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そこへ、彼の者は現れた。
女だった。薄汚れた黒いローブを纏い、枯れ木の杖を頼りに歩を進める、ひとりの女。
ぶかぶかのローブの上からでもそうとわかる、痩せぎすの体躯。
目深にかぶったフードからわずかに覗く口元に浮かぶのは、笑み。
聖なる教会にはまるで似つかわしくない、死臭あふれる野戦病院にこそふさわしい、死神のごとき女だった。
その姿を見咎めた従軍医師が、女に詰め寄り用件を質す。
女はひとことふたこと言葉を発し、フードを目元までまくり上げた。
その面貌を見た従軍医師は息を呑み、身を震わせて後退りする。
その脇を、女はゆっくりと歩いて通り抜けた。
こつんこつんと杖を響かせながら、負傷者たちを品定めするように見渡す女。
杖の音が、止まる。
そこにいたのは、末期の喘鳴を唸らせる瀕死の男。
女は歩み寄ると、男の耳元へ顔を寄せた。
――死ぬ前に、会いたい方はいませんか。
姿が死神のそれなら、声はまさに幽霊のそれ。
聞くだけで生気を吸い取られそうな掠れ声で、女がささやく。
――会いたい方がいるのなら、私の瞳をお貸ししましょう。
女の誘惑に、男はかすかに頷く。
女は男の口元に耳を寄せ、男が発した呟きを拾い上げた。
――わかりました。
女がフードを脱ぎ去る。
現れたのは眼球なき眼窩、瞳なき黒き洞。
そこに、燃えるような赤い光が灯る。
光は明るさを増していき、それにつれて男の瞳も赤々と輝き出す。
そして――
父さん、母さんと呟く男の口元に、笑みが浮かんだ。
故郷を、父を、母を見る男の目尻から、涙がこぼれ落ちた。
過ぎた時間は、刹那。
女の眼窩から光は消え去ったときには、男はすでに事切れている。
その顔には、安らかな笑みと涙の痕が残っていた。
男の両目を閉じながら、女が言う。
――ありがとうございました。
看取りを終えた女はフードを被り直して立ち上がり、再び杖を鳴らし始めた。
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