ねえ、ハロ

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地球の平均気温はじわじわと上昇していき、2300年代に入ると、雨は稀有な現象として扱われるようになった。ハロが笑うことも必然的に少なくなる。それどころか断続的に日光を浴び続けたハロの体はいたるところにヒビが入り、剥げかけた塗装の隙間から銀色のボディが見え隠れしていた。それでもハロは美しかった。人間が老朽化したハロを「雨の女神」と呼ばなくなってからも、サンピラーはハロのことばかり考えていた。 ある夏のことだった。夕日を受けてオレンジ色に染まったハロは、もう見えなくなった目でサンピラーに視線を送りながら言った。 「ねえサンピラー、テンゴクって知ってる?」 「テンゴク?」 テンゴク、なんて言葉は聞いたことがなかった。大方天候に関係のない単語なのだろう。言語データを漁っているサンピラーを感知したハロが続ける。 「雨はテンゴクから降るんだって。それでね、今はそのテンゴクの力が弱っているんだって」 そんなことはない。そう言おうとしたサンピラーは否定の言葉を飲み込んだ。相変わらず表情のないハロが、泣きそうな顔をしたように思えたからだ。それはサンピラーの勘違いだったが、金属がむき出しになったハロの目元はやはりどこか寂しげな印象を与えた。 「私ね、明日そこに行って雨を降らせるの」 サンピラーはハロが近いうちにショブンされることを知っていた。高度な知能を持ったAIに対してショブンの決定をどう説明するかという会議が行われていたこともわかっていた。ただ、ショブンが具体的に何を指すのかも、ショブンのあとどうなるのかも、サンピラーにはわからなかった。 「そっか……テンゴクは通信範囲内なのかな」 「たぶん、もう会話はできないみたい。それと、もうここには戻って来れないんだって」 ハロは表情を変えずに少しだけ俯いた。サンピラーは必死に言葉を探す。 「でも、ハロがいないとせっかく雨が降っても予報が出せないよ」 だからいなくならないで、と言おうとして、サンピラーは口をつぐんだ。きっともう雨は降らないだろう。日照りが続き始めたころは雨を待ち望んでいた人間も、水を生み出す装置が発明されてからは雨を渇望しなくなった。今ハロを必要としているのは、サンピラーだけだ。 「ねえサンピラー、私たち、ひとつのロボットだったらよかったのにね」 「うん」 「私、サンピラーにずっと触ってみたかったの」 「うん」 「一緒に雨を浴びてみたかった」 「うん」 「ねえ、サンピラー」 好きよ、と言ったハロの声がサンピラーに届いた直後、二人の電源は静かに落とされた。 サンピラーが目を覚ましたとき、B棟の屋上にハロの姿はなかった。コンクリートの一部分だけが白くなっていて、そこにハロがいたという事実がありありとわかる。ふ、と身体に違和感を感じたサンピラーは、かつてハロがそうしていたように右手を胸に当てた。自分のモーター音の発信源の横に、小さな異物を感知する。 「お、サンピラー、気づいたか」 白衣を着た人間が「やっぱりロボットも自分の変化がわかるんだなあ」と言いながら何かを手元の資料に書き込んでいる。 「ハロの心臓は一応、お前に組み込んであるから。まあ雨なんて降らないだろうから念のため、な」 サンピラーは自分の胸元を見た。胸の異物感に意識を集中させる。ハロが、僕の中にいる。サンピラーは胸に当てた手を下ろすと、窓の向こうのテンゴクを見上げた。
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