするような静けさがある。それはうるさかった教室が、教師の一言で静かになるのに似ている。作為的な静けさ。睦月はベランダの手すりに背中をあずけ、月を仰ぎ見た。空は黒いのにそこだけぽっかりと白い。まばらな星は青かったり赤かったりさまざまな色をしているのに、蛾を焼く外灯のような月だけが明るく、嫌に作りものめいている。中秋だからだろうか。  本物はどこにあるんだろうね。  睦月はふう、と息を吐きだした。それは白く滞りゆっくりと闇の中に消えた。口の中が熱い。どこかが疼く。  夜は好き。なにも見えなくなれば自分という存在の境界も曖昧になる。そうすれば、きっと寂しくない。藍の闇は優しい。  彼女は無気力に垂らしていた腕を、意識して持ち上げた。そして自分の指先の感覚を確認するように握りしめ、開く。寒さで青白い指先に、わずかながらも赤みが戻ってきた気がした。人差し指を緩やかに折り曲げ、その背を口に含む。舌先で舐ると唾液が指を伝い、爪の先から零れた。期待に体温が上がり始めていた。ゆっくりと、指に歯を立てた。
/78ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加